海豹の6 海の継承者

  海の継承者

 暴風雨(しけ)の後とて、いつもなら夜の十二時過ぎでも何となく活気のある尾道港が、全く眠ったやうに、波止場の電気燈だけが白く海面に反射して、景気をつけてゐるだけで、海面につき出した浮橋の上には、彼を待ってゐるやうな人影も見えなかった。勿論第三伊予丸といふ船も居なかった。それで彼は、自分の乗ってゐるやうな七噸級の発動機船が多く繋がれてある尾道水道によった一番上手の波止場の脇に船を着けて、卯之助だけを船の番に残し、自分は陸へ飛上って行った。そして彼はまづ水上警察署を尋ねた。水上署には、受付の巡査さへゐなかった。やっと、宿直室に碁石をいぢってゐる音がしたので。そちらの方に近付いてみると、十二時を過ぎて、海上の暴風雨を忘れてゐるかの如く二人の巡査は、黒白を争ってゐた。
『御手洗の者でございますが、ちょっとお尋ねがございます!』
 大きな声でさういったけれども、碁石をいぢってゐる二人の巡査は、答へようともしなかった。
『こいつは負けたなア』
 顔の面長の色の小黒い眉の問に縦皺が斜に入った巡査が、勇のそ
こに立ってゐるのさへ気付かぬかの如く大声でさういった。
『旦那』――島では巡査をこんな尊称で呼ぶものだから、勇は奮発して哀願的にさう呼びかけてみた。
『私の親父が難船しまして死んださうですが、死骸はどこにありませうかなア?』
 ぶっきら棒に勇は、大声で尋ねてみた。それでも二人の巡査は勇の方に振り向かうとはしなかった。
『やあ、しまったなア、ことが翅鳥(ひてふ)になるとは気が付かなかったなア』
 そこへ外側からずぶ濡れになって帰って来た一人の巡査があった。勇に挨拶もしないで宿直室に入ってきた。
『まだやってるんか。とうとうあの船も駄目のやうだったなア』
 そんなにいったけれども、それでも碁うちの巡査は平気でゐた。それで勇は大きい声でどなりたかったが、待て待てと、はやる元気を押へて、入ってきた巡査に叮嚀な挨拶をして、もう一度尋ねてみた。
『私は御手洗の青年団の団長をつとめて居ります村上勇といふ者でございますが、九時頃電話を頂きまして。父の乗ってゐた船が沈没して、死骸が尾道の方に行ったといふことを聞かされましたので、急いでやってきましたが、どちらに死骸を置いて頂いてるのでございませうか、教へて頂きたいのですが』
 さういふと。二人の碁打は、思ひ合せたやうに勇の顔を見つめた。
『その事件は私知りませんがね』
勇が昂奮してゐる割合に、巡査の答は存外暢気であった。
『君、知らんか? 白井巡査』
 巻煙草にマッチで火をつけた八字髯の巡査は、ずくくに濡れた男の顔も見ずに、
『うム、何でもまだこちらへ死体を運んでないやうだぞ、摂陽汽船にあるのぢゃないかな、何でも初めそんなことをいってゐたが、あるひはまた東予汽船の方にあるともいってゐたなア、君、ついでに電話できいてくれ。俺は今夜、休みの晩にあたって居ってなア、何も報告に接して居らんのぢゃ。宿直係の巡査は、今署長に呼ばれて行った処で何も解らんのぢゃ』
 勇は、二人の巡査が、当直にあたってゐないといふことを知った。それにしても、人を助ける意志のないものが、月給を取るために役人を勤めてゐる悲しさを彼は沁々と憤慨した。然し親切にも、ずぶ濡れの巡査は二つの汽船会社に電謡をかけてくれた。そして五人の罹災者と一人の死骸が東予汽船の待合室に収容されてゐることを発見した。それで勇はその巡査に感謝してすぐ表に飛出した。彼は水上署と東予汽船の待合室との距離があまり遠いやうに思はれてならなかった。彼は二階作りの東予汽船の待合所の硝子戸を押開いて、セメントで張った広い内庭へ飛込んで行った。そして、その隅っこに茣蓙(ござ)に巻かれて横たへられて居る一つの死骸と、その傍で夜とぎをしてゐる五人の漁師を見付けた。
『おゝ! 利吉さん、無事でよかったなア』
 五十恰好の人の善ささうな瞳の透きとほった――長く漁師をしてゐる男は、遠くを見る関係であらう。みな瞳が透きとほってゐる
――いつも小五郎が沖に出る時には、その助手をしてゐた利吉に、彼はさういった。
『大将はほんとに残念でした。おくやみ申します。助かってゐたんですけどなア、デッキに上ってから、ものの十分も経たぬうちに息をひきとられたんです。それで、何か勇さんに遺言でもすることはないですか? と大声でお尋ねしましたらなア、お父さんは私を招くやうにして、私の耳元に細い声で、
「……一男、海……行くやうに……な海へ……行け……」
 だけ仰っしやいまして、すぐ息がお切れになりました』
 沈没したといふのに、五人残った漁師は存外元気たった。物もいはなかった勇に黙礼をして、三郎といふ三十年も沖に出てゐる男などは勇に顔をそむけて泣き出した。涙腺を伝うて鼻の中に流れ込むのだらう、利害は、しきって于拭で鼻の先を拭いてゐた。すると、他の三人も沈黙したまべそっと手拭で眼をふいた。五人の漁師のうちで人の前で物のいへるのは利吉だけだったから、彼は五人の者を代表して、勇にこんなことをいうた。
『お父さんはやはり偉いですよ。私が船板をお父さんの方に渡すと、わしは年寄だから死んでもいゝが、お前はまだ年が若いし、四つになる子供もあるから、この板はお前にやるといって、板をつつ返されたんです。その時私は泣きましたね、やはり親分は偉いと思って。それで私も断念して、親分と別れたのでしたが、丁度運よくそこへ第三伊予丸が見えたので、声の限り怒鳴ったんです。すると、船員が必死になってしてくれましてね、それでみんな助かったと思ったんです。デッキへ上った処が、小五郎さんが見えないんです。伊予丸の船長も一生懸命してくれたんです。一時間位も探しましたかね、大将は何しろ年をとってゐましたからね、風はきついし波はつよいし、一時間以上もあの御老体で波の上に揺られてゐたのですから、まあ、運よく助かったとしても不思議な程なんです。私は、お父さんがデッキの上に寝ていらっしゃるのを見てびっくりしたのです。私は助けられた者の中の最後のものでしてね、私は板を持ってゐたものですから、ずゐぶん遠くの方まで流れてゐたやうでした。他の者は若い者ばかりで、船板をもって一緒に漂流してゐたやうでした。……人工呼吸法もずゐぶんやったんでしたが、船に救助されてからうんとがっかりなすったと見えて、最初は一言一言いはれたんですが、十分も経たぬうちに弱ってしまはれて、「勇、勇、海に行け」といふ遺言だけ残して。この世をお去りになったのでした』
 さういって利吉はまた涙を拭いた。傍を見ると、新聞紙に包んだバナナの一束、また竹籠に入れた林檎の幾つかが置かれてあった。みんな親切な汽船の乗客の土産物をおくられたものらしかった。
 勇は、茣蓙をそっとめくって父の顔を見たが、父は聖者の如く眠ってゐた。海を愛して海の難に倒れ、そしてなほ海を恐れず、その息子をなほも海に送らうといふ勇敢な父の信念を思ふと、彼は、父が海の精の権化であるかの如く考へられた。それで彼は両手を合せて父の霊に黙薦し、堅い決心をもって父の屍を発動機船に運んだ。