海豹の9 思慕と幻滅

  思慕と幻滅

 そんな会話があって間もなく、御手洗の小学校長高井新七の媒介で、水産会長村上大五郎の長女かつ子と、村上勇の縁談が纏った。然し性格が合はないといへば、義母のみつ子と勇との性格ほど合はないものは、全く稀であった。みつ子は、あまり財産もないくせにとても大家の奥様気取りでゐる女で、勇が一々両手を突いてお辞儀するだけでは足りなかった。老人夫婦より朝は早く起き、神棚に全部お供へをすませ、御先祖の命日を一々覚えてゐて仏壇のお掃除を勇夫婦が手づからきちんとしなければ気に入らなかった。それ処ではない。大五郎は、借金のことなどあまりやかましくいはないに拘らず、義母のみつ子の方は、何かの話につけて、すぐ小五郎に金を貸したことが自慢の種になって、今にも勇の母の住まってゐる家屋敷を差押へするやうな口吻を洩らした。その度毎、年の若い勇は、癩に触って義母を殴り付けてしまはうかと思ったことは一度や二度ではなかった。実際彼が結婚したときに、人の好い大五郎と、年増の美人であるかつ子のことだけを考へて結婚したので。義理の母であるみつ子のことなどは全く忘れてしまってゐた。いや忘れてゐるといふよりか計算に入れてなかったのであった。彼は海洋の子として生れ、たゞ魚をとって家に帰ってくればいゝのだとそれ位に考へてゐた。ところが家に帰ってくれば、手足を洗ふ前から義母のみつ子が義父以上に一々命令がましいことをいふので、今にも穴の中に入りたいやうな気がした。義母は毎日々々、暦ばかり見てゐて、やれ今日は六白だからどの方向に向いて漁に行ってはいかんとか、今日は友引の日だから沖へ出てはならぬとか、それこそ雀のやうに朝から晩まで饒舌(しゃべ)ってゐて、漁業の邪魔ばかりするやうに思はれてならなかった。然し大五郎は、不思議に養子に向って寛容であるに拘らず、女房に向っても寛容で、養子の困ってゐる状態に何等同情のないやうに見えた。
 かつ子は新時代の教育を受けてゐるだけに、ぽんぽん母の要求をはねけけたが、勇には自分が悲しく思ってゐる事情をかつ子に打明けるだけの親しみをまだかつ子に持ってゐなかった。それで彼は里に帰って母と卯之助に、それを毎日のやうに訴へた。
 ちゃうど七夕の日であった。夕方までしょぼしょぼ降ってゐた雨がきれいに晴れて、御手洗の海岸には大勢の涼み客が石で畳んだ堤防の上に出てゐる時であった。
『西洋人、西洋人!』
 といふ子供の声が聞えたので、振返って勇は、子供等の声のした方を見た。するとそこに、背の高い頬骨の出た目の丸い西洋人がイギリスの船長が冠るやうな金モールの帽子を冠って、涼みに出てゐる子供や女達に、ビラのやうなものを渡してゐた。
 勇はその西洋人をよく知ってゐた。いや勇ばかりではない、瀬戸内の漁師でこの西洋人を知らない人はない程有名な――その人こそは福音丸の船長として、大三島を中心に、瀬戸内海をぐるぐる廻りながらキリスト教を宣伝してゐるキヤプテン・ヴィッケルであった。キヤプテン・ヴィッケルは、勇が勉強した弓削島の商船学校にも屡々講演にやってきたので、彼はその顔をよく知ってゐた。それで彼はある親しみを感じて、その西洋人の処へ近付いて行った。一つには、彼の結婚後に於る淋しい胸の綻びをヴィッケル船長の持ってゐる宗教的情熱によって、あるひは癒し得しはしないかと思ったからであった。
『おゝ、先生、ヴィッケル先生!』
 勇は背後から、その西洋人の肩に手をかけてさうぃった。
『おゝ、暫くでございました。御機嫌よくていらっしゃいますか』
 流暢な日本語で答へながら、キヤプテン・ヴィッケルは日本流に叮嚀にお辞儀をした。
『先生はいつこゝにいらっしゃいましたか?』
 勇は、兵古帯の間に片手をつっ込んで、片手で髪を撫で上げながらさう尋ねた。
『今のさき参りました。今夜集会しますから、いらっしやい』
 さういってヴィッケル船長は、彼に案内のビラを手渡した。
