ユズ絞り

 二週間前から、ユズを搾り始めた。60を過ぎた年で初めて知る喜びである。ユズ耕作放棄地ではあるが、許可を得て、ユズ玉を摘み、自ら絞り、金曜市で自ら販売する。すべての工程に関わることの楽しさはやってみなければ分からない。作業場の車庫も車の中も、金曜市でもユズの香りにまみれることは非常な喜びである。
 花卉栽培や果実栽培も楽しいものだと思うが、出荷してしまえばおしまいである。僕らのユズの場合が、お客さんとのやりとりがまた楽しいのである。たぶんユズの香りがお客さんにまで乗り移ってお互いが幸せな時間を過ごすのだと思う。
 僕らのユズはいつからか誰も手入れをしなくなった木である。農薬はおろか肥料もあげていないのに、毎年、きれいなユズを実らせる。いわば自然の恵みなのである。そのユズ玉を摘むことは自然との交わりである。そして金曜市での販売は人との交わりである。二重の意味において嬉しさを感じさせてくれるのだ。
 賀川豊彦はそのエッセイ集『暗中隻語』でオバコの葉脈で紐を織る喜びを次のように書く。
「自然と人間の協力は、或る範囲内に於ては非常な喜びを人間に与へてくれる。丸太小屋、丸木舟、蔓で造つた釣橋、斯うした原始的な人類の創作物は、一面人間の独創的趣味をそゝると共に、自然の賜物の豊なることを深く教へて呉れる。野道を歩いて『おばこ』の葉をみるたびごとに、自然と私の距離が非常に近いことを私は感じる」
 僕らも同じ気持ちで今、ユズを搾っている。(平成27年11月26日)