世界的なものは個性の自覚に基く

  世界的なものは個性の自覚に基く

 世界統一を夢みた凡ての権力が失敗した。その反対に、キリストや、釈迦や、孔子の如き、個性に基く愛や、仁の運動が世界に拡まって行ったのは何故だろうか? それは、権力、武力の如き、外的制約がなく、国家、民族の如く、特殊な区分が無いからである。

 世界連邦を国際連合の如く、武力や国境の制約の上に置くならば、世界性は非常に制限せられる。国際連合の会議は、囲いと囲いの中から首をつき出して物を云うのと等しい。それは到底人間同士が抱き合って、世界結合の真正社会を作ることは出来ない。

 霊性の自覚に目醒めて、互に理解の上に、世界連邦を造ろうと云う構想は、自由勝手に発展して自由自在に団結出来る武力抜きの結合運動である。この形で討議して行けば、理想への階梯が漸次接近し易い。そこには強迫も、誘発も無い。ラジオとテレビジョンの発達した原子力時代になったればこそ、人類結合の可能性が増して来るのである。

 結合を阻むものは、無智であり、不道徳であり、貪欲である。電波に国境が無い如く、人間の愛に国境は無い筈である。世界連邦は此処より出発する。  (一九五二年九月号)