原子力と世界連邦

  原子力と世界連邦
    太平洋のいわし

 米国太平洋沿岸の漁業は危機に瀕している。サンフランシスコに近いモントレーといわれる漁港では、一九四九年から、いわしが全くとれなくなった。これは同年、第一回のビキ二における原子爆弾の実験が行われ、いわしが北太平洋沿岸にいなくなった結果である。おそらく水素イオンの濃度が変化したために、魚が居所を変えてしまったのであろう。もしも水素爆弾のごときウラニウム爆弾の数百倍も強烈なものを太平洋において実験していたならば、赤道北部の魚類は勿論のこと水産動物のうえに変異が起り、水産物によって生活している太平洋周辺の諸国民は、その生活様式を全く変更しなくてはならなくなるだろうと思う。

  米国の災害異変

 一九五三年度に米国は四十数回の竜巻にやられて、米国災害史に一大異変を感じたのである。米国西部アリゾナ州ラスヴェガスにおいて原子爆弾の実験をくり返す度毎に、かつてなかった台風が米国を横切って大西洋に消えて行く異変を毎回くり返している。米国の政府当局はこの台風と原子爆弾との関係を否定せんとしているが、気象学者の中にはこれを肯定するものが多い。強烈なる原子爆弾の実験は広島や長崎の数十万人の人命に危害を加えたのみならず地球における生物界に異変を与え、自然界の平衡を破る傾向が顕著になってきた。

  ア博士の警告

 英国の生物学者はこの点に注意して、原子力の実験をあまりはげしくすると、宇宙開びやく以来の自然界で安定が破られることを主張している。広島あたりでは原子爆弾によって不具者が生れ低能児が出産する傾向を示していることは、原子爆弾放射能がいかに人体に悪影響を与えるかを示している。かつてアインシュタイン水素爆弾が四十発あるならば全地球の人類の絶滅することを予言したものである。その破壊力の激しい原子爆の実験の禁止は勿論のこと戦争に使用することを禁止することは、国際公法で決められた毒ガスの禁止以上に必要なことである。

  原子力に限界

 さらばといって私は、原子力による平和産業までも全国的に否定するわけではない。しかしこれもある限界点があるように私は思う。原子力に使用されるウラニウム、トリウムには、平和産業に使用できる驚くべきエネルギーが伏在していることは事実である。しかしこの資源の発見出来る場所は一定しており、どこにでもこの資源があるわけではない。そこで、もしもこの資源がある時期になってつきてきた場合、人類が森林を切ってあとに沙漠を作ったように、第二の失楽園を思うような時期が来ないとも限らない。蒙古のゴビの沙漠、インドの沙漠、メソポタミヤの沙漠はみな、千数百年前は大森林であった。それを人類が切りあらして沙漠にしてしまったのである。米国においても第一次世界大戦後の南北ダコタ州の大森林地は小麦畑にするために切り開かれたが、小麦価格の暴落と共に打捨てられてしまって沙漠となってしまった。これをみてもわかる通り、戦争によって人類は沙漠を多く製造した。もしも破壊力がダイナマイトの数百万倍激しい原子力を用いて沙漠の製造を計画するならば、大陸も大洋も両者とも動植物の生存に適しない大沙漠に化してしまうだろう。そこでわれわれはどうしても戦争を放棄して地球を原水爆の破壊力から守る必要を痛感するものである。

  社会科学の発明

 飛行機の発達と共に、地球は今や小さいものになってしまった。かくの如く小さくなった地球の上に、国境を作ってかきにせめぐ愚をくり返すならば人類は絶滅する危険をもっている。自然科学に発明があるならば社会科学にも発明がなくてはならない。われわれは資本主義に対抗するために労働組合を発明した。金融勢力に対抗するために信用組合を発明した。われわれは戦争主義に対抗するために世界連邦を発明せんとするものである。日本の憲法天皇主権の封建時代より主権在民の新しい制度に移り変った如く、いつ突発的に戦争になるかわからぬ不安全な国家主権の戦争主義より、人民主権の非戦争主義に移り変る組織を持つべき時代が来たのである。

  敗北したイタリアの憲法

 第二次世界戦争の後、敗北したイタリアは第一に憲法を改正して将来世界連邦の出来る日にはイタリアの軍事と外交を移譲して、世界連邦をして世界警察の職能を果せることを憲法に書き入れた。フランスはこれに学び、よろこんで絶対主権を放棄し、ベルギーもこれに共鳴しルクセンブルグに近いストラスブルグにヨーロッパ連邦の議会を設け、年に四回、共産系を除く十四力国の外務大臣が外相会議を開くことになった。しかし外相会議だけでは実行力がともなわないので、ヨーロッパ十四の民主国家が国会の外務委員を外相会議と一緒に一堂に会してヨーロッパを一つにする方向に持って行くことを考えた。これに拍車をかけたのは、一九五〇年四月、フランス大統領オリオールが英国皇帝を第二次世界戦争後公式に訪問し、経済的にもヨーロッパを一つの連邦国にしたいと声明した事であった。

  世界連邦への方向

 フランスはルクセンブルグの旧アルザス・ローレンヌを第二次世界戦争後おさえ、ザール地方の鉄石炭をドイツから奪い、英国はルール地方の石炭、鉄の豊庫をおさえてしまった。それをフランスは再びドイツをして使用せしめ、それに加るにデンマーク、ベルギー、オランダ、フランス、ルクセンブルグの六力国も経済的には一つの共栄圏を作り関税を撤廃してヨーロッパ連邦の基礎を作ることを提議した。

 かくの如く世界の政局は原子科学の進歩に従って必然的に世界連邦に向わざるを得なくなった状態におかれたのである。戦争か平和か、しかりか否か。この瀬戸際においつめられた人類は世界連邦の外に.原子爆弾の破壊力から全人類を守るものはないことを痛感しているのである。(「日本社会新聞」より)  (一九五五年十月号)