日本新憲法再改正の必要性 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九四九年十一月号)

  日本新憲法再改正の必要性

 新しく出来た西ドイツ連邦共和国は初めから世界連邦加入の目的を以つて、軍事、外交に関する限り主権の一部を削ることを規定してゐる。フランス新憲法も、またイタリアの新憲法も同一のことをその憲法に規定し、主権の一部を削り、軍事外交に関する権限を世界連邦に譲るべきことを唱えている。

 日本の新憲法は永遠に武装を解除した。だがもし、「世界連邦」の如きものが出来なければ、日本の平和はすぐ侵略国に破壊されてしまうであろう。

 一九三九年六月二十一日、ポーランドがドイツの侵略を受くるや、否や、ロシアは、エストニア、リトビア、リサニア、フヰンランドを東部ポーランドと共に領有せんことを欲求し、無案内で、その領土を侵し、フヰンランドを除く、四ケ国はロシア共産軍に占領せられ、エストニア、リトビア、リサニアの三国は永久にその独立性を失ってしまった。その悲劇を知っていた西欧の小国家群は、本年春北大西洋十二ケ国協約なるものを成立せしめた。だが、北大西洋十二ケ国協約なるものは戦争の可能性を思わしめこそすれ、永久平和の工作ではない。
 どうしても世界連邦を樹立せしめなければ、地上に人類平和の秋は来ない。だが、徒らに、七十足らずの国家群が、絶対主権を振り廻して戦争をしている間は、世界平和は空想に等しい。

 明治維新当時、三千余万の同胞が廃刀令に服した如く、六十有余の国家群も、新しく国家としての廃刀令に服す可きである。日本は国家としての廃刀令を実施している。この上は、武装せる国家群も日本に習って、世界連邦を組織し、軍事外交に関する主権を削り、国際間のいざこざは世界連邦裁判所に譲り、世界警察制度を以って、各国の軍隊組織に置換ゆ可きである。故に、日本も速かに、世界連邦に参加する為めに憲法を改正すべきである。  (一九四九年十一月号)

  世界平和と教育の革命

 人間は生れて死ぬ。徳川幕府二百五十年間に、十五代変っている。社会的遺伝は、教育と宗教による他道はない。だから平和教育なくして、永遠の平和はあり得ない。日本は憲法の変るまで、小学校から大学に至るまで、軍国主義の教育ばかりして来た。先ず、生物学に於いては、生存競争の原理のみを教え、中学校に入っては、兵武体操を課し。高等学校に入っては、野外演習に出掛け、歴史には戦争史を教えて、平和が文明の基礎であることを無視する様に教育した。だから、日本に於いては、平和に関する思想の革命と、教育の革命とが要求せられる。

 生存競争は、絶滅競争ではない。生物世界は、生存競争を、最小限度に制限するため、色々の枠をもうけている。空間的枠、時間的枠、本能の枠、温度、湿度、気圧、光線、水圧、水素イオンの量等によって、生物は生活の枠を与えられている。植物の百数十万種類のものは、動物の如く肉食はしない。無機物から食糧を取り、その栄養分を動物に送る。だが、動物は、植物を絶滅させるだけの力を持っていない。そこに不思議な統計的な調和がある。プランクトンも、みゝづも、なまこも、生存競争に耐え得る武装はしていない。然し、これらの下等動物が、亡び去ったと云うことを聞かない。かえって、中世代の大とかげは絶滅し、第三紀層の猛獣がだんだん進化して、菜食動物に変化した事実もある。

 何故日本の生物学の読本はこの事実を教えないか? 剣によって立つものは、剣によって亡びる。これは、生物進化の場合に於いても、決して見遁せない事実である。天は、卵の進化、胎盤の進化、母性愛の進化、乳腺の進化、夫婦愛の進化、友愛の進化、社会愛の進化に依り、見えざる保護を以って、生存競争より生物を護り、愛の領域を広めて、意識的に平和をもって生存競争に置きかえようとする努力をすら示めしている。平和教育は、この天が我々に指示する平和意識をもって、生存競争を人類相互の間より、絶滅しようと云う運動である。この為にこそ、我々は永久の平和教育と、平和に対する思想の革命を必要とする。  (一九四九年十二月号)