黎明3

  東京と大阪

  煉製の大阪人と剥製の東京人

 暢気な点からいへば、大阪が暢気なやうに思へます。東京はどうも肩が凝って暮しにくい。然し女の美しい点からいへば、大阪はくらべものになりません。大阪は言葉はきたないし、女の顔は煤けてゐるし、人間がまるで燻製になってゐます。
 東京で美しいのは、丘と、森と、武蔵野です。大阪で美しいのは、海と、川と、山です。大阪の人間は百済系統で、東京の人間は高麗系統とアイヌの混合種です。江戸っ子は大の慌てやで、宵越しの金さへ使はないといふほど思慮のない市民です。大阪人は太閤さんの時代から貯め込んで、けちん坊なことからいへば日本一でせう。ある旗本の末孫が、幕府が没落したのは江戸っ子気質が没落させたので、上方が勢力を得たのは、全くその勤倹な貯蓄心からだったと、尤もらしくいってゐました。それに違ひありますまい。
 性分からいへば、私はどちらも嫌ひです。私は自然児で田舎育ちの田舎の好きな人間です。それで私は東京も大阪もあまり好きではありませぬ。然し、そのどちらが好きかといはれたら、私はちょっと当惑します。人間は東京が好きで、生活は大阪が好きなのです。 東京には、学生だけ四十二万人ゐます。大学校を建てて儲けてゐる学問取次問屋もあります。東京には勲章製造販売業者もをれば、政党株式会社も軒を鼓べて営業してゐます。全くいやなところです。その点になると、大阪の方があっさりして肩がはりませぬ。東京では人間が余ってをり、大阪では品物が余ってをります。だから、生活を楽にしようと思へば、大阪に及くはなく、面白い人間を見附けやうと思へば、東京に及くはありませぬ。東京では。美人に生れたばかりに、呉服屋の陳列箱にすわる人間さへ出て来てゐるのです。この次は金のために剥製になる人間も出て来ませう。東京は寄合世帯で、市会は年百年中ごたごたしてゐます。大阪は雑魚場大尽が顎の尖で市長を使ってゐたこともあったくらい、まことにやり易いところです。

  寄附金八億円の道路

 人口からいへば、丁度今のところは同じくらゐでせう。約二百二十万そこそこといへばいいでせう。ただ東京は、周囲に百八十万以上もある幾つかの町村がくっついてゐます、これを入れなければ東京とはいへますまい。
 東京は日本全国から八億円の寄附金を貰って、街を完全に建て直しました。そのために、今では、年八万余回道路を掘り返さなければ、世界一の美しい街といってもいいくらゐになりました。実際、街路だけは、ニューヨークに比べても、パリに比べても、ベルリンに比べても負けはしませぬ。私は、東京が新しいだけに――復興した東京は世界で一番新しい町です――何処を歩いても新しい気持がします。パリのシャンゼリゼか、ブルヴァール・ド・クリッシーのやうな美しい街路が東京全市到る処にあると考へてよい。大阪は最近橋を架けかへたり、淀屋橋筋を拡げたりしてゐますが、十五分間も走れば、もう狭い道路に突き当って、震災前の東京のやうなところに連れ込まれます。私は、東京の街路の讃美者です。品川から千住まで突きぬけてゐる昭和大通りは、自動車で走って一時間たっぷりかかりますが、とても気持のいい道路が出来たものです。ベルリンのウンテルデルリンデンも頗る美しい大通りですが、それにも似たものはこの昭和大通りです。数年前まで私は上海や北京の大通りが美しいと思ってゐましたが、もうとても東京の大通りにはかなひません。しかし、東京の街路の掘り返しには全く閉口です。東洋人は街路の悪いのに馴れてゐますから、昨日アスファルトで鋪装した立派な道路を今日はぶち壊して下水をいぢってゐます。低能といはうか、馬鹿らしいといはうか、開いた口が塞がりませぬ。

