社会科学の進歩と世界連邦 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九五〇年一月号)

  社会科学の進歩と世界連邦

 世界連邦運動に、三つの大きな反対論がある。第一は哲学的反対論である。主として生存競争の哲学より平和運動に反対する。第二は感情的反対論である。人間の努力で世界平和は来ない、神のみが平和を与え得るものとして、世界の終末を待つ外無いとする。第三は倫理的反対諭である。人間は生れつき性悪であって、平和的な行動の出来る動物ではない。飽迄暴力組織による国家形態で人間行為を取締る外、道は無いと考える。私はこの三つの主張が局部的に考えて一つ一つ理由のあることを認める。だが、世界連邦による平和運動はこの三つの理由を完成する運動でもあることを認識すべきだ。

 生存競争を制限する為にこそ、世界連邦が必要なのだ。食人種より、互助組合を持っている文明人が生存の可能を多く持っている。また封建時代に不可能と見られた飛行機文明が可能になった。空をさえ飛べる時代に、人間同士が平和を持ち得ない道理はない。また赤ん坊時代から世話したライオンが、人間を噛まないことを見ると平和敵育と平和宗教が徹底すれば世界連邦は出来る。だから、平和教育と社会科学の進歩と平和哲学の再出発により、世界連邦は可能であると云わねばならぬ。  (一九五〇年一月号)

  地球の縮小と世界連邦

 東京からロンドンまで飛んで見て感じることは、地球の狭いと云うことである。東京より香港まで飛行機で九時間、香港よりバンコック四時間、泰国首府バンコックとビルマ国首府ラングーンの飛行距離一時間半、ラングーンと印度カルカッタ四時間半、カルカッタよりパキスタン首府カラチ六時間半、印度の西端カラチよりペルシャ湾バスラまで六時間半、ペルシャ湾頭バスラよりエジプト国首府カイロまで四時間半。カイロよりイタリー国首府ローマまで六時間。ローマより英国ロンドンまで僅かに四時間で到着した。合計四十六時間。二昼夜と二時間である。こんな狭い地球で、国境を相争い、戦争を繰返すことは恥しいことである。ヂェット式ロケット飛行機であれば、恐らく東京よりロンドンまで、二十時間で飛ぶであろう。戦争するより互に相愛したが善い。蝸牛角上の争いをすれば、全人類の滅亡も近いであろう。(ロンドンにて)  (一九五〇年二月号)

  黙示録の社会哲学

 新約聖書黙示録は、新世界の方面を暗示する尊い社会哲学である。それは人間の歴史が終末論的歩みをするものであることを教えると共に、その後に来る新社会が如何なる形である可きかを暗示している。人類歴史が、決して平坦なる上昇曲線を画かずして、常に急カーブを以って屈線的に上下するものであることは、歴史を読むものが気付くところである。黙示録は最も劇的に之を指示している。それは楽天的な進化論を根底にしないで、人間心理の弱点が、邪淫と無智と暴力に支配され、社会連帯性の上に発生する真正の社会を組織するには相当の屈折があることを予想している。黙示録の著者は唯一の理想社会を画いている。それは我らの考えている世界連邦の構想に近いものである。それは柔和なる小羊のみを以って組織さる可き社会であることを予想する。世界連邦の基礎も「柔和」そのものであり、「連帯性」そのものであらねばならぬ。之に反対するものは無智なる蛙、邪淫の表徴である蛇、理性を欠く野獣性である。

 世界連邦の結成に最も妨げになるものもこの三者である。故に世界連邦が出来たからと云って、すぐ天国は来ない。「無智」と「邪淫」と「野獣性」との戦いは永遠に残る。世界連邦運動はこの覚悟が始めからいる。  (一九五○年三月号)

  恒久平和の保障

 日本は永久の戦争放棄により、新しい人類文明の創造に貢献し得る可能性の鍵を把握したのである。この驚くべき神の国実現の最尖端を、日本が切りひらき得ることの光栄を、我等は意識すべきである。日本は、その目的に向って、いま突進しつゝあるのだ。

 歴史は、マルクスが云ふ如く、唯物史観的なものではあり得ない。歴史の刻む進歩は、物質の進歩でなくして、内的意識の発展の外的顕現である。従って、平和国家の要望も、内的意識的確立なくして、決してその永久性を保持することは出来ない。

 結局するところ、社会を造らんとすれば、社会連帯意識を極限まで高めた贖罪愛意識のほかに、その完成の方策はなく、歴史は、この贖罪愛意識によるほかに永久の平和と絶対的平和国家を創造する途のないことを物語っている。

 故に、今日までの凡ゆる主義と思想は、それが共産主義であろうと、ナチ思想であろうと、ファシストであろうと、社会民主主義であろうと、区別なく、傷つける霊を修繕し、補修せんとする大愛の外に、個人的にも、家庭的にも、社会的にも、世界的にも、永久の平和を保障する方法はない。

 いまこそ日本は、歴史の発展に信頼して、武装による文化発展は、人類を窒息にこそ導け、決して人類を解放し、人類を戦乱と内乱の悲劇より救済しないことを自覚したのである。

 我等は、も早や、文化の維持のために武力を信用しない。日本と我らは、恒久の平和国家の組織力にのみ、人類進化の約束が秘められていることを信ずるものである。  (一九五〇年四・五月号)