ヴェニスの石の精神 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九四九年六・七月号)

 マルクスは機械が発展し始めた時代に、驚いた余り、歴史を決定的に考えて、「凡ての文明文化は、その時代の唯物的生産の形式によって主として決定せられる」と論じた。それが彼の有名な唯物史観である。この立場は唯心主義に立つ者とは、正反対の立場であって、唯物共産主義キリスト教と一致するはずだという人もあるが、誤謬もはなはだしいといわなければならない。歴史が決定的であれば、宿命的で進歩も発展もないはずである。目的性、撰択性、表徴性の三つがなければ、進歩が生れて来ないから、唯物的決定論では真の史的発展は出現し得ないのである。

 一〇九九年より一三六五年まで二百六十年間に、十字軍はヴェニスを基地として、聖地へと船出した。そして東方との交通が盛んに行われたため、近代の資本主義が勃興するに至った。テーブルセット、ベッド。オルガン、ピアノなど近代生活の基調をなすものはみなヴェニスから生れて来た。ラスキンの「ヴェニスの石」は、そのヴェニスの文化史と建築物を詳細に研究して論じたものであるから、その文化史を知らぬ者には、何もわからないであろう。

 「ヴェニスの石」において、ラスキンヴェニス文化の千年を次の四時期に区分している。

  第一期 ビザンチン時代
  第二期 ゴチック時代
  第三期 ルネッサンス前期
  第四期 ルネッサンス後期

 ビザンチン時代には、ロマ帝国が東西に二分し、コンスタンチン大帝がロマ帝国をたてた。ビザンチンの建築は、ロマの法廷の建て方を模倣したもので、円塔を上手に使い、(幾何学が発達していたため、上下に巾のちがう矩形型を並べて)窓なども上の丸いアーチを用いた。ローマに今も残っている火星(マーズ軍神)をまつる宮は、当時の面影を伝えているが、美しい建物である。イスタンブールにゆくと、聖ソフィア聖堂などが、やはり同じ丸アーチ円塔で、七つの塔が非常に美しい。

 そのビザンチン建築が、ヴェニスに来て第一期となったが、それは何等独創性のない貧困な模倣でしかなかった。ラスキンは、建築は物的に決定されるものでなく、意匠でなければならないから、目的、撰択、表徴を持った芸術でなければならない故、真似ただけでは駄目であると断定した。それで、たゞ模倣をことゝしたヴェニスビザンチン時代の建築は価値がないと論じたのである。

 第二のゴチック時代は、二百余年にわたる敗戦の後、かなしみのどん底から、ゴス民族独特のものが生れて出来あがったのである。ゴス人は森林の中に生活していたから、建築も森の木の枝を表象したものを基調としている。父や兄や夫や弟を追憶する余り、祈と涙をこめて記念碑や記念会堂を建てたのであるから、財を惜まず、労働を惜まず、ひたすら信仰をもって建てたのだ。平坦なヨーロッパの平原に、天にまで達するように高い尖塔をつくって、その信仰を表現した。そしてその塔の重力を支えるために、長くて細い窓を多くつくり、何となく重苦しい感を持つようになった。そして内部の装飾は森を思わす曲線を用いて、素朴な感じがしみでていた。

 この一面田舎くさいゴチック建築をルネッサンス以後の近代人は馬鹿にしていたが、ラスキンはそこにゴス人特有の創造性があり、真実の美があることを再発見して、近代文化に大きな光明を与えたのであった。フランス彫刻界の巨匠ロダンのかいた「フランスの聖堂」という書物を見ても、そのすぐれたデッサンによって、建築としてフランスに於て最も美しい精神を保っているものは、ゴチック建築であることがはっきりと示されている。私はそれをよんで新しくうたれたが、一読すべき価値があると思う。

 ラスキンは、ゴチック建築は第一にその独創性のために、第二に奉献の気持のために美しいのだと唱えた。それは儲や利益を全く念頭におかず、父や兄の戦死を記念するために、全然無報酬で働いた人々によって建てられた。村々のギルド組合の人々が、自分の村の人々の死をいたんで、色々なものを無料でさゝげた。塔の金具はどの村、窓の装飾はどの町、聖壇の彫刻はどの村というように、信仰をきそって献納した。それだから一つ一つに変った独創的な心がちりばめられている。しかも退いて眺めると厚い信仰によって結ばれた統一がちゃんととれている。見ておれば見ておるほど、面白い独創性と統一性との調和がある。