  二つの日本

 どす黒い大阪の空に比べては、東京の空は澄んでゐます。しかし、気侯は大阪の方が好いやうです。東京は九月に毎年十七日雨が降る計算になってゐます。その時大阪は比較的晴れてゐます。どうも、梅雨が箱根から東にはおよばないで、却って秋になって東京は雨が多いやうです。かうした気候の関係でもあるか、東京の文化と大阪の文化は、全く位取りか違ふやうです。
 つまり、日本の中心が二つあるやうです。否、日本が二つあるのかも知れませぬ。第一、家の恰好、畳の寸法、着物の桁、寿司の作り方から味噌の味まで、大阪と束京に差があるのですから、日本に二つ文化の中心があるといっても。あまり大袈裟ではありますまい。
「ほんとに東京ったら、妙な処だすわ」
 さう大阪人がいへば、江戸っ子は負けぬ気で、
「何だい、べらんめい、贅六に江戸っ子気質が解るもんかい」
といふでせう。言葉も、大阪と束京では、はっきり二つに分れてゐます。大阪語は、濁音が多く、東京語は澄み切ったフランス語のやうです。しかし、嘘をつく商売人には、大阪語ほど要領を得たものはないでせう。
「さうだっか。ああ、左様か」を繰り返す大阪人は、「ノー」といってゐるのか、イエスといって
ゐるのか、さっぱり見当がっきませぬ。それが大阪弁大阪弁たるところでせう。
「そんなことオ俺に出来るかい」
 江戸っ子は、さう啖呵を切った以上、「イエス」か「ノー」かはっきりしてゐます。江戸っ子弁は、町奴の気性を現したプロレタリア生粋の精神の表象であります。それに比べると、大阪弁ブルジョア気質の結晶であるといひ得られませう。しかし、その東京の町奴もだんだん衰滅して行くやうです。今では東京生れの東京人は少くて、地方生れの東京人が多いのです。つまり東京は、私のやうな田舎生れの東京人で七、八割までは組み立てられてゐるのです。だから、生粋の江戸つ子弁もなかなか聞くことが出来ませぬ。東京には二十一万人からの中等学校以上の学生がゐますか、その九割までは地方の学生です。それに官吏、軍人、文筆労働者等、地方出身の知識階級と腰弁が大勢群居してゐますから、東京市はもはや東京市民の東京ではなくて、田舎者の東京市のやうな感じがします。おそらく、東京市民に愛市心の少いのは、こんなところに原因があるでせう。そこへゆくと、大阪人は偉いものです。
 靫の肥料問屋の間では、今だに太閤時代の当番札を家並に廻してゐますが、東京にはそんな所は何処にもありませぬ。旧い東京はもう全く滅びてしまひました。東京はほんとに新しい東京です。それだけ落着きもなければ生活の基準もありませぬ。それこそテンポの速い銀座行進油を唄はねはならない所です。

 「まだら」の女

 私が東京で一番嫌ひなのは、学校営業者と市役所の建物が数箇所に分れてゐること、電車の遅いこと、失業者の多いこと、待合の多いことです。私が大阪で嫌ひなのは、どす黒い空と。百尺以上の煙突が三千本近くもあることと、大阪弁と、女の着物に色彩の調和がないことです。大阪の女ほど下手に着物を着る人種は世界に稀でせう。空の色との関係もあるが、大阪の女はアメリカ人に次いで、濃厚な色彩のついた着物を着る癖に、羽織と着物の調和がなく。長襦袢と上衣に調和がなく、半襟と顔面の皮膚の色に調和がなく、まるで、下手な看板描きが描いた芙人像のやうに、色彩だけこてこてならべるばかりで、一目見ただけで嘔吐を催します。
 さういったからといって、私は大阪の女が嫌ひだといふ訳ではありませぬ。気前としては、大阪の女にもいいところもあるし、東京の女にもいいところがあります。

  清姫型と女優型

 大阪の女は大体情調が纏綿としてゐます。悪くいへばべたつきます。東京の女はさらさらしてゐます。思ひきりがいい。交際しても面白い。その代り呆気ないところもある。大阪の女には安珍清姫的なところがあります。そこがまた何ともいへぬところで、つまり世話女房的なのです。これは全く浄瑠璃文学の感化でせう。
 東京の女は、吉原文化が去って以後、女学生文化となり、最近キネマ・スター文化に移って来たためか。どうも飽きっぽい。恋愛に粘着力がないやうです。勿論、カフェーの女給の恋だけは東京も大阪も同じでせうが、着物や訛で判断出来ないほど、大阪の女にはいいところがあります。断って置きますが、私の妻は横須賀の女です。美人は大阪には居りませぬ。大阪へ帰ると、百人の女の中に一人くらゐ美しいのがゐるかと思ふくらゐです。東京に来ると、十人に一人は美人に出会ひます。ところが、秋田の横手へ行くと、十人の中九人まで顔立ちのよい美しい顔をしてゐます。小野小町も秋田の女ですが。あれは人種が違ふためでせう。東京には東北の美しい女が多く出て来てゐるので、十人に一人くらゐ美しい顔が見られるのでせう。
 しかし日本の娘の顔も。とんと芙しくなりました。栄養もよくなったのでせうが、文化も進んだのです。あるひは、生物学的に云って、趨移時代に入ってゐるのかも知れませぬ。秋田県の美人などは、西洋の女にくらべて、決して見劣りはしませぬ。多少美の標準が違ふかも知れませぬ。しかし、やはり美しいには違ひありませぬ。
 最近、婦人雑誌の表紙画などは、全く大阪の女を描かなくなって、東京以北の顔が標準になって来たやうです。つまり、どうやら東北文化が雑誌の表紙で勝利を得て来さうです。勿論大阪でも、もともと河内アイヌであったものの子孫は、大きな眼をして相当に美しい表情を持ってゐますが、生気の抜けた蒼い顔色をしてゐるのは何のためでせうか。

