予言者エレミヤ3

  二 春の雨が降らない

 降るはづの春の雨がひでりつゞきで、こまりあぐんだあと(ユダヤでは一年に十一月頃と二三月頃に二度雨季がありまして、十一月頃のを前の雨と申し、二三月頃のを春の雨或は後の雨と申します)
 神様がおほせられますには、
『エレミヤよ、村から出て、都エルサレムに行き、町の人々に告げよ。エホバはかく仰せられたと』
 エレミヤはすぐ市にまゐりました。そして街の人通りの多い処で辻説教をいたしました。
 エレミヤは先づ、神様は決して、ユダヤ国を忘れて居らしやらぬと云ふことから、それにひきかへ、イスラエルユダヤ人のこと)が神様の御恩になれて、真の神エホバをそっちのけにし、バアル(お日様を本尊にした偶像)を拝み、つまらない真似をすると国民の罪をせめ、それから……
『………だから、神様はどこまでも人間と是非曲直をお争ひにならうと仰せられるのだ。馬鹿なことだ、どこか世界に自分の拝んでゐる神様と、普通の品物と取り換へッこした国民があるであらうか、あの偶像国のギリシヤに行ったって、そんなことはありやしない。――あゝ、そんなことはない。天も驚け、地も慄へ、こんなつまらぬ国民がまたとどこにあらう?』
 かう、エレミヤが張りつめたうら若い悲しそうな声で叫んでゐた時に、大勢の人々はどう聴いたでありましょう。皆へんな眼付をしたでしょう。『此小僧何を云ふんだい』と或者は呟いたでしょう。或人は『往来を妨害する!』と怒ったでしょう。或人は『乞食預言者の子供が食ひはづして一儲けしようとしているのだな』位い思ふたでしょう。
 然し、エレミヤは、ちっとも聴衆を恐れませんでした。耻しそうなその眼なざしに、赤心こめた生血をほとばしらせ、輝いたその頬ぺたに、林檎の様な色を含ませ思ひに導かるゝまゝつゞけました。
 乾魃から聯想(おもひつい)て、
『此国民は二つの悪いことをして居る。一方では神様と云ふ活ける水の源を捨て、他方では水持ちもしない水溜を堀る。これでは困るのはあたりまへだ。
 あゝ罰だ罰だ。国民は捕虜になり地は獅子に荒され、諸邑は焼かれ、住む人とては一人も無い様になるのだ。そんな恐ろしい罰を神様がおあてなさると云ふに此民はまだ改心しようとも云はず、うろうろして、アッシリヤにつかうか、エジプトにつかうかと人間の力を借りること計り心配してゐる。こんな民はたとひ、ソーダに灰汁をまぜて心の洗濯したって穢は取られやしない。
 それでいて、まだ偶像には仕へぬ積で居るのだからおかしい。あのヒンノムの谷は何だ。モロックに捧た赤坊の死骸でざらざらしているじゃないか。
 しかし、可哀想なものだ。まるで沙原に迷た牝駱駝だ。欲にまかして、風の吹いて行くようにあっちこっちと漂泊ふてゆく。またそうかと思ふときりきり舞ひをして、一月もすれば帰ってくる。苦労せぬ中に用心して居れと云ってもきかない。いや矢張り外国の拝んでいる偶像がよいと云ふ。
 然し、罰は必度うけねばならぬ。泥棒が掴った時にうける様な辱をイスラエルはうけるのだ。王も、大名も、祭司も、預言者も、皆そうだ。
 その時になって、村々にある鎮守へ行って、頼むかどうだらう? いやそうじゃ無い。そんな時には、またエホバに泣きついてくる。やれ、父なる神よとか、何だとかかんだとか、困った時に偶像にたのめばよいじゃ無いか? 偶像の方が数が多いのだから。ほんとに仕方が無い。だから神様は、此国民を之れまで度々とお懲らせになったのだが、きかない』――エレミヤは益々激してまゐりました。
『吁、此世の人よ、神は、汝等の曠野であらうか、暗であらうか、何故もう神に帰らぬと汝等は云ふか? 乙女は自分の飾物を忘れることがあらうか? 花嫁は帯を忘れようか? そんなことはないよ。しかし、汝等の神を忘れた日数はかぞへきれない』
 若い預言者はまた句調をかへ
『女の為めなら汝等は随分犠牲を払ふが、汝等は、神様の為めに、どれだけの犠牲を払ふたか? 汝等は知って居られるか。汝等の裾に血がついて居るのを? 泥棒の忍び込んだ穴にだってそんな血はついてはゐない。それは教へてあげよう、貧乏人の血だ、これでもまだ、汝等は「己たちには罪がない」と云ふね。だから。神様が仰せられるのだ。「どこまでも争はう]と』
 エレミヤの眼は急に柔和になりました。その声はまた沈んで参りました。そして如何にも神様が、我々を愛して下さっていらしゃると云ふ様な句調で
『世の中に「逃げた妻を呼び返へすな、その地が穢れる」と昔から云ふ、イスラエルは偶像と姦淫して真の神様を捨てた。しかし、それでも神様は帰れとおゝせられるのだ』
 然し、エレミヤは最後にもう堪え切れぬと云ふ身振をして、ぐるりの山々を見廻し、
『汝等、目を見張ってぐるりの童山を見よ、どこに偶像のない処があるか? 之だから、神様は春の雨をお降らしなさらなくって、罰をおあてなすったのだ。それにも懲りず、穢はしい女にうつゝをぬかす。あゝ此民は仕方が無い』と叫んで説教をやめました。
 之が預言の初陣。繰返しも幾度となくいたしました、人にはわかり兼ねる様な感嘆詞も多く入れました。
 然し、一つ! 人の面は少しも恐れず神様の教へて下さった通り述べました。
 之が人々の耳に這入ましたらうか? 実はこんな青二才から、こんなことを聞かされてびっくりしたでありましょう。この頃よりざっと百二十年前アッシリア王シヤルマネセルが北隣のイスラエル王国を亡ぼしてからと云ふものは、ユダヤ国はたゞもうエジプトとアッシリアの二強国に挿さまれて朝晩の二国の衝突にもうもう暉が来て、出る王様も出る王様も天地の創造主など忘れてしまい、それは恐ろしい政治をしたものです。それに今度の若王様が先代と引換へて、第一、宗教から取り締ると云ふ具合な処へ、珍らしい若預言者が出たものですから人々は唯目を丸くして、これはまたどうなることかと見て居たでありましょう。(エレミヤニ章――三・六)