 その上、ゴチック建築は生命を非常に尊敬しており、建築中屋根から落ちて死んだような人は、その姿が柱に刻み込まれている。人格の尊重、労働の奉仕、創作の意慾、芸術の美、設計の真理、それらが完全に調和されてゴチック建築の美が生れた。従って信仰中心である。信仰を中心としない芸術は真の芸術ではないとラスキンはいった。宗教芸術が彼の後に、大きな復興の気運を見せたのも偶然ではない。唯物主義と独裁主義では、真の芸術は生れず、芸術性の没落以外に何物もないことが最近の歴史的事実を通して明かに示されている。それでラスキンの芸術創作論は今も強い発言権をもっているのである。

 ルネッサンスの時代になると、ギリシヤ文化への模倣がはいって来て、独創性が再び行衛(方)不明となった。その時代のことを知るのには、英国の作家エリオットのかいた「ロモラ」という小説を読むといゝ。二十年ほど前に、私はそれを訳して出版したが、その宗教小説は、ルネサンスの波に乗ってギリシヤ文化を軽薄な気持で模倣する。宗教と人格を無視している青年と、フロレンスの宗教改革者サボナローラから強い感化をうけている、ロモラという女性との交渉を通して、サボナローラの性格と、当時の時代とを巧みに描いている。
 当時は、模倣と虚偽と闇とが横行していた。地中海の沿岸からあらゆるものを集めて、成金的な贅沢さをもって美しい家を建てた。大理石でも、赤、青、黒、白、茶、鼠と何十種類というものが用いられている。私もそれには驚いた。しかしそこに真実の美は見出されない。

 ルネッサンスの前期は、まだいゝが、ルネッサンス後期になると、全くひどい。年がたつにつれて、きたなくなる塔がゆがんでくる。きたなくてみられない。しかも修繕さえ出来ないのである。ラスキンはかつてイタリーを旅した時に、雨の日サン・マルコ聖堂を訪れたが、その玄関にチントレットの有名な壁画が、雨にぬれて黒くなっていた。大変惜しいと思ってよく見ると、屋根裏のセメントを塗ってしっかり堅めておくべきところを、ごまかして手が抜いてあるために雨がもるのであった。

 信仰を基礎とせず、金に任せて建てたものは、外観がいくら堂々としていても、労働と美とがしっくり調和せず却ってちぐはぐな粗雑なものとなってしもう。千年に亙る建築を歴史的に研究すれば、その建築史を通じて、精神の歴史がはっきりする。衣裳の奥に精神があるように、建築の奥にも精神がはっきり見える。建築は建築者の心によって上品にも下品にもなるものである。建築は、石とセメントと材木と金具とだけで造るのではなく、これを用いる心が建てるのである。そこに目的撰択、意味の世界が存している。美のために美の模倣をことゝしたルネッサンス建築は美その物さえ失ってしまった。ラスキンはこの点を「ヴェニスの石」において、はっきりと教えた。

 関東大震災の時、堂々たる姿を誇っていた丸ビル、郵船ビルなどの、窓という窓はみなひびがはいってしまった。ところが、芝の増上寺や上野の寛永寺などはびくともしなかった。信仰によって建てたものは、時代の破壊に超越し、信仰をもたぬ建築はすぐやられてしもう。信仰を否定する唯物弁証法だけでは、真の美と文明はあり得ない。ラスキンはその精神を明確に主張したのである。

  唯心的経済史観とラスキン

 芸術を論じ、建築を論じている間に、彼は一歩進んで経済を論じ、社会を論ずるに至った。従って彼の経済論は、「近代画家論」や「ヴェニスの石」に於て発展して来た精神を重んずるもので、生命、芸術、人格を中心として構成されている。唯物的に経済を研究することしか知らなかった当時の経済学界においては、全く独創的な立論であった。なかでも有名なのは、「Unto this last」(至後者にも)で、マタイ伝二十章一節から二十節にあるキリストの譬話の解釈である。

