海豹の3 暴風雨の夕

  暴風雨の夕

 その晩の水産振興大講演会は、もちろん、おじゃんであった。六時開会といふのが八時になってもまだ小学校の大きな講堂に、二、三人しか集ってゐなかった。校長室に坐り込んでシガレットを二、三本続けてくゆらせた井上技師は、如何にも弱ったやうな表情をして、水産会長の吋上大五郎にっぶやいた。
『どうも島に来ると、これだから困るね。またといって出てくることは出来ないのだから、かういふ時に話を聞いてくれると、ほんとにいゝんだかな』
 聴衆があまり少いのを心配した校長の高井新七は、その晩の宿直にあたってゐた今年師範を出たばかりの亀井信太を走らせて、御手洗町の高等小学校に通ってゐる七十人ばかりの生徒に、みんな出て来いと、緊急命令を出した。それで八時半頃になって漸く広い講堂に、白い顔をした高等小学佼の女生徒が五、六人と学校を卒業すれば呉服屋の番頭になるといってゐる小学生と他に二、三の尋常小学校の生徒が集ってきた。暴風雨は一層激しくなり、一家眷族を引連れて講演会に出席するはずであった村上勇は、昨日備後灘に出向いた父親の一行の運命が気遣はれるので、水難救助の準備をしなければならなかった。村上勇の家は、浜から二、三町入って奥まった処にあった。然し彼は、いつもの経験から察して、こんな時によく石炭船の沈没があったり、漁船の遭難があったりするので、家にぢっとして居れなかった。
『もう少しラヂオがこんな時に使へるとなア、救護隊を出すことが出来るのだけれども、杓子定規の日本の官憲では仕方がないなア』
 さういって彼は、水難救済会の事務所になってゐる海に面した田辺旅館の上根に腰を下した。
『今のさきな、尾道の測候所に電話をかけたんぢゃが、やはり備後灘もしけてるさうな』
 奥から出てきた旅館の一人息子田辺省吾は早ロでさういった。勇は、何事か突発事件が起るやうな気がしたので。どす黒い水平線を絶えず見つめてゐた。岸壁にぶつかった大きな濤が、しぶきとなって海岸の石畳の上を洗った。表から卯之助が合羽の雨外套を着て、跣足(はだし)のまゝ飛込んできた。
『これ位ぢゃったら、漁に行った連中もみんなどっかの島蔭に隠れてゐるかも知れないや、しかし今日のやうな風が一番こはいんぢゃぜ、天気予報に出て居らんのぢゃからなア、突然ぢゃからなア。いや花時はこんな時があるから、うっかり出来んのぢゃ』
 卯之助は、頬を伝ってゐる雨滴を手拭で拭きながらさういった。学校から電活がかかってきた。水産会長村上大五郎が、村上勇の出席を求めにきたのであった。
『今夜のやうな晩は落着いて話もきいて居れんわ、然しまあ、あまり人数が少いと弁士も可哀さうだから、聴いて来うかなア。卯之助、何か変ったことがあったらすぐに電話をかけてくれよ、三十分でも聞いてくるわ。お前、こゝで見張りしとってくれ、半時間位したら帰ってくるわ』
 さういって周辺屋を出た勇は、これまた雨合羽にゴム靴といったセーラーそっくりの恰好で小学校の方ぺ足を向けた。勇が講堂に入った時には、広い処に二、三十人しか集ってゐなかった。しかし井上技師は、後にかけた表を指さして、如何にも熱心に日本の水産事業について説明してゐた。その表の上には、こんなことが書いてあった。
  一、世界水産額  一千万噸(1/3日本)
  二、世界投資額  二十五億円(日本六億二千万円)
  一、日本の産額  二百五十万人で六億乃至十億円(米十一億
           円 繭三億五千万円 昭和五年度)
  一、英国三億円(八万八千人)米国二億円(二十二万人)諾威一
   億一千万円(五万八千人)加陀奈一億円(六万九千人)
  一、全国漁権(二億五千万円)漁船三十二万艘(二億五千万円)
  一、養漁場     一千ヶ所(二千二百万円)
  一。網       百四十五万統(一億円)
 以上に対し水産に対する融資僅かに一千二百万円
  一、日本の面積  十四万七千平方哩
  一、海洋窒素分  三千九百万噸 年々
  一。海棚は仝海面の8%即ち九百万平方哩で、内二百平方哩か
   使用面積、日本はその三分の一を占む。
