文明批評家ラスキンの回顧 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九四九年五月号)
――彼の唯心的経済史観に学ぶ―ー
自然の奥に神の黙示
一九四九年一月二十日は、十九世紀の三大予言者の一人と称せられたジョン・ラスキンの五十年記念日であった。唯物共産主義の盛んに唱えられる今日、精神主義的社会主義者であった彼を回顧することは無駄でないであろう。私がラスキンの書物を最初によんだのは、十七才の頃で、彼が世を去って間もない時であった。「胡麻と百合」という三つの論文を集めたものであったが、そのなかのセキスピアを論じた文章は、豊かな文学批評として全く感心させられた。
それから後、「建築の七つの燈」や「近代画家論」をよみつゞけるうち、私は自然を見る目をラスキンによってあけて貰った。それをよろこんで、ずっと後に「ヴォニスの石」を訳して世界大思想全の一つとして世に問うた。
ラスキンは一八一七年に生れ、一八九九年に世を去ったが、彼の思想を大体年代順で簡単に回顧してみよう。彼は最初、自然を深く研究して、自然の奥にある神の黙示をみつめた。その後、文明批評に傾倒し、建築絵画等の芸術の奥にひめられている精神史を発見してくれた。ついで彼の四十才前後には、フランス革命やリンコルンの奴隷解放などの社会的激動があったので、経済理論を創述して、社会批判に発言権をもつに至った。経済論をかいた「至後者にも」は今よんでも、生きた力をもって迫って来るのを感じる。多少順序をたてゝ、彼の自然観を瞑想し、唯物史観に対抗して精神史観を提唱した、彼の足跡を辿ってみよう。
自然に現れた年限
彼はスコットランドの出身であるが、父がロンドンで酒屋をしていたので、ロンドンで育てられた。彼の父はかなりな資産があったため、ジョンをいゝ学校に入れて貴族的に教育した。また父はジョンをつれてヨーロッパ各地を旅行して見聞をひろめさせるために努力した。イタリーにもよく行き、古い絵画をも観賞せしめた。彼も父母の心づかいに導かれて、好んで自然に接し、心より自然を愛し、すぐれた自然に対する感覚を持つようになった。
当時、英国は産業革命の時代で、機械文明の急激な発展が、都市生活を混惑させていた時なので、一方においては、その反動として自然への憧憬が強く起っていた。バーンズやワーズワースのすぐれた英文詩が特別な色彩を文学史に与えていた。ラスキンはオックスフォード大学で、在学中はあまり秀才というのではなかった。けれども豊かな天分をもっていたので、建築に関する論文などを書いていた。
彼の文名を一躍高からしめた不朽の名著は、「近代画家論」で、十七年間もかつて書いた前後五巻のものである。ラスキンは理髪屋で画家だったターナーの画を非常に愛した。ターナーの写実こそ真の絵画であると感じたが、当時の批評家はターナーの画に対してははなはだしい悪口を加えた。余り可愛想だと思ったので、ターナーの画を弁護して書いたのが、この「近代画家論」である。その二千頁にわたる大著のうちで。彼は近代の自然画を歴史的に研究し、これに鋭い心理的解剖を加えている。ターナーの自然描写に至るまでの、近代画家をずっと年代的に論じてゐる。
たとえばターナーの「ヴェニスの曙」という、美しい港湾にうららかな太陽がのぼっている画がある。それを弁護するために、十六世紀のルネッサンス時代から四百年順に、太陽の描き方がいかに変ってきたかを詳細に研究している。太陽の色彩を初めはうすい色を用いたが、だんだん濃くなって来たことを、こまかい差等をつけ、彼はフランス印象派がほとんど原色のまゝ色彩を画布に投げつけるに至った経路を説明している。その精細な心理的解剖は、非常にすぐれた価値のあるものである。「近代画家論」はこうした心理的な立場から自然を瞑想し得ないものにとっては、余り意味を感じられないかも知れない。
しかし、一散髪屋であった天才画家ターナーが見出した自然を弁明するために、ラスキンはヨーロッパ全体を旅行して見た美術館の絵画をくわしく研究して、自然を見るためには、たゞ表面に現われた自然だけでなく。自然のうちに現されている神の姿を礼拝する気持でなければ、ほんとうのものに近づけるものでないと、勇敢に断定し、それを一つ一つ例証をあげて論じた。アルプス連峰の美、河川の美、湖水の美などの一つ一つに数十頁も費して、いろいろと面白く述べている。
真実の自然と描写
山が美しいのは、無限曲線が何重にも重なっているからで、雨が描く線は、一秒間に三十二メートルずつに動く加速度が、山の傾斜面に無限曲線を加えるので一層美しさを加えるのであると彼は云う。それが火山の場合には、逆に双曲線の美が生れるのだが、それを詳細に説いている。
