海豹の7 陽に向ふもの

  陽に向ふもの

 父の喪が明けて初めて沖に出た村上勇の魂の奥には、何だか暴風雨に屋根を飛ばされた家のやうに、全く見当のつかない淋しいものがあった。御手洗島を離れて鏡のやうに滑かな瀬戸内を東に走るときでも、父が残した借金を整理することで頭が一杯になってゐた。美しい島々の景色にも水際に立った大きな岩の輪廓にも、少しの魅力も感じないで、魚をとることさへ興味を失ってしまった。それ程、彼は父が好きであったのだ。父は晩酌をひっかけると、いつも彼を相手に海の話をしてくれた。父の唯一の楽しみは、勇に海の手柄話をすることであった。それで彼は、小さい時から瀬戸内海のローマンスは殆ど残らず父からいひ聞かされた。長門の壇の浦の話、周防の大島と、柳井津港にからまる用明天皇の愛姫のローマンス、音戸の瀬戸平清盛の話、蒲刈島に絡(からま)る地獄極楽の話等々々……鼻の先をちょっくら赤くして、目を据ゑた父が、小さい猪口を左手に持って、面白さうに昔噺(むかしばなし)をしてくれた。その父の姿が、いつまでも彼の目に浮かぶのであった。
 然し、父は、経済の持ち方が頗る下手であった。漁具の改良に腐心した彼の父は、いつも借金に苦しんでゐた。お葬式が済んで、父の借金を整理してみると、約一万一千円の借金が残ってゐた。その中の六千円は、父が尾道に立てようとした魚油会社の創立費に広島の農工銀行から借りたもので、あとの五千円は、網代とか発動機船の製造費の大部分をまだ支払はずに放ってあったものであった。その担保として、家も屋敷も発動機船までが入ってゐた。父は兄貴が、四年程前約一万弗の金を持って帰ってきたのを資本にして、大阪の商人と一緒に遠洋漁業を計画したのが、途中で魚油会社の創立に変り、それが魚油の暴落で、まんまと大阪の商人にしよい投げを食ひ、やっと、水産会長の村上大五郎に助けて貰って、農工銀行から低利資金を融通してもらひ、その場だけは切り抜けたのであった。その時に、発動機船も新造されたが、魚油会社の失敗の側杖を喰って、尾道の高利貸から日歩五銭といふ相当に高い利息で、金融をしなければならなくなった。そして、村上大五郎は、農工銀行から借りた低利資金の請判をしてゐる関係上、財政整理に就ても、相談しなければならなかった。そしてそれに絡まってゐる問題が、かつ子と勇との結婚問題であった。
 勇の船が、大三島伯方島の瀬戸に懸った時、船の舵を取ってゐた卯之助はいった。
『若! ――若旦那のことを卯之助は、大阪の方言でさういった――鯛もだんだん漁れなくなりますなア、瀬戸内にもう魚が居らなくなったんでせうか。とり過ぎるんでせうかなア』
 あまり勇が黙ってゐるので、卯之助は、彼を慰めるつもりでそんな事をいった。
 考へ込んでゐた勇は、
『さうだなア、少し魚をとり過ぎるのだらうかなア、何でも日蓮上人の生れた房州の小湊には鯛の浦といふのがあって、手を叩くと、三尺位の鯛が幾百となく集って来るといふなア、日蓮上人の時から、今日までそこは禁漁区となってゐるさうだから、鯛もよく知っ
てゐると見えて集ってゐるらしいなア。魚も少しは可愛がってやらんと寄って来んらしいよ』
『さうですなア、若、瀬戸内海も、鯛が子を生む魚鳥あたりを禁漁区にして、保護する必要があるんでせうなア』
『全くさうだなア』
 摂陽汽船の小さい客船が、勢よく此方に走って来る。瀬戸内はまるで海とは見えないで、大きな川のやうな気がする。
『そらさうと、若、あなたの縁談はどうなりましたか? もう御決心がつきましたか、大五郎さんは、是非私に、若にすゝめて水産会長の後嗣になるつもりで、村上の本家を嗣ぐやうに奨めてくれと、昨夕もいはれてましたぜ。あしこの別嬪さんもあなたに気があると見えて、お葬式の翌日も、私があしこへお膳を返しに行くと、いろいろきいてゐましたぜ』
 それに対して勇は何も答へなかった。勇はかつ子が、彼の年より二つも上であり、離縁せられて帰ってきた曰く付の女であるだけに、変愛に対する何等の新鮮味を感じなかった。
 すると卯之助は追かけて勇に尋ねた。
『若は、死なれた大将の後を嗣がなくてもいゝんでせうなア』
『うム、そらいゝんだよ、兄貴が嗣ぐからなア。然し弟が来年学佼を卒業するまで阿母を見てあげなけりゃならんし、たとひ弟が学校を卒業して帰って来ても、また上の学佼に行きたいといふかも知れんしなア。そんなに大五郎さんがいふやうに、おいそれといって、話を片付けるわけにいかんよ』
 さういひ乍ら勇は、小倉の労働服のポケットからシガレットを取り出して。燐寸(マッチ)の箱を捜した。気をきかした卯之助は、厚司のポケットから、燐寸箱をとり出して彼に手渡した。
『阿母(おふくろ)のことでしたら私が心配さして貰ひますよ。私と女房と二人でお世話しますよ。私らは食ふだけありゃいゝんですから、隆さんが一人前になるまでに充分阿母のお世話位出来ますよ』
 さういった卯之助の頬は照り輝いてゐた。赤銅色に焦げた頬ぺたには、世話好きの人によく見られる目尻に幾筋かの双曲線の皺が集って、額には健康な人でなければ見られない、きれいに平行した幾筋かの横皺が、二つの眉に沿うて、並んでゐた。その大きな顔の真中には、どっしりした鼻柱が突出て、柔和な透きとほった二つの瞳が、前方を見つめてゐた。