  人造温泉と自然温泉

 大阪人が風呂が好きです。それに比べると東京には浴場の数が少いやうに考へられます。大阪人には妙な心理があって、休日といへば郊外の温泉に行って骨休みの一日をしなけばならないものと思ってゐるらしい。そのあとりは昔のローマ人によく似てゐる。偶像的なローマは、浴場と色慾と、娯楽と賭博を一つにして、大きな浴場を経営しましたが、偶像教的な大阪にも確かにこの傾向があります。大阪の何々浴場といふものは、娯楽のデパートメント・ストアです。宝塚温泉、築港の潮湯、生駒温泉、浜寺温泉、天王寺電気浴場、堺大浜温泉等等等、大阪は人造温泉で囲まれてゐます。それが相当にやって行くから不思議です。勿論最近、甲陽温泉のやうに没落したものも、中にはないではありませぬが、借金しながらでもやって行くのが不思議です。
 そこへ行くと、東京の近在には、箱根あり、伊香保あり、少し遠いが上諏訪あり、熱海あり、修善寺あり、湯河原ありで、大阪人のやうに人造温泉を設ける必要がないものですから、娯楽設備のある温泉は必要としてゐないやうです。

  性の商品化と文芸化

 大阪には世界一の松島遊廓といふ不思議な白奴街があります。アメリカにおける真鋳の「貞操切符」を日本人はいとも珍らしげに笑ひますが、松島遊廓の移転問題は、元国務大臣箕浦勝人氏まで未決監に放り込んだではありませぬか。この方面から見れば、大阪は日本一の公娼制度の発達した処です。その反対に、東京は最も私娼制度の発達した市街といふことが出来るでせう。【男子の人口割にして、東京には大阪のやうに公娼は多くないのですが、玉の井や亀戸のやうな、天下御免の私娼窟のある処は、大阪で探し当てることが出来ませぬ。この点は東京はどうかしてゐます。しかし。なほそれより不思議なのは、東京に遊芸の出来ない芸者の多いことです。芸者屋の数において東京は日本一です。そこに賞勲局総裁天岡某の堕落する原因もあったでせう。ここにも大阪と東京の差が発見出来ます。大阪の肉慾は商品化し、東京は性慾を文化的に取扱はうとしてゐるのです。こんな方面から見れば、東京の文化が可哀さうになります。

  大阪は保存し東京は毀つ

 東京が旧いものをぶち壊した割合に、大阪はまだ旧いものを多く保存してゐます。天王寺の金堂、文楽の人形芝居、船場、島之内の箱入娘、徳川時代の徒弟制度と。多くの死んだ迷信を大阪は不思議に保存して行きます。東京の浅草がさびれても、大阪の道頓堀のさびれることはありませぬ。築地の小劇場がつぶれても、文楽座は不思議に続いて行きます。おそらく、大阪語の続く間、浄瑠璃文化がつづき、浄瑠璃文化の続く間、文楽座の人形芝居がつづき、文楽の人形芝居がつづく間、義理人情を中心とする大阪文化はつづいて行くでせう。