ターナーが真面目一点ばりで、自然を見つめてこれを再現せんとした。それは必ずしも写実のみでなく、真実の自然の姿を描写したのだった。自然の奥にひめられた精神を人の心によって溶かし、それを再構成させたところに彼の絵画の真実さがあった。真面目でないものには、自然も真面目な姿をかくしてしまう。再構成というのは、目で見たまゝをかいたのでなく、その奥にある美を捉えて描いたことを指すのである。ターナーの有名な「橋」という画があるが、実地に調査してみると、実物には画の中にないきたないボロ家が橋の横にたっていた。その家を入れたのでは、橋の美が失われてしまうので、それを省き、美しい部分だけを描いたのがターナーの「橋」である。真面目なターナーの心は、自然の美だけを吸収したが、美だけを見出して再現したところに、彼の偉大な再構成があったのである。
これはわれらも学ばなければならない点である。素人は自然の表面だけを見て、無限の曲線を瞑想する力がない。それなら写真だけで充分である。けれども美しい心に対して、自然は美しい姿を現し、みにくい心に対しては、みにくい姿しか現さない。それで美しい心の持主が、自然の奥にある美を吸収してこれを描いてくれる必要が起るのである。ターナーは自然を深く見つめ、自然の奥にあるものを雲によって捉え得た。そこに彼の偉大さがあったと激称している。
この自然観はラスキンを知った人を強く動かし、深い感化を与えずにはおかなかった。日本アルプスを研究して、日本アルプスを今日あらしめるための功績を残した小島烏水氏は、銀行員であったが、ラスキンの書物を愛読していた。それで日本の自然美研究もラスキンに負うところが多いといわなければならない。私もラスキンから非常に多く教えられた一人である。彼の著者はあまり心理学的であるために、初心者には少し理解できないかも知れない。しかし辛抱して数頁を何時間もかゝって、みっちり精読するのでなければ、物にならぬであらう。
「近代画家論」は、名古屋高等学校の沢田教授が、第一、二巻を訳したのが日本に於ける最初であった。御木本氏がその後に全部を訳して出版した。日本のように大自然に包まれた国土に住む者は、もう一度「近代画家論」をよみ直して、自然を見る新しい力を持ってほしいものである。
神は手にて造りし宮に住み給わず、天地宇宙全体にいまして、霊とまことをもて拝すべきであることを、ラスキンは一生の仕事として提唱した。「近代画家論」は自然を見る聖書とも称すべきもので、良心も神の声を示すが、更に大自然を通して神の示しを受くべきことをはっきりと説いている。彼と同じような精神によって、自然を通し神の姿を見出した者に、バーンズ、ウォーズウォース、ホイットマン、シヤバンヌ等がある。
といって。ターナーは近代文明を離れて自然を見たのではない。彼のかいた「汽車」という絵には、イギリスの平原を走っている最初の汽車がいきいきした姿をとゞめている。
私はターナーのだくさんの画を見たが、その描かれた線は、汽車の速いスピードを巧みに捉えていることでは、ターナーの汽車はよほど近代性を持っていると考えた。まことに達筆である。
神の衣裳としての自然
万葉集より大正昭和の文学に至るまで、日本人の感情として、その底を流れているものは、自然観賞の心持である。古今和歌集もまた自我を没却して自然にしたることを教えている。俳文学でもやはり、底を流れている精神は、自然に生き切ることである。それで日本古来の宗教文学を通じて培われたわれわれの情緒も、ラスキンが教えた神を礼拝する気持で自然を見ることを忘れるならば、半分の価値もなくなってしまうであろう。
旧的聖書のイザヤ書の言葉も、自然を通じて神をうたっており、エレミヤの預言も自然生活から来てゐるものが多い。またキリストの教訓も、「空の鳥」「野の百合」「朝やけ」「夕やけ」「野の耕作」「ブドー園の物語」「牧場の羊」など、自然のうちにその真理を見出している。
自然科学といえば、すぐ唯物論的に考え、マルクス主義やレニン主義と結びつきやすいけれど、ラスキンはそれと全く正反対に、自然の決定的な見方をせず、自然の奥に在る目的、選択、意味をはっきりと見詰めた。当時の文豪トーマス・カーラウルの「衣裳哲学」の中に論じられている自然も、同じ立場に立っていた。着物も、ただ寒いからきるばかりでなく、着物には一つの意匠があり、目的と選択と表象のあることを論じ、自然にも同じように目的と選択と記号としての意味あることをラスキンは提唱した。彼は自然こそ神の深い顕現であり、黙示であることを強く説いた自然哲学者である。 (一九四九年五月号)