『まだ広告を充分してゐませんから。一周り廻って来ます』
 さう叮嚀に挨拶をして、その西洋人は、浜に面した家を一軒も洩らさず、ビラを配って廻った。日はとっぷりもう暮れてゐた。然し浜には明々と電気燈が灯ってゐた。いつにない今日は冷気をもって来る南風も来なかった。浜には幾百となく老幼男女を問はず、床几を持出して、風の吹いでくるのを待ってゐた。ある処では床几の上で碁や将棋をやってゐる処さへあった。その間を縫うて背の高いヴィッケル船長は、人毎にお辞儀しながらビラ配りをするのであった。
 勇は、その西洋人の姿が消えてしまふまで彼を見っめてゐた。
『――勇敢にやるなア、嫌はれても軽蔑せられても、信ずる主義に対してあれほど忠実でありたいなア、故国を離れて一生を船に託し、子供を船で育て、船で教育し、瀬戸内海のために一生を棒に振ってしまふあのイギリス人は実に感心な男だなア、俺達はすぐ陸が恋しくて陸に上ってしまふけれども、ヴィッケルさんは船の外に家を持ってゐないんだから感心だ、さすがはイギリス人だなア。ヴィッケル船長程徹底すれば日本人も困らないのだ――』
 さういったやうな言葉を商船学校の校長が演説したことを勇は思い出した。それで彼は福音丸の着いてゐる浜の方へ歩を運んだ。
 福音丸は相当大きな帆柱の立った発動機船であった。そこにはもう子供が大勢集まってゐた。ヴィッケル船長の助手をしてゐる人だらう、子供に面白いお伽噺をしてゐた。それが済むと讃美歌が始っ
た。そしてそのすぐ後からキリスト教の話が始った。けれどもデッキの上に降りて行って椅子にかけて話を聞かうといふ人はまことに少かった。みんな浜の堤防の上につくなんで暢気さうに団扇を使ひながら火のやうになって物語ってゐるヴィッケル船長の神の証を向岸で火事を見てゐるやうな気持で聞くのであった。その聴衆の間を縫うて、白い首をした淫売婦が盛んに客を引張ってゐた。デッキの上は二百人位も坐れる位広くなってゐた。西洋人の婦人が、十歳位の女の子を連れて。椅子の一つに腰掛けてゐるのが特に目を惹いた。
 勇も最初は、堤防の上につくなんで、ヴィッケル船長を見下しながら話を聞いてゐたが、何だかあまり厳粛な光景に、足蹈板(あぶみ)の上を伝うて、跣足になってデッキの上に下りて行った。
『――瀬戸内海の島々には、少くも二百五十萬人の人々が住んでゐます。この人々が覚醒して神に帰れば、日本は神に帰ったのと同じです――』
 さういった意味のことをヴィッケル先生は繰返した。
 勇は小さい時、よく福音丸のデッキの上でヴィッケル夫人の弾くオルガンに合せて、
 『主われをあいす
  主は強ければ……』
 といふ讃美歌を歌ったことを覚えてゐる。恐らく瀬戸内海の島々の子供等で福音丸の着く港に、この歌の歌へない子供は一人も無いであらう。それ程福音丸は、内海の子供等にとって、一種の感激の泉となつてゐた。それで、勇は小さい時からイエス・キリストのお弟子の中に、漁師が沢山ゐたといふことも闘かされた。しかし彼も別にキリスト教の信仰に入るといふ機会もなく、そのまゝ大きくなってしまったのであった。
 然し、何か悲しいことがあると、すぐ想出すのは、白く塗った百噸級の福音丸といふ愛らしい船であった。浮世を離れて美しい内海に浮び出で、島から島へいゝ港を選んで着けて行き、漁師の息子や島の鼻垂れ小僧に神の話をすることが出来るなら、仙人以上に愉快であらうといつも思ひ出すのであった。
 たゞそれだけであった。それ以上彼は、宗教に就て理解しようともしなければ、またヴィッケル船長がどんな人であるかも。人に尋ねてみようともしなかった。しかしいよいよ家庭をもって、理想の世界と、現実の世界のかけ離れてゐる状態をつぶさに味はゝなければならない今になっては、もう少しヴィッケル船長の性格やその伝へんとする使命について考へ直したい気がした。
 唯一つ、ヴィッケル船長が、そんなに海が好きであるといふことだけでも学びたかった。