世界平和と生活の平和

  世界平和と生活の平和

 コッペンハーゲンの世界連邦大会の決議録を読んで、特に感じることは、世界政治の運動が日常の生活問題と固く結んで前進せねばならぬと云うことである。

 ロード・ボイド・オアが云う如く、世界に於ける食糧問題の安定が無ければ、国際平和は絶対に無い。国際平和の基礎として、食糧問題の解決が必要となる。日本も昨年は冷害であったが、日本の如き食糧に欠乏する国家が、食糧問題の解決をしなければ、東洋は永久に不安である。

 私は多年、立体農業を主張し、山岳地の樹木作物、殼果収獲、丘陵地樹下の牧樹、牧草を改良して酪農を日本に発達せしめうるならば、どんな冷害期に於ても、雑草の無くなると云うことは絶対に無いのだから、食糧に困難はしないと云うことを主張して来た。

 しかし、まだ日本の民衆はこの方面に目醒めていない。相も変らず、米食中心の生活をつづけている。そこに日本民族の不安がひそむ。

 ロシアは生活の平和を受けるためにと称して暴力革命をとく。乳を搾る変りに乳牛を殺せば、果してそれで生活の平和はくるであろうか? 唯物暴力主義の悲劇はそこにある。また、アメリカも防衛だけを叫び、世界の生活防衛を考えないで、武力防衛を説くのは低能児のやりかたである。

 一九五五年、国連憲章の改正期はあと一年に迫った。アメリカ国会は既に超党派的にその改正委員を任命し、必要なる予算まで計上した。日本もその研究を急ぐ必要がある。世界八十四ヶ国の中、国連に加盟しているもの六十ヶ国であり、まだ二十四ヶ国九億万人近くの人民が、国連以外に残されている。

 これらの民衆をも結集し、世界をして、生活の安定と、無戦世界の福祉の楽土たらしめるために。我らは、最大の努力をなすべきである。ここに、一九五四年十一月また「第二回世界連邦アジア会議」を東京に開催せんとすることを去る一九五三年十一月七日、東京国会議員会館に於ける日本大会に於て決定したことは、全く意義のあることである。

 日本が再武装するならば、再び日本は太平洋の孤児として、世界の憎まれ者になるであろう。寧ろ進んで、日本は世界連邦の運動の先駆者となり、世界の軍備を世界警察に置き換える為めに努力すべきである。

 アメリカも、そこまで国連憲章を改正する度胸をきめれば、世界の諸国民はアメリカに共嗚するであろう。それを、徒らに、共産勢力のスパイ騒動位いに神経をとがらせ、共産主義以上に、世界民衆の生活を安定に導く経済政策を打出し得ないとすれば、アメリカの富力もギリシヤ神話に出てくる「ミダスの娘」の如く、黄金欲の為めに生命凡てを黄金化する危険に陥るであろう。

 世界平和は生活平和を基調とすべきである。それには、平和の日常闘争を忘れてはならない。生活より浮上った平和は、真の平和を地上に持ち来たらすものではない。パンの上に平和は成長すべきである。 (一九五四年一月号)