デンマークの前進

  デンマークの前進
       ――コペンハーゲン世界連邦世界大会の意義――

 ヨーロッパ連邦の進展とともに、西欧の諸国は各々その憲法を改正している。オランダは、一九五二年の冬、その主権を制限し、ヨーロッパ連邦及び世界連邦の組織に突進することが明瞭にした。

 一九五三年五月二十八日、デンマークも亦その憲法を改正し、その主権に制限を加え、ヨーロッパ連邦及び世界連邦に参加する決意を声明した。

 之でヨーロッパには、イタリー、フランス、オランダ、デンマークの四ケ国とザアル自治領がヨーロッパ連邦に加盟することをその憲法によって明にした。

 この時、日本では再軍備の話が持ち上っている。敗戦の経験を生かして、世界連邦に移動すべきものを、一歩退却すると云うことは悲しい混迷である。

 デンマークは、自己の憲法を改正して世界連邦への途を開き、その主義に共鳴するものを、コペンハーゲンに集め、新らしき世紀の理想を現実化せんとしている。

 我々はその偉大なる出発に、敬意を表するものである。ローマは一日にしてならない。世界連邦もその完成のためには、人間意識の根本的改造から始めねばならない。

 自然科学の発達に比べて、人間意識の目醒めは非常に遅れている。しかし、一粒の麦が地に落ちることによって万粒が生ずる如く、日本の亡国によって、アジア連邦が生れ、世界連邦組織の糸口を見付けられるならば、なんと幸福なことであろう。  (一九五三年八月号)

  世界平和と三重の連帯意識

 世界平和の構想は、人類全体意識の拡大とともに進歩している。

 人類連帯意識の誕生は、有機的連帯意識、歴史的連帯意識、補修的連帯意識の三点にかゝって居る。有機的連帯意識は生理的社会に発生し、これが民族的に発展してきた。しかし生理的社会は必ずしも精神的な一致を見ない為に、むかしから兄弟喧嘩もおこれば同族間に戦争がおこった。ギリシヤの詩人ホーマーが書いた「イリヤット」は、王女の奪い合いが戦争の原因であった。それで生存競争と雌雄競争を超越して、社会連帯性が生まれてくればここに始めて内乱は静まり、国際戦争も止む目が来るのである。

 交通の発達、通信連絡の進歩、文化交流、経済組織の複雑化等によって、世界連帯意識が客観的に釘づけされると、戦争のおこる機会が滅る。

 明治維新前、三百諸公に別れていた日本が新政によって統一され、組織化し、教育、交通、通信、財政が、連帯的になると共に内乱は起らなくなってしまった。それが敗戦以後、階級意識によって騒擾を起すものがでてきた。階級意識を征服的に利用し、連帯意識と反対の方向に意識分裂をはからんとするならば、戦争は永久につづくであろう。

 しかし、母が子供の為に犠牲になる如く、時間の上に発展する歴史的連帯意識と云うものは、永遠になくすることはできない。一時代一局部における労働全酬権を主張するならば、歴史的連帯性は成立しない。母が子供のために犠牲になるごとく、勤労階級も次の時代のために時に応じては犠牲をはらわなければならない。此の歴史的連帯性のために、思い切って奉仕的に出なければ、民族の発展も歴史の進展もありえない。暴力的階級闘争論は、資本をにくむあまりにあらゆる資本を破壊せんとする傾向を持って居る。しかし資本の或るものは、歴史的連帯意識性の為に、国家が蓄積し、特殊な勤労階級が蓄積したものも含まって居る。これを破壊するならば、歴史的発展は止まってしまう。
 敗戦のドイツに、戦後一回も労働争議の起らない事に注意する必要がある。彼等は歴史的連帯意識性のためにストライキを中止したのである。

 だがもう一つ世界平和のために大事な意識の開発が必要である。それは補修的連帯意識性の問題である。一国内を限度とする社会保障法は、文明国に採用されて居る。この社会保障法の如きは、補修的連帯意識性から生まれたものである。即ち、生産力を持って居るものが、非生産的な病人、老人、子供、妊婦、不具、癈疾者を保護せんとする補修的連帯意識が、国民道徳として生まれ、この法制として生まれて来たのである。世界第二次戦争後、アメリカが世界の未開発地を開拓し、世界の人口問題を解決しようと考えて居ることは、世界歴史において始めてのことである。此のような補修連帯的意識が、世界にも生まれて始めて世界連邦が誕生する。

 世界連邦運動は、此の三つの意識の上に成長し、人間の弱点を、強き者、働く者が、喜んで補修して行こうと云う意識が生まるまで成立する事は困難である。その時までわれわれはこの意識の開発にたえざる努力をつづけねばならぬ。世界連邦アジア会議の如きは、この意識開発の小さい一駒であるとも考えられよう。  (一九五二年八月号)