  算盤の位取

 東京の人々は、大阪人がいかにも金にきたないやうにいひます。しかし、どうも私はそれが信じられませぬ。金にきたないのは却って東京人であって、大阪人に必要な時には喜んで金を投げ出します。私は、大阪人の道徳が東京人に比べて低いとは決して思ひません。ただ大阪人が東京人に比べて理屈の少いことだけは事実です。勿論大阪人は算盤をおきます。算盤だけは確かです。しかし算盤をおいてみて、それが社会のために有効であると思へば、大阪人は決して金を惜しみません。その点からいへば、東京の金の方が筋が悪く、東京の金持は政治を利用して儲けた金が多いから、ある糸筋がその後についてゐます。大阪の金にはそんな糸筋がついてゐません。だから事業をしようと思へば大阪に限ります。大正九年の恐慌時などでも、総解合を完全に実行し得たのは大阪の商売人でありました。綿布商の如き、億にも近い金判を敢然として解合ったといふのですから、大阪の商人は見上げたところがあります。このために、大阪で大新聞が発達し、大きな紡績会社が成功するのです。神戸や京都などは、財的にいって全く大阪の奴隷です。いや、大新聞の読まれてゐるところは、すべて大阪の経済的勢力が支配してゐるところなのです。大阪の資本生義は徹底してゐますから、帝国主義化することを警戒しつつ、儲けて行かうといふ気性が見えます。下手な政治に巻き込まれると、却って儲けが薄いと思ってゐるのかも知れませぬ。しかし可哀さうに、大阪の商人の多くは時代が変ってゐることに気付かなかったやうです。大正九年以降の恐慌に大阪の旧家といふ旧家が九分九厘参ってしまったことは、ほんとに気の毒です。

  保守的東京と進歩的大阪

 東京は進歩的のやうに見えて、噸る保守的です。改造された東京には、未だに古い時代の店飾りをやってるところがあります。大阪にもそんなところがないではありませぬが、大阪は徹底した資本主義の都市ですから、便利なことといへば片っ端から改造して行きます。ここが大阪の面白いところです
 大阪は東洋の商権を支配してゐます。東京の商人は日本だけしか支配してゐませぬ。東京が不景気になれば、徹底的に困難するのは市場が狭いためです。そこになると、大阪は東洋相手ですから、不景気だといっても、まだどこかに脈が残ってゐます。東京人は大阪人を馬鹿にしますが、東京の商売は日本的で、しかも政府のお役人の世話になってゐるものが多いから、あまり威張るわけにはいきませぬ。その点になると、大阪は、政府のお役人の世話にもならなければ、政党株式会社の世話にもならないものが多い。
 大正七、八年ごろの好景気時代でも、成金は大阪、神戸に多く、東京、横浜に少かったのは、東京の商売人が世界を相手にしてゐないことをよく証明します。一時大阪の綿布商が世界一の市場を形成してゐたことがありましたが、東京にそんな市場のあることを私は聞いたことがありませぬ。鉄工事業でも造船業でも、大阪は世界でも、珍しい分業組織で工場を経営して行きます。そんな処は東京の阿処を探したってありませぬ。
 大阪は、アメリカニズムの徹底的に発達し得る工業都市です。勲章や地位や名誉が何の効能も持たないところです。能率本位の都会で、凡てがきちんきちんと纏まって行きます。近世資本主義の発達は、大阪において頂点近くまで来ています。手形交換高からいへば大阪は東京に譲るやうですが、政府筋の手形を除き去れば、東京の商人はほんとにどれだけの手形を廻してゐるでせうか。震災後の東京を救うたのは、関西の力です。そして関西の力の半分までは大阪の力であるといふことが出来るでせう。日本の資本主義が堺港から発達してもう七百年になります。それがそのまま大阪の船場島之内に引越して来たのですから、大阪には東京に比べて更に古い実業上の訓練があるわけです。東京の商売は町奴の商売で、何だか頼りないところがあります。儲けより文化の方が先に立つ傾向があります。尤も、そこがよいところといへばいへます。

  働く大阪と脛噛りの東京

 しかし、大阪は爺臭い気がします。ある青年が私にこんな事を云ったことがあります。
「東京を歩くと。数千の青年に会ふが、大阪に来ると、青年がほとんどゐないので、何だか悲しい気がする」
 これは当ってゐます。それだけ大阪は働く人間の多いところで、東京は勉強する人間の多いところです。つまり、大阪は生産都市で東京は消費都市です。大阪で大学生に出会ふことは実に稀ですか。大阪で労働者に会ふことは珍しくはありませぬ。大阪の労働者は近ごろは市会議員にもなれば代議士にもなりますから、威風堂々たる容貌をしてゐる。このことは、西尾末広君の顔を見ればよく判ります。時代は変ったものです。江戸が上方の勢力によって没落したと同じやうに、東京は大阪の金力に屈服する時代が來ました。田中大将は大阪の久原の金で総理大臣になり、大阪の島徳の金で政党を操縦したのでした。しかし、まだまだこれからです。
 大阪は。日本経済的勢力の中心地です。朝鮮、満洲支那、南洋へは大阪の方が便利です。東京は北海道、樺太、それから東北地方しか相手に出来ません。大阪は瀬戸内海といふ実に便利な交通機関を持ってゐます。瀬戸内海の周囲には二十五の都会が並び、それがみな大阪を中心にして発達してゐます。瀬戸内海を除いて大阪はありませぬ。その点からいへば、産業的に雄飛しようとするものは大阪を中心としなければなりませぬ。東京は威張る人間の住む都会です。大阪は働く人間の住む都会です。今に大阪が東京を蹂躙する時代が来るでせう。

