平和へのたたかい 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九五〇年六月号)

  平和へのたたかい

 ライン河畔をケルンからボンまで走り、ゴテスボルグの丘の上にある大統領官舎で、ホイス西独大統領と会って、聞きえたことの一つは、この国において共産党が、だんだん勢力を失っておることである。このことは東ドイツでも同じであり、「もともと社会民主党は歴史的にも、理論的にもマルクス主義を基調にはしているのだが、実際的にはマルクス理論では、まったくやって行けないし、説明のできないことばかりだから、今では、此の党すらマルクス共産主義理論からは全く遠ざかっている」と、温厚な白髪童顔の経済学者であるホ大統領は語る。

 唯物的共産主義では、この世界の救いは、出来ないのである。

 キリストによる愛は創造的であり、再創造的である。愛は世界を新しくする。十字架意識こそ、世界に平和をもたらす秘鍵である。

 第三の世界戦争のないようにするためには、死にもの狂いになって、十字架のための闘争を、いどまねばならぬ。

 平和は与えられるものでない。平和の前提が正義である限り、正義は戦いとられねばならぬ。しかも、その闘争は武力抗争でなく、どこまでも愛――十字架意識のほかにないことを主張する。  (一九五〇年六月号)

  世界平和と労働者

 労働運動は単なる唯物主義の運動に止まっていてはならない。労働運動の目標は、まだ現実に見ぬ世界、可能の世界、理想の世界への道につながっている。そしてそれは、絶えざる努力と、精神的発見と、発明によって切り開かれる。

 日本の労働組合は暴力的唯物主義を斥けて、互助と奉仕の精神を堅持し、労働の尊厳を意識しつゝ、労働意欲を盛んにし、世界平和を理想として進まねばならない。無戦日本の労働組合の動向は、日本再建の原動力となるのみならず、世界平和の推進力となるのだ。日本の労働組合は世界国家の建設と、世界民主の実践を目ざし、高き理想に燃えて前進すべきである。

 日本労働総同盟が、世界平和への熱心なる要求を議決したという報道は、いたく、わたくしを喜ばせてくれた。真の世界平和を建設する者は、労働階級以外にはない。それだけに、労働組合の世界平和に対する貢献は多くを期待される。日本の六百五十万の労働組合員が団結して、大きな希望と熱意をもって、世界国家建設を目指して進むなら、それこそ、世界を動かし、世界平和実現への大きな力となるに違いない。

 世界の黎明を呼び醒ます者は誰ぞ! 人類を破滅より救い、人類を解放する者は誰ぞ! 労働者よ、汝はその人ではないか。(一九五〇年七月号)

  暴力革命と日本

 三・一五事件における徳田球一氏の陳述の中に、「ブルジョア国家機構を破壊して、新らしいプロレタリア国家機構を作らねばならぬ。ブルジョアに対する根本的な闘争は、大衆闘争であり、その最高形態は内乱である」という一節があるとか。これは、今回のマッカーサー元帥の共産党中央委員追放指令の「破壊的手段によって社会的混乱をひき起し、暴力により立憲政府を転覆せしめ云々」を、肯定しているに均しい。

 しかし、追放指令や、これにつゞく政府の処置だけで、この内乱の危険が除去できると思うなら、愚かである。党活動の地下潜入により、危険は今後増大するのみだ。しかも、わが国民は感情に走り易く、現に最近三十年間に、七人もの総理大臣を殺傷している国民である。そればかりか、現時日本の哲学、文学、教育、宗教が、疑惑的、無神論的で、革命前夜のフランスに似ている、とさえいわれる。もしこのまゝで行くなら、日本が、暴力革命に突入する危険なしとは、誰が保証できよう。

 日本国民は。フランスの社会革命の後を、追ってはならぬ。イギリスの精神革命をこそ、学ぶべきであろう。外的暴力革命を避けるために、まず内的革命を準備せねばならぬ。

 精神革命による神の国と、その正義を求めよ。そして、この精神革命の運動は、「言葉、行為により、その才能に応じた生産労働を以て、現在及び将来の人々の精神的、物質的進歩のために奉仕せんとし」また「人にせられんと思うことを人になし」さらに「暴力を禁絶」する世界国家の組織によって、一大進展を見るであろう。  (一九五〇年八月号)

  世界的精神の亡失

 真理とその光明に国境はない。だのに、日本の軍閥は、太陽と月は、日本の所有に属する、といって国民に教え、自ら万邦無比と矜って国境を高く構築した。敗戦によって、この高慢の鼻は、へし折られたが、国民の間に、なお世界的精神と人類的良心が亡失していて、その視野は依然として狭く、且つ低い。

 見給え隣国が侵略されて一国の安全が危胎に頻し、国連軍の出動をさえ見ているというのに、これにより漁夫の利が得られると、北叟笑む算盤のウジ虫や、わが剣鳴ると、いきまく勇士? もあるという。それが日本人ではないのか。

 われわれは、国境を越えて、人間同志堅く手を握りたいのだ。百万の軍隊を再編成して国境の彼方へ送る代りに、百万の愛の使者を世界に送りたい。そして日本人に世界的精神と人類愛のあることを、世界に向って示したい。われわれの間から、聖徳太子弘法大師を甦らせねばならない。

 日本は今日まで、世界に何の貢献をしたか。紀元を開いたか、暦を与えたか、代数を教えたか、プラトー、キリスト、釈迦を与えたか? 日本が世界的に偉大になれなかったのは、世界的精神が亡失していたからだ。人類的良心が稀薄だったからだ。永い間、鵜呑みにさせられて来た軍国主義の呪いが、深すぎたからだ。

 今こそ、日本はその鵜呑みにした毒を吐き出して、世界的精神を、人類愛のいぶきを、腹の底まで吸いこむ時である。  (一九五〇年九月号)

  無戦世界への進化

 ブロッホは機械力の発達の結果、未来の戦争は不可能だ、とした。またノルマン・エンゼルは、経済的重荷のために、戦争は不可能になるといった。しかし、戦争したい人間は、人類最高の完成のためだと潜称し、世界観を異にする人間に、無警告砲撃をしかける。わたしは、機械の発達や経済問題から、戦争不可能論を唱えることをしまい。

 たゞしかし、戦争が、人間の社会組織の進化から、漸次、数を減らして行くという一説は、信じていゝと思う。昔の種族対種族、封建諸侯対封建諸侯の戦が、国家対国家の戦となり、同盟国対同盟国の戦に進み、さらに、国連対一国(背後関係はしばらく措く)に進化したことは、否定できない事実だ。

 わたしは信ずる。これが、さらに進化して、戦争のなくなる時代が来る。ということを。そして、それは、世界連邦の樹立によってのみ来るのだということも――。

 世界連邦警察軍が、国連軍にとって代る日が、一日も早く来るように! 首狩りのような侵略戦争は、もう消え失せている頃ではなかろうか。  (一九五〇年十月号)