世界の賀川(2) 賀川リターンズ
5年も前だが、スコットランドのグラスゴー行った。その2カ月前、「賀川、賀川」と言っている牧師さんがいるということを友人から聞いて、正直びっくりした。70歳を超えて病身であるということで、これはぜひとも会っておかなきゃいけないと思ったのだ。
そのアームストロング牧師とはすぐに連絡がとれて、グラスゴー大学の研究室で会った。子どものころ入院した時、父親の書架から何冊かの本を持ち出したが、その中にどういうわけか『Kagawa』という本があった。これを読んで病身の彼は震えるような喜びに浸った。「こういう人間がいるんだ。自分もぜひこういう人間になりたいと思った。それで僕は牧師になった」という。当時は日本とイギリスは戦争状態だった。そんな時、一人のイギリスの少年の心を動かした日本人がいたということだけでも、偉大なことだと思う。
この本は、アメリカのアキセリングという宣教師が1932年に出版し、直ちに8カ国語に翻訳された。英語のほかはフランス、ドイツ、オランダ、スカンジナビア、トルコ、メキシコ、インドと中国語。岡倉天心の『茶の本』が何カ国語に訳されたという話はあまり聞かない。賀川豊彦の伝記は世界ほとんどの言語で翻訳されている。この時、賀川はまだ四十数歳。その歳で伝記が書かれるなんてこと自体がすごいことだと思いませんか。
アームストロングさんは「昨日来ればよかったのに」と言った。僕がグラスゴーに着いた前日にグラスゴー大学で賀川のシンポジウムを開いていた。実はシンポジウム参加を目指したが、仕事の関係で間に合わなかった。
40人ぐらいしか集まらなかったと言っていたが、それだけ集まるだけでも驚きだった。しかも場所はグラスゴー大学だ。賀川にゆかりのある人、生前に会ったことがある人、あるいは賀川から影響を受けた人に対して、インターネットやキリスト教の新聞を通じて呼びかけると、100人近くから反応があったそうだ。
一番僕が感動したのは、ある老齢の女性の話だった。看護婦さんで修道女として若いころ仕事をしていた時、グラスゴーに賀川が来た。1950年のイギリス訪問時のはずだ。
彼女は修道院で草取りをしていた。
「そうしたら賀川がつかつかと寄ってきて、私の手をにぎって『ごくろうさん』とか何か言ってくれた。そのことがずっと私の思い出になった」。
「あの大賀川に手を握ってもらった」という話をそのシンポジウムでしたらしい。ほとんど神様のように言っていた。
賀川がイギリスを訪問した当時の新聞を調べると、スコットランドの新聞に「Kagawa Returns」という見出しで賀川の記事が掲載されていた。「もう一度来た」ということ。その前の訪英は、1936年だからその14年前である。新聞記者たちが覚えていて見出しを「賀川リターンズ」にしたに違いない。「おお、すごいな」「戻ってきてくれた」ということなのだ。
世界の賀川(1) 地球規模の発信
http://d.hatena.ne.jp/kagawa100/20090126/1233289837
世界の賀川(2) 賀川リターンズ
http://d.hatena.ne.jp/kagawa100/20090127/1233290989
世界の賀川(3) オーストラリアの賀川
http://d.hatena.ne.jp/kagawa100/20090203/1233748449