 ブドー園の持主が、朝早く一人の労働者を一デナリの賃金約束で雇った。正午にも午後にも夕方にも、それぞれ一デナリずつの契約で労働者を雇った。そして夕方に賃金を渡す時に、みんなに一デナリずつを支払ったところ、朝から働いていた男が文句をいった。自分は朝から働きつゞけているのに、夕方からきて二、三十分しか働かぬ者と、同じ一デナリでは割が悪いという不足である。成程理窟の通った話のようであるが、雇主は一デナリずつの約束をして、約束通り支払っているのだから少しも不正をしていないとさとしたという譬話である。

 これを論じ、労働の賃金は生命と人格の保全のために支払わるべきものである。労働者一人一人が生きてゆけることゝ、幸福を与えられることゝが最も大切であるという真理がこゝに示されている。それ以上を要求するのは贅沢であり、我儘である。今日最も注目されている社会保証法の真理をはっきりとラスキンは述べている。信仰を中心にしながら、最も科学的に論じ、科学的にキリスト教文学の基礎をすえたのは、彼の非常な貢献である。この点に於ても彼が誠に偉大な学者であり、予言者であったことは否定できない。

 聖書の黙示録は、すぐれた一種の歴史哲学である。人間性の智と情と意とが極端に活躍して神への反抗をつゞける状態が巧みに記されている。智識からいえば虚偽の宣伝をやかましくつゞける蛙があり、情的には邪淫をあらわす蛇が盛んに働き、意志の方面では権力と暴力の表象である獣が猛威をふるってあばれまくる。しかしこれらの三つのものが、どれほど発達しても、真の文明は進歩しない。堕落と破壊と崩壊と混乱とがまき起るばかりである。

 却って集団性をもつ、柔和な小羊が最後の勝利を得ることによって、初めて文明が進展する。その歴史の経過を黙示録は、巧みに描いている。小羊が、蛙、蛇、獣、竜と数回も激しい戦を繰返えす。そして毎回の初めに小羊が神を礼拝し、礼拝が終ってから雄々しく戦をいどんでゆく。

 その礼拝の一つ黙示録五章をみると、面白い記事がある。巻物があって、その裏と表とに文字がかゝれているけれど、封印がしてあって、開いてよむことが出来ない。大声が「巻物を開きてその封印を解くにふさわしき者は誰ぞ」と叫んで、意味を知りたいと思ったが、天地のうちに誰一人といてくれる者がなかった。それで悲しくなって泣いていると、長老の一人が「泣くな、みよユダの族の獅子、ダビデのひこばえ、すでに勝ちを得て巻物とその七つの封印とを開き得たり」といったと記してある。

 これは歴史の発展にはその表徴の奥にある意味がある。ちょうど巻物がだんだん開かれてゆくように、歴史は目的に向って意匠によって展開してゆくのである。しかしこれをよろこんで説明するものがなければ、有限な人間には到底理解することができない。ラスキンは近代文化の歴史のうちに、はっきりと自然と経済の世界において、物質の奥に深い精神的な意味のあることを示してくれた。キリストの心をもって、自然を見る所に、真の美が発見せられ、手にて造らざれる自然にのみ、永遠の美のあることを教えてくれた。またキリストの愛をもって、自分の心にうつった美を再構成しなければ、真の芸術も真の経済も生れないことを主張した。これこそ巻物の封印を解いてくれた近代的天使の声である。

 日本がもしこれに気づかず、奴隷根性に堕落し、唯物論に走って創造力を失ってしまえば、日本の文化は枯死してしもう外はないであろう。ラスキンの記念の時を迎え、私は二十数年前イギリスを訪問した時、ラスキン大学を訪れ、エリザヴェス女王の泊られた部屋に寝させて貰ったことが思出される。ラスキン大学は、労働者の大学で、労働党出身の国会議員は皆こゝに学ぶ義務を負わされているということであった。それなら一般の大衆も労働党を信用するであろう。イギリスでは無責任な共産党の言葉には耳を傾けない。

 日本では労働者の見識がまだ低いために、共産党員のいうことに、好奇心からついてゆく者もあるけれども、ラスキンの如く、歴史の巻物の封印をといてゆく者の声に従い、唯心論的に物を考えてゆき、反省して新しい世界国家を建設してゆきたいものである。  (一九四九年六・七月号)