 勇はその表を見て、講演会に出席してよかったと思った。それで彼はその数字をうつし取らうと、手帖と鉛筆をさがしたが、手帖はあったけれども鉛筆がない。講演者に気の毒であったが、そっと抜け出して教員室へ鉛筆を借りに行った。教員室には誰もゐなかったが、あとで返せばいゝと思ったものだから、校長の硯箱の中から一
本の鉛筆をとり出して、また講堂へ帰らうと廊下に出た。その時はもう九時過ぎであったが、やはり天候が気にかゝるので、講堂に入る前に廊下の硝子戸を押開いて、空模様を見た。
『有難い、風が少し凪(な)ぎよったなア』
 彼は小声にいった。実際雨が小止みになり、風も少し速力が鈍くなつてゐた。安心した彼は、また硝子戸を閉めて講堂の入口まで水産統計を頭に描きながら静かに歩みよった。廊下を曲って講堂の入口を見すかすと、そこに二十歳前後の背の高い娘が立ってゐた。光が鈍いので、それか誰であるか後から解らなかったが、髪をハイカラに結ひ、御手洗の町では珍しい派手な羽繊を着てゐた。
『町長の娘かな? それとも郵便局長の娘かな? こんなハイカラな風をしてゐる女が、しけの晩に水産講演会に出てくるといふのは、余程殊勝な女だなアー』
 そんなことを考へながら、その側を通りかゝったので、一寸振り返って、その横顔を熟視しようと思ったが、御手洗の青年団長として、また蛮勇の石部金吉として漁師仲間に知れてゐる勇は、女の顔を見ることさへ、何だか堕落するやうに思はれたので。そこを素通りしようと、わざと大股で歩いた。すると、女の方から叮嚀にお辞儀をして勇の注意をひいた。勇はびっくりして女に最敬礼をしたが、その女は他の者でもなかった。それは水産会長村上大五郎の長女かつ子であった。かつ子は最近、大阪の海産物商に縁付いてゐたのが離縁になって帰ってきたのであった。勇に比べて年は二つばかり上であった。しかし小さい時から同じ小学校に通うたので、顔はよく知つてゐた。島には珍しい美人で、彼女が尾道の女学校を卒業するや否や、尾道あたりの金持の商売人が、競うて嫁にくれと申込んだ程であった。顔は瀬戸内海の娘に通有な丸顔に二重瞼の愛くるしい顔をしてゐた。眉は太く、半円形にひかれ、鼻筋のよく通った、口元の引締った賢さうな女であった。然し、父の大五郎は、引続く不況に、どうしても金融関係上、大阪の金持に娘をやる必要があったので、靫(うつぼ)の海産物商に嫁にやった。ところが、大五郎の持ってゐた船が、数年前沈没した。娘の縁付いてゐた海産物商へ金を返せなくなった。そのためにとうとうかつ子まで離縁になって帰って来ねばならぬやうな破目になった。ところがまた、勇の父の小五郎といふのは、やはり御手洗町の村上の一族であるが、水産会長の大五郎にいろいろ資金の融通を受けて、大五郎ほど大きくはやってゐないけれども、子供だけには恵まれてゐた。長男は一郎といって、北米サンピドロ港の漁民仲間には相当に巾をきかしてゐて、毎月四十円なり五十円なりの金を父親に送ってきてゐた。
 水産会長の村上大五郎は、その小五郎の二番息子即ち村上勇に目をつけてゐた。そしてかつ子が今年の一月大阪から離縁になって帰ってくるや否や、酒の上ではあったけれども、勇を養子にくれないかといふ話まで小五郎に持出した。そんな関係があったので、勇は彼女にお辞儀することも何か恥かしいやうな気もした。然し都会馴れたかつ子は存外平気であった。
『勇さん――』
 透きとほった銀鈴のやうな美しい声――荒くれた漁師ばかりに接して、若い女にはあまり接近したことのない勇にはかつ子の声が、そんなに聞えた。そしてまた、『勇さん』と呼ばれたことが、村上さ
んと呼ばれるよりか一層親しく受取られた。それで彼は、何の用事かと堅くなって、彼女の顔を見っめた。
『――島には珍しい美人だ、二十五とは見えないなア――全く――』
 そんなことを頭の中に考へてゐたが、勿論口には出さなかった。
『父を呼んで下さらないでせうか、尾道の水上署から電話がありましたので、電話だといって下さったら結構でございますわ』
 それだけ聞いて、勇はすぐ講堂の壁に沿うて、水産会長の村上の坐ってゐる席まで急ぎ足で歩いた。大五郎はすぐ席を立ったが、勇は熱心に統計表を写し始めた。