世界の賀川(8) Brotherhood  Economics

 1935年の訪米で忘れてはならないのは、ニューヨーク州ロチェスター大学での講演だ。「Brotherhood Economics」と題した講演で、日本語では「友愛経済」「兄弟愛経済」とでもいえばいいかもしれない。この経済学の講演は直ちにニューヨークで出版され、17カ国語に翻訳された。どういうわけか日本語にだけ翻訳されなかった。現在、松沢資料館の加山館長が翻訳中で、年内の出版を計画している。
 その後ヨーロッパへ行き、同じ講演をジュネーブで行った。英語での講演は直ちにモブスというフランス人牧師によってフランス語版の本になった。どうもそのフランス語版が、さらに各国語に訳されたんではないか。そこらへんの真相はよくわからないが、それぐらい世界的に影響を与えた。
 1970年代に今のEUがまだECと言っていた時代、、EC議長でコロンボというイタリアの元外務大臣が訪日した時に、「ECの理念には賀川豊彦イズムが流れている」と発言している。
 ルール地方は鉄鋼や石炭の主要産地で19世紀から、フランスとドイツがその所有権を争ってきたため、戦争の度に国境が変わった。言葉も変わった。「最後のフランス語の授業」というのはフランス側の言い分で、実はその数十年前には「ドイツ語の最後の授業」があったはずだ。
 鉄鉱石と石炭がある限り、ヨーロッパでは戦争が尽きないから、そこを国際的に管理しようことになった。フランスでもドイツでもない、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体をつくって、各国で共同管理しようという発想だった。EUというのはそこから始まる。その概念は、まさに賀川の「Brotherhood Economics」の中で書かれたことが実践されたといってもいい。フランスのシューマン外相がヨーロッパ石炭鉄鋼共同体を打ち上げたとき、日本で真っ先に喜んだのが賀川だったことは覚えておいていい。
 「Brotherhood Economics」で重要な発想はいくつもある。賀川は1930年代にすでに世界貿易機構の設立を求めていた。WTOの前身であるGATTを20年先取りしていた。各国の貿易の不均衡を調節するための国際銀行の設立も求めた。賀川が言及した「地域経済会議」はたぶんAPECのようなものにあたるのだろう。
 1930年代はイギリスが英連邦を強化するなどブロック経済が進んでいた。日本も遅れじと満州の利権をわが物にし、触手をさらに華北に伸ばして中国と衝突することとなった。そんな時代に 賀川は協同組合的経営を通じてボーダーレス化を進めない限り戦争に突入すると予言していた。
 その当時、それらは賀川だけの発想でなかったが、賀川もまたそれを言っていたということだけは確かなのだ。冒頭書いたように賀川は日本のことだけを考えて発信していたのではない。世界のