世界連邦国家の発明 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九四九年九月号)

  世界連邦国家の発明

 自然科学が発達する程度に於いて、社会科学が発達するならば、世界の戦争も流血革命も、ないはずである。レニンは、暴力の組織化を国家と云っている。そして、レニンに追従するものが多い。然し私は、暴力の組織化を社会科学と云う事を、許してはならぬと思う。医学は、生命を保存することを目的にしている。もし社会科学が、人を殺すことを目的とするならば、医学に較べて恥しいことである。社会学は、連帯意識性に依って、社会を進化せしめる学問である。それには少なくとも、歴史的発展と心理的比較と、更に未来に向って「かくあらねばならぬ」と云う予見をなすべきである。

 自然科学は、予見をする。自然法則は、未来に対する予知を含んでいる。社会科学も、この予見が出来なければ、自然科学に劣る。自然科学は、恐ろしい雷を、屋内の燈用と化した。もし、社会科学が恐ろしい戦争を廃止して、そのエネルギーを人類進化の為に用いることを忘れるならば、社会科学程つまらぬものはない。この点に於いて、マルクス主義やレニン主義は、落第である。

 人類は、昔部落同志戦争していた。それが今日では、連帯意識が拡って、国内戦争は暴力革命の他は、なくなってしまった。そして曲りなりにも、国際連盟国際連合の組織を経て、世界連帯国家の組織にまで、発展せんとしている。もし世界連帯意識性が発達し、その経済的、科学的連帯が戦争を無用とする方策を編み出し得るならば、その種の社会科学の発見は、電信電話の発明以上に、人類にとって幸福をもたらすものである。

 社会科学上の発明を笑ってはならない。近代国家の三権分立の制度も、発明せられたものである。社会保険制度も、労働組合もさては、又協同組合のロッチデール原則も、皆発明せられたものである。我らは、世界連邦国家を発明する必要がある。  (一九四九年九月号)

  精神運動としての世界連邦

 二十世紀の名著と云はれるアノルド・トインビー氏の「歴史の研究」は在来の歴史学者とは全く違った結論を持っている。

 彼は文明の発生を環境や、人種に重きをおかず、それと反対に逆境に打勝たんとする人間の努力に文明史の曙を見付けている。この目的論的方法論を歴史論に組入れることは、あまりにも当然ではあるが、十九世紀の唯物史観的方法論に慣れて来た歴史学者はトインビーの思い切った唯心論的態度に反抗するかも知れぬ。だが、彼の云い分を深く研究すると、私は結局に於て、人類文化が、唯物的所産でなくして、全く人間意識の努力にあることを認めざるを得ないと思う。

 トインビー氏は、戦争の発達史を詳かに検討して、この結論は文化の破壊に終っていることを我々に注意する。トインビーは連帯意識の誕生が、十字架意識の如き形態に到達しなければ、文明に永続性の無いことに思い到ってゐる。彼は文明の崩壊は、精神分裂的自壊作用にも大きな責任のあることを指摘し、マルクス唯物史観に反対している。

 世界平和を世界連邦の形に纒める運動も、トインビーの指摘する傾向心理としての歴史学の方向を無視しては可能ではない。その方向は合目的性運動としての世界連邦運動が充分意識的な、そして、道徳的内容を持たねば成立がおぼつかないと云うことである。世界連邦運動は、先ず、我々の精神運動として出発しなければ、単なる政治運動としては恐らく永続しないのではないかと思う。「愛は永遠におつることなし」である。連帯意識運動として世界国家を意識しなければ、その実現は不可能である。  (一九四九年十月号)