海豹の8 赤銅色の皮膚

  赤銅色の皮膚

 実際、勇は、卯之助が好きであった。卯之助は、勇が生れる前から、父の小五郎に使はれるやうになって、もうかれこれ三十五、六年も、村上の分家に使はれてゐた。酒は好きであるが、ほんとにさっぱりした竹を割ったやうな男であった。親分子分の情誼に厚く、小五郎が魚油会社に失敗してから、ろくろく給料も充分貰ってゐなかったけれども、主家に尽すといふ親切一点張の愛情から、他にいろいろいってくれる人もあったけれども、相変らず、主人の身の上のことを思って。尽して来た村上家の大久保彦左衛門であった。人が好いだけに怒ると大声でぽんぽん怒鳴り散らすので、浜では『卯(うー)やんの雷』といって。誰知らぬ人がない位大声で怒嶋りちらすのであ
ったが、それだけ人が好いので、漁師仲間では非常に重んじられてゐた。小五郎も彼を愛して、新造船の船長にした位であった。
 卯之助の親切なことをよく知ってゐる勇は。老いたる漁師の心尽しに、ほろりと涙を流した。そして、ちよっと顔をそむけて、腰に吊ってゐた手拭で両眼を拭いた。その間も、卯之助は、海豹のやうに光った、然しまた牛のやうに柔和な二つの目を光らせて、伯方島の岬の廻り方を見守ってゐた。
『有難いなア、卯之助、俺はお前にどういってお礼をいっていゝかほんとに言葉が出ないよ。まあ頼む。この後もなア、助けてくれ』
 さういって勇は、左手で彼の背中を二三度叩いた。さういった瞬間に彼は、彼の物心ついてから今日まで、卯之助が彼を世話してくれた数々のことを思ひ出した。四つ位の時、その当時二十七、八歳であった卯之助が、彼を肩に乗せて尾道の祭に連れて行ってくれたこと、また御手洗島から安芸の厳島まで燈籠流しの祭に連れて行ってくれたこと。小学校の五年生の時呉まで軍艦見物に連れて行ってくれたこと、弟の隆吉が赤痢に罹って避病院に入ったとき、卯之助夫婦が一切を引受けて、避病院に入れてくれたこと、さうしたことを瞬間的にすぐ思ひ出すのであった。いつも快活で、明っ放しで、暴風雨に遭った時でも実に敏活に行動する稀なよい水夫であることを、彼は泌々と感じるのであった。
『俺はなア、仕方がなければ養子にでも行くが、卯之助と別れるのがいやぢゃなア、お前と別れちゃあ、俺は漁に行く気がしないや』
 さう勇がいふと、卯之助は赤銅色の頬ぺたに微笑を浮かべてにやにやと笑った。そして暫く経って大声にいうた。
『あなたが私とそんなに別れたうなければ、わしはあなたに付いて行きますがなア』
『そしたら、阿母は誰が世話する?』
『阿母にはお金をあげたらいゝぢゃありませんか。一郎さんの毎月送って来るお金でお母さんは充分やってゆけますよ。それでも足らなければ、あなたと私が一緒に働いて毎月為(し)送りしてあげればそれでいゝぢゃありませんか。まあ、さうでもしなければ〈上(やまがみ)の借金の整理は出来ませんなア』
『それぢゃ、なにか、君、君はやはり僕があくまで大五郎さんの処へ養子に行った方がいゝと思ってゐるんか。実際をいふとなア、卯之助、僕は別に結婚したいとも何とも考へて居らんのぢゃ。まだ早いやうにも思ふんぢゃ。然しまた御手洗島の漁業の将来を思ふと、わしが養子に行った方がいゝかとも考へるんだがなア、しかし、わしは、借金を整理するために養子に行くといふことが、何だか男の意地を腐らせるやうに思うてなア、ほんとは進まんのぢゃ』
 さういひ終ると、脇見さへしなかった卯之助は、ちょっと視線を羅針盤から離して、勇の顔を見た。
山中鹿之助の講談をこの間読んだがなア、あんな偉い奴でも、尼子を助けようと思ふ一念から、松永久秀の助力を仰ぎに京都に行ってゐますなア。そしてあの偉い勇士が松永久秀の草履取りから始めたといふぢゃありませんか。家運が傾いたときには、少し位の辛抱をしなければ人物にならんな、まア、若! あんまり先の先まで考へないで、やはり少しは年寄りのいふことを聞かんと、またといふ折はなくなってしまひますよ』
 親切な卯之助の忠告に勇も非常に打たれた。
『それには違ひないなア』
『それにお前さん、先方がさ、あんたを嫌って居るなら、またといふことがあるけれども、向ふの娘があんたを慕うて居るんだから願を叶へてやったらよささうなものだと思ふがなア、わしは』
 然し勇は卯之助への即答を避けた。
『卯之助、君んところの大きな娘さんは何処へ行った?』
『恥かしいがなア、芸者に売ったよ。小五郎さんが魚油会社で失敗したときにさ。半年も手当が貰へなかったんでな、その時仕方なしに大阪へ売ったのよ』
『妹の方はどうしたの?』
『妹の方も大阪の方へ女中奉公に出てますよ。稼いで貰はんと食へませんからなア』