一 アンペラ御殿を中心として

  一 アンペラ御殿を中心として

  貧乏人でも家を建てる

 いつか、貧乏な私だつて、家の一つ位建てたいと思つて居た。恰度武蔵野の林間学校の炊事小屋を取毀さなければならなくなつたので、それを私の勉強室に改造することにした。
 それまで私は、『死線を越えて』の第三巻を害かうと思つて、府下松沢の大きな杉林の中に天幕を張つて仕事をして居た。森の中というものは、存外不便なもので、風は通らないし、蚊は多いし、その上、陽は充分通してくれないので、私は一寸困つてゐた。併し震災気分をまだ持ち続けて居た私は、森の中の不自由を二ケ月以上も辛棒した。
 併し天幕が古かつたので、雨降りには何時も蒲団を濡らして全く閉口してゐた。それだから炊事小屋でも天幕より遥かに佳いと思つたものだから、直ちに自ら設計して、四畳半一室の書斎を拵へることにした。勿論柱だけは炊事小屋に使つて居た長さ五尺の三寸角をそのまゝ用ゐることにして無駄のないやうにした。天井を張りたかつたか、天井を張ると私の頭が閊(つかへ)るので、震災当時本所の天幕で敷いてゐたアンペラを天井に張りつけることにした。張るのに苦心したが、竹の弾力性を利用して『A』形に張ることにした。
 小屋の時には、尾根はトタンばかりであつたものだから、夏など迚も暑くて這入れなかつた。それで私は、トタンの下に板を敷くことにした。家はそれで何うにか、斯うにか出来たが、柱が細いので風が吹くと倒れる恐れがある為に、北側に三尺に一間の押入れを付けることにした。押入れと云つても、カーテンで仕切るだけで戸などは入れてない。
 窓は一間に四尺の仕入の硝子戸を買つて来て南側につけた。雑用全部を見積つてみると、道具代から上敷まで入れて八十六円かかつた。大正十三年十月一目に起工して、この大工事に約二週間を費した。それを最初の一目だけは私も手伝つたが、亜米利加旅行の期日が迫つて来たので、私は余儀なく田井君と佐々木君と私の弟と三人に依頼して、私はその後充分伝ふことは出来なかつた。
 斯うして出来た小屋は天幕よりも明るく、実に気持の佳いものであつた。只硝子戸を五枚も入れたので、その為に経費が馬鹿に嵩んだことを後で馬鹿らしく思つた。私は三坪二十円位で建てようと思つて居たのが、トタン板が高いのと、材木が高いので思つたほど安くは出来なかつた。併しもう彼れこれ満二年使つて居るが、便利なことこの上なしである。

  ゴシツク建築代金三十八円也

 ところがその中に弟の妻はこの四畳半の家で子を生ねばならぬことになつた。親子四人の為にはあまり狭いので東側に三畳敷の小屋を建て増すことにした。硝子障子を余り多く入れると高くつくので小さい窓を二つつけた。外見からは西洋造りの似に見える、ゴシツク式鋭角に近い屋根を待つた家を造つた。この経費は凡てで三十八円かゝつた。
 これより先、村の日曜学校に使つて居た天幕には家の青年二人が寝て居たが、冬があまり寒いので天幕の形だけの大きさをもつたバラツクを造ることにした。恰度私は或る講演会の御礼として貰つだ、五十円の金を持つて居たので、それを渡して、材木を買うことにした。処がこれは日曜学校の目的で造らうとした為に、二間に三間の小屋を、内部に柱がないやうに造らねばならなかつた。
 処があまり良い柱を使ふと経費に影響するので、柱なしで建てることは頗る困難であつた。その結果はまたひよろひよろの家が出来たので、北側に三尺に三間の押入を造ることを余沢なくせられた。ところが段々建てゝ行くと共に上手になつて来て、東側に一間の硝子戸を建て、南側に、四尺に三間の硝子障子を入れても、僅か百三十円で足りた。
 大工の手を借らずに小屋を建てる秘訣を覚えた私達は、村の材木屋から最も悪い板と往を買つて来てその後小屋を二つ建てた。一つは寒さ除けに南京袋を部感の内部に張り詰めたので、袋の家と呼んだ。然し袋は梟に通ずるのでいまは梟の家と呼んで居る。
 梟の家は、私の為に絶えずオートバイを運転してくれてゐる富樫君と、弟益慶の二人が建てた。生えて居る松の木などを一本でも切らない様に、西南隅などは、態々三尺ばかり削り取つて奇妙な家を造つた。この家は鋸と飽などの新しい道具を買ひ揃へて建てた為に、合計九十六円かゝつた。その中十七円は道具代たつた。

  古木で建てた雀の家

 その後、四畳半の座敷に三尺に一間半の押込みをつけた『雀の家』といふのを建てた。これは古木で建てたので釘代しか要らなかつた。完全な柱と云ふのは一本もなく、皆接木して建てた。それでも材木屋から新しく買ふならば、坪十五六円についてゐるかも知れない。勿論その中最も高価なものは硝子障子である。二軒も三軒も建て々居ると、段々上手になるもので、富樫君は、もう一流の大工になつた様である。最近富樫君は、眼病になつた私の為に、初めて雨戸の這入つた約五畳敷の部屋を造つてくれた。これは富樫君一人で建てたのだが、普通の大工が吃驚して居る。この経費は約五十円位だと思ふ。もう三ケ月前に出来上つたものだが、村の材木屋さんは呑気だから、まだ勘定を取りに来てくれない。