  硫酸の雨降る大阪

 しかし、大阪も随分大きな犠牲を払ってゐます。世界の大都会で大阪ほど乳児死亡率の高い都会があるでせうか。とにかく、大阪では硫酸の雨が降ります。それに比べると、東京は幸ひです。乳児死亡率も最近はとんと減退して、出生児千人に対して百二十人くらゐになりました。大阪では、未だに、出生児干に対して百九十くらゐ死んでゐるでせう。その点は大阪人の無頓着にびっくりします。大阪人は儲けさへすれば子供など殺しても平気でをれると見えます。大阪は地震もなかったし、街も落ちついいてゐる関係もあるでせう。社会事業は相当に整うてゐます。貧民窟らしい処も少く、実業家も社会事業に相当に熱心です。東京は大震災もあったし、都市もごてごてしてゐる関係上、すべてが遅れて来ました。方面委員でも何でも、すべてが政治化するところが東京らしい。東京はその代り早く理解してくれます。しかし金は少しもくれませぬ。大阪は理解してくれない代りに金だけはくれます。新聞社に寄附金の集まるのは大阪に限ります。東京は、宣伝と新聞紙と雑誌と古本屋の都会です。理窟が先で実行は後です。大阪は理窟をいはないで実行します。だから、これから社会運動でもしようと思ふものは、大阪市を中心にしなければ出来っこありません。
 東京の無産政党は年中分裂してゐます。その真似をして大阪も近ごろは分裂するやうですが、元来大阪は分裂するところではありませぬ。大阪ほど纏め易いところはないのです。将来産業組合でも大いにやらうと思へば、大阪は日本の中心地です。銀行を纏める点からいへば、東京などは比較的便利でせうが、商売をしようと思へば、三井でも三菱でも。久原でも鈴木でも、皆大阪、神戸を根拠にしてゐます。大阪、神戸を根拠にしなければ。日本を支配することが出来ませぬ。この後もさうでせう。日本無産運動も、大阪、神戸を根城にしなければ、決して日本の将来を支配することが出来ま廿ぬ。私には東京の人間が面白いと共に、大阪の商品が興味をそそります。東京人と大阪の商品がもう少し接近して、もう少し理窟をいはないで、大阪のやうに肩がはらないで暮すことが出来たら、どれだけ日本も幸ひかと思ひます。

  森の東京、瓦の沙漠の大阪

 大阪で淋しいのは森のないことです。大阪は全く瓦の沙漠です。東京には、山手に行きさへすればどこにでも森があります。その代り、大阪には澄み切った淀川の水もあり。瀬戸内海の汀もあります。海から近づくと、大阪はとても景気のいい都です。安治川口の帆檣の美しさは、東京では見られませぬ。しかし、それは全く人造的です。私は大阪や東京のやうな大都会を作ることを罪悪の一つにかぞへてゐます。文明が進めば、昔の御城下くらゐの田園都市を沢山作って、その間を高速度鉄道や飛行機で聯絡させるといいと思ひます。今にさういふ時代が来るでせう。

  日本の夜明け前

 東京の学問は進んでゐます。しかし、まだ世界を指導するだけになってゐませぬ。精神運動からいっても、まだまだです。大阪は更に遅れてゐます。しかし、素直さからいへば。東京に比べて遥かにましです。大阪は未開墾地です。東京は荒されてゐます。文学運動も東京のそれはあまり大したものではありませぬ。プロレタリヤ文学も、東京だけでは完全なものにはなりますまい。東京も大阪もまだ未成品です。大きな魂はこれから出て来るでせう。
 大阪の空が澄み、東京の華族屋敷に菜葉服の青年が出入りするやうになる時、その時、東京や大阪に新しい文化が漲るでせう。それまでが辛抱です。東京、大阪の文化にはまだ倫理的神秘主義が足りませぬ。それが加味される日まで、束京の刑務所には、大臣が引続き拘引され、大阪の裁判所には実業家の大頭が度々引出されることでせう。
 倫理的神秘主義が、新しい日本の理想として実現される日まで、大阪も東京も永遠に呪はれてゐませう。日本は今、的なしに鉄砲を放ってゐます。日本の島々が弓なりに曲ってゐるやうに、日本の理想は歪められてゐます。それが矯正される日まで、大阪も東京も共に片端です。文化は魂の底から湧き出て来なければなりませぬ。