賀川豊彦の兄弟愛経済(1)

 オルタナティブな道

 今どき協同組合といったら旧世代の発想のように聞こえるかもしれない。だが、ソ連の崩壊以降、わが物顔に暴走する資本主義経済に対抗する経済体制の存在がいまこそ不可欠であると考えている。それが協同組合だとは言わない。だがオルタナティブの一つだと思っていい。
 資本主義つまり株式会社と協同組合にはいくつかの違いがある。双方とも企業経営で出資を募るのだが、株式会社は主たる株主が存在して経営権は大多数の株式を保有する個人またはグループに存在する。これに対して協同組合は小規模な出資者を多く募り、株式保有数ではなく大口出資者といえども一人一票しか投票権を認めない。
 国家の運営で例えれば、株式会社が王制や領主連合であるのに対して、協同組合は民主主義的であるといえるのではないかと思っている。税金を支払わなくとも構成メンバーであるかぎり一人一票が認められているからだ。
 協同組合は地域や職域といった狭い空間から出資を募るため株式会社より顔が見えるかもしれないが、弱点は強いリーダーシップがないかぎり無責任な経営に陥りやすいことだ。
株式会社は主たる個人やメンバーが強い経営の意思を持っていることが起業の原点だからより強いけん引力を持っている。
 どちらがいいという話ではない。資本主義が暴走したときに協同組合的経営を想起したり、協同組合的経営が放漫になって行き詰まったときに資本の論理が経済活性化の刺激剤になるのだと考えたい。
 経済社会の独占や寡占を許さないために常にオルタナティブな経済思想を準備しておかないとどんな経済体制においても“暴走”が始まるというのが歴史から学ぶ教訓なのだ。

 賀川豊彦の協同組合的経営が一世を風靡したのは1930年代だった。1929年のニューヨーク株式市場の暴落をきっかけに世界経済は大きな危機に直面していた。対抗軸にあったのはソ連型の社会主義経済だったが、賀川は共産主義の暴力性にいち早く嫌悪感を示していた。資本主義でもない、社会主義でもない、第三の道として協同組合的経営を提唱したのだった。
 株式会社が株数に応じて株主権を行使するのに対して協同組合方式は一人一票。1840年代、マンチェスター郊外のロッチデールから始まったその経営は消費協同組合としてイギリスで発達し、ドイツではライフアイゼンがロッチデール方式を改良して農村信用組合として成功していた。イギリスでは一時、百貨店の売り上げを凌駕し、ドイツでは信用組合を通しての防貧・救貧事業が発達していた。
 考えてみれば、われわれの生活の中には多くの協同組合が存在している。生協はその最たるものだ。日本生活協同組合連合会などによれば、国内の生活協同組合の組合員数は6000万人。売上高約3兆円である。組合員数が世帯数だとすれば、国民のほとんどをカバーする。売り上げはイオンやイトーヨーカ堂など巨大スーパーに匹敵し、百貨店全体の半分近いのだ。日本最大のコープ神戸は加入者130万人で、兵庫県での売り上げは神戸を本社としたダイエーのそれを凌駕する。
 このほか農協や漁協はすべて協同組合だし、地方経済を支える信金・信組は協同組合そのもの。第二地銀といわれるかつての相互銀行も日本的協同組合である無尽を起源としている。相互会社である保険会社も考えようによっては協同組合的発想である。
 公務員は公務員共済組合を組織しており、形骸化されているとはいえ、企業の健康保険も組合方式で経営されている。
 資本主義経済といわれる日本であっても経済のかなりの部分を協同組合的経営に依存しているのである。地域の互助組織であるという基本精神が忘れ去られているだけの話なのである。