予言者エレミヤ5

  四 門前の説教

 サイシャンの襲来のあった後、間もなく或年の秋のことであります。エレミヤはまた罪と偶像に充ち充ちた国の前途を思ふて、神殿の門に立ちました。そして神様に教へられた通り預言しました。
ユダヤの凡ての人よ、行を改め偶像を捨てそして全能の神に帰れ審判の日が近いから』と。エレミヤはまた神殿を指さして申しました。
『お前等は此宮にもバアルの宮にも両方参り、それでも神様が聞いて下さると思ひ、仕たい放題のことをしてゐて、まだ神様がきいて下さると思ふて居る。だから、神様が仰せられる。
 われ此宮をシロ(初めてユダヤ人が神様の御殿をたてたところ)の如く亡ぼし、あのベンヒノムの谷の崇邱(バマ)で子女を火に焚いてモロックに捧げ、恐ろしい偶像礼拝をして、少しも恥ない人だもの屍は、空の烏と地の獣に食はしてしまはう。その時には此エルサレムは荒地になるのよ』と。
 エレミヤは神様のおことばをつゞけて申しました。
『空の鶴は、その定期を知り、斑鳩と燕と雁はその定めの時を知ってゐる。それに神の民と云はれるユダヤ人は神様の法律を知らない。預言者はいつはりを預言し祭司は人々を欺き、罪の中に安心があらう筈も無いに、安心、安心と人を騙(だま)かす、だからわれ(神様)は騙のきかない。審判を北から近づけよう』と。
 エレミヤはかう預言はいたしましたものゝ実はつらう御座ります。だって、エレミヤもユダヤ人のひとり、エルサレムに住む一人なのですから、然しまた自分と云ふことを離れ神様の御声に耳を傾けますと、神様はやはり『審判! 審判!』と仰せられます。
 で、エレミヤは猶つゞけて預言いたしました。
『汝等よく考へて哭き婦を呼べ、彼等は上手に泣いて、すぐ汝等の足る程泣かしてくれる。それで無ければ、女に泣くお稽古をさせるか、お隣に哀歌を教へるがよい。死は家の窓から這入って殿舎に忍び入り、外にある諸子みお、壮年も皆殺され誰一人息している者がないまでも滅されてしまうのだ……その日が北の方から来る』と。
 こんな気味の悪い預言が勿論受けられる筈がありませぬ、エレミヤはすごすご家に帰ってまゐりました。
 エレミヤは家に帰ったが最後もう悲しくて悲しくて仕方がありません。ありったけの涙を絞り出して泣いたのであります。たとひ頭はすっくり涙の嚢となり、眼が涙の泉となってもまだ足らぬと思ひました。眼の前に国の亡びる最後の光景がありあり見えます。

  嗚吁われ憂ふ

  いかにして慰籍を得んや
  我衷の心悩む

  みよ遠き国より我民の女の声ありて云ふ
  エホバはシオンにいまさざるか?
  その王は、その中に在さざるかと……

  (エホバ云ひ給ふ
  彼等は何故にその偶像と
  異邦の虚き物をもて我を怒らせしや?)

  収穫の時は過ぎ、夏も早や畢りぬ。
  されど、我等はいまだ救はれず我民の女の傷によりて
  我も傷み且悲しむ、恐懼我に迫れり

  ギレアデに乳香あるにあらずや
  彼処に医者あるにあらずや
  いかにして我民の女は癒されざるや

 かうエレミヤは歌つてみてもまだ足りませんでした。エレミヤはもう神様に背いて預言者もやめ、山の中へでも這入らうかと思ふ位ゐまで考へ詰めました。それからまた考はもつれもつれて、社会の不人情から自分のつまらぬことなど、遣る瀬なく殆ど日も足らず泣きつゞけたのであります。(エレミヤ七、八、九、十章)