集団保障の進化と世界連邦

  集団保障の進化と世界連邦

 屈折、歪曲はあっても、とにかく、世界における集団保障の範囲が拡大しつゝ、進化していることは否定できない事実である。むかし一国の領土は、一日の旅行の範囲によると云われたが、馬や人間の走る範囲は限定されていた。それが、汽船や汽車の進化となり、自動車、飛行機の発達により、政府の支配力は増加し、社会の組織が容易になって来た。さらに無線電信、電話、テレヴィジョンの進歩により、世界は全く縮少しつゝある。それだけ社会結束力と統治力も増大して行くわけである。

 今日の科学の進歩と、その反社会性兇器の進化も、社会性を帯びると共に、集団性を増加して行く。之を第一次世界大戦の後と、第二次世界大戦後に於ける人間社会の集団保障の論議の主題に考えても、驚くべき変化を認める。フランスの「主権の制限」や。「世界市民権(ワールド・シチズンシップ)」「世界統轄地権(ワールド・マンデートシップ)」の主張にしても、第一次世界大戦後には夢にも考えなかったことである。

 それだけ、覚束ないながらに、人類意識が進化し、覚醒して行っているのである。人類の自然科学の知的進化は、全人類の社会連帯意識性を必然的に覚醒せしめないではおかない。こゝに世界連邦意識が基礎づけられ、この世界連邦の自治的発達に妨害となる反社会性の行為に対して、集団保障の範囲が拡大されるのである。

 今次の朝鮮事変に対する国連軍の活動は、この世界警察隊の意識に、一大飛躍を与えたものと云えよう。世界連邦は、かくして、必然的に出現する。  (一九五一年十一月号)

  征服国家と世界連邦

 第一次世界大戦の後、ヴェルサイユの平和条約で、小民族の自由が認められ、バルチック海の沿岸に、五つの独立国が生れた。フィンランドエストニア、リトビア、リサニア、ポーランドであった。ヒツトラーが、スターリンと密約を結び、ポーランドの廊下と称せられた細長いポーランドの領土を占領するとともに、ロシヤは先ずポーランドの東半分を占領した。そして時を移さず、エストニア、リトビア、リサ二アの三国の独立を取り消し、その国家主権は永久に奪い去られてしまった。

 バルト海の沿岸にあるこの三つの国の人口は、約一千万人である。この三国を動員して西独乙をおびやかすであろうと云う噂が、去年(一九五〇年)十二月、米国に響いて来た。それで、突然米国は「非常時」を宣言し、アイゼンハウワー元帥を、パリーに派遣することになった。

 これを見ても判る如く、ロシヤの主張する平和政策は、首尾一貫したものではない、勝手な時に平和を説き、その次には征服を計劃する。だから、たとえ、一時世界連邦が出来たからと云って、平和教育を怠り、世界連帯意識を見失うた場合、世界は再び封建時代に逆転するであろう。

 こう考えると、暴力で作る世界国家は永久性を持たない。ただ宇宙意識を教え人類同胞愛の意識を持つ者のみが、世界国家を創造し得る者と云えよう。  (一九五一年十二月号)

  平和憲法を護れ

 日本としては破天荒な新憲法は、世界を驚かしむる程度の、革命的精神を包蔵している。「日本は永遠に武器を放棄する」――と云う日本新憲法第九条は、人類歴史始まって以来、かつて無き大胆不敵な声明であった。

 それを、みすみす五年か六年後に、他人の誘惑にかゝって放棄せんとする、みすぼらしき政党人のシミッタレ根性には、我らは、あいた口がふさがらない。憲法と云うものは、今日造って明日これを改訂すべきものではない。死を以て、これを守る覚悟があってこそ、憲法憲法たる所以である。

 国民総懺悔では足りない。人類総懺悔で臨むためには、日本の新憲法を世界に拡張すべきである。その憲法を守る為には、世界連邦を創造し、世界警察制度によって、平和の攬乱者を制肘すべきであって、「絶対主権」と称する暴力行使の誘惑にかゝってはならない。

 日本の警官が、全国到るところより募集せられるように、世界警察も、日本より募集されて少しも差支えない。しかし、それが日本だけの利益の為めに、軍隊を組織すべきではない。攻撃に転換する惧れのある制度は、この際、それが共産党であろうと、ナチスであろうと、中絶させるべきである。共産主義の誤謬は、その暴力の肯定の非論理性にある。

 我々は、日本の再軍備が唱えられる日に、それに超越して、世界国家に猛進し、国連を進化せしめ、世界国家にまで、もって行くべきだと思う。その為めにこそ、我らの血と肉を捧ぐべきである。  (一九五二年一月号)

 再軍備を笑う
   ――思想の威力を信ぜよ――

 再軍備は日本の逆コースである。文明の没落への近道である。陸軍十五師、海軍三十万トン、飛行機二千台を持って、満・鮮・中・比の憎悪を買い、貿易を失い、重税を求め、生産資本を消耗する企てをする日本再建への反逆は、赦さるべきではない。

 政治を「ショーギ」にたとえれば、新憲法第九条は「歩」が「金」に成ることである。思想による威力が、武力・暴力より強いことを信ずることである。ロマ帝国がキリスト教の前に屈し、近代国家が、科学的発明経済に屈服するのは、思想と、発明が、武力に勝るからである。

 日本は、軍事費二千億円を、発明の為めに投資すべきである。その威力の方が、原子バクダンを持たない再軍備に勝る。水力電源の金が無いと、もだえている日本が、何故消費的軍備に巨額の金銭を消費するか? 私は、その封建的思想に呆れているのである。世界連邦に日ざめよ! 世界列国の主権を制限し、協力一致の世界を創造せよ。その為めに、軍事費に消費する税金の一割を供出せよ。

 再び軍人が威張り、我らは再び刑務所に追いやられ、自由と良心が泣く為めの憲法改正に賛成するならば、日本は、世界の物笑いとなり、日本は、世界精神史より永遠に抹殺されるであろう。日本の若人は、再び徴兵を強いられ、子らを持つ母は、また永久に泣かねばならぬ。
 私は再軍備と新憲法の改正に反対する。  (一九五二年二月号)