日本の将来と基督精神 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九四九年六・七月号)
日本の将来と基督精神
――日本の基督教よ! 何処へ行く?――
ユダヤ民族の宗教的精神
ユダヤ民族の歴史は、奴隷解放から始まっておる。その解放は、武力や権力による闘争でなく、神の守護と指導とを信じて、民族全体が砂漠に逃げこんだのである。彼らはやがてパレスチナの、九州よりも少しせまいくらいの土地に、人口二百万足らずの小さい独立国を建てた。そこは、日本の二十分の一しか雨が降らぬ砂漠地帯である。だから、断続的に饑饉がおこる。ユダヤの歴史は饑饉の歴史だ。加うるに、四隣には、侵略的な強国が相継いで勃興した。
英主ダビデの統一した王国は、孫レハボアムの代に、南北二つに分裂したが、北王国は、紀元前七二一年に、アッシリアに亡ぼされ、南王国は前五八六年、アッシリアを亡ぼして、チグリス・ユウフラテスの河畔に、国を建てたバビロニアに亡ぼされた。バビロニアは更にペルシャに亡ぼされ、ペルシャは叉アレキサンダーに征服され、その死後ユダヤ民族は、シリヤのアンチオカス・エピファネスの支配を受けるに至ったが、この時代に祭司マッカビーの一族が奮起して、独立戦争をはじめ、約一世紀間独立を恢復した。
前六三年ローマの将軍ポンペイはエルサレムを攻略し、こゝにユダヤ民族は、完全にローマ帝国の支配下に入り、国民は諸国に流浪し、二千年間亡国民の生活を続けたが、此度祖先の故地に、イスラエル共和国を建設して、再び独立を恢復した。
ヒッタイトの如き、古代において相当優秀な文化をもった民族が、全く滅亡してしまっておるのに、ユダヤ民族が国家を失っても、なお民族として二千万の人口を維持し、二千年振に独立国家をもつに至ったのは、世界歴史に類例のない事実であって、その原因の最大なるものは、この民族のもつ宗教的精神に外ならぬ。
殉教者の屍を踏み越えて
キリストは、ローマ帝国支配下のユダヤに生れた。この時代にも、ユダヤには、度々独立連動や反税運動が起った。そこに、キリストが現れたので、民衆はキリストを革命運動のリーダーだと考えた。福音書を見ると、五千人の大衆が、革命運動をやるつもりで、三日三晩飲まず食わずで、キリストについて来たと書いてある。これだけで、キリストは殺されても仕方がなかったわけだ。
しかし、キリストはそうした現実主義の革命運動はやらなかった。真の革命は、衷からの魂の目覚め生れ更りから始まると彼は考えた。そこでキリストは、民衆の罪を負うて神に赦罪し、建国運動の代りに、魂の救済運動を始めた。これがほんとうの解放運動だと信じたからである。
この精神的な革命運動が、キリストの死後ローマ帝国内に侵入し、帝国を内部から革命しようとした。そこで、この運動に対する弾圧が生じた。三百年間に十回の迫害があり、四百万の信徒が殉教した。当時の信徒は無産階級の者が多かったが、彼等は殉教者の屍を踏みこえて、熱心に伝道し、自分達の間では、あたゝかい相互扶助の生活を営み、異教徒の間へも愛の手をさしのべた。
紀元三一三年、コンスタンチヌス帝の発した、ミラノの勅令によって、キリスト教徒は信仰の自由を獲得し、キリスト教はやがてローマ帝国の国教となった。帝国は政治の腐敗が原因して、ゲルマン族のために亡ぼされたが、キリスト教会は国家に代って、ローマを護り、ゲルマンの蛮族を教化して、キリスト教徒とならしめた。
民主主義と宗教の改革
中世紀は、カトリック教会が、完全にヨーロッパの精神生活を支配した時代である。哲学も科学も、教会の奴僕としてのみ存在を許された。教会のドグマに反する思想や学説は悉く弾圧された。法王は各国の元首の上に、絶大な権力を揮い、教会は巨大な政治組織をつくり上げて、だんだんと堕落して行った。
しかし、その間にも各地の修道院や、ドミニカン、フランシスカン等の托鉢教団の中には、美しい信仰と愛の花が咲いていた。多くの信徒達が真剣にキリストの足跡を辿ろうと努力していた。それがルネサンスの自我の目覚めと相待って、ついに宗教的改革の炎となって燃え上った。ルッターは、修道僧の苦しんだ霊肉相克の問題を、贖罪愛の信仰によって解決し、霊肉一如の生活を提唱した。
民主主義の発達は宗教改革と密接な関係がある。改革を受けいれた国々には民主主義的思想が発展し、民主政治が実現した。そうして道徳的にも、政治的にも最も健全な国家となった。英国民は今次大戦に非常な犠牲を払い、戦争には勝ったが、国民挙って今なお耐乏の生活を続けておる。然し法律や規則はよく守られ、犯罪もヤミも驚くばかり少い。政党も労働組合も精神的な要素を多分に蔵して、健全な中道を歩んでおる。現在では労働党が政権を執っておるが、民主的なやり方で、国内に少しも混乱を起さず、着々と社会主義政策を実現しておる。社会主義というと、日本では直ぐマルクシズムを連想するが、英国の社会主義は、キリスト精神に基礎をおく、自由主義的社会主義である。
日本再建は魂の内側から
スカンジナビヤ諸国の社会主義もまたキリスト教社会主義である。この国々でもキリスト精神が国民の精神生活をリードし、社会民主主義が政治を支配しておる。物心いづれの面を見ても美しい限りだ。デンマークの面積は北海道の半分くらいだが、現在北海道が六万の乳牛を持つに対し、デンマークは三百万の乳牛を持っておる。協同組合が発達して、全国を貨幣を持たず、伝票だけで旅行することが出来る。デンマーク人は、日本人の如く飲酒せず、性病も殆んどない。だから精神病者、白痴、低能児等も皆無に近い。
敗戦国日本の再建は大事業であるが、これを唯物的な思想でやったら必ずゆき詰り、混乱を生ずる。メキシコは世界で最も模範的な憲法をもっておるが、三十年間に三十一回の革命をやって、いつになっても民主国家になれない。健全な宗教精神を基礎とし、人格主義、愛他主義、協同主義でゆくのでなければ、日本の再建は出来ない。立派な法律や規則をいくら多く作っても、魂の内側からの革新がなかったら、悉く死文となってしまう。
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発明や発見がなければ、社会は進歩しないが、精神の自由がなければ、発明発見は生れない。エジソンは、発明的精神は宗教的精神と結びつかぬとダメだと云ったが、欧米の偉大なる科学者は多くは神を信ずる人々である。アインシュタインの如きも、敬虔な信仰をもっている。キリスト精神の支配する民主主義国に、発明発見の多いのは、決して偶然でない。
日本は、明治維新以来戦争を度々やって、国民の精力を戦争と、戦争の準備にのみ傾注して来たが、敗戦の結果陸海空軍を全廃して、世界最初の非武装国家となった。これから先は、いままで軍備につぎこんだ時間も金も精力も、悉く学問芸術文化の興隆に用うることが出来る。科学が進歩し、発明発見が続々と出来るようになれば、食糧も増産されるし、衣料や住宅の問題も追々と解決されて行くであろう。しかし、それには国民が、もっと道徳的に目覚めて御互に人格を尊重し、法律を守り、酒をつゝしみ、純潔を尊び、扶け合いをする精神が培れなければならない。この精神は健全な宗教信仰の背景なくしては育たない。 (一九四九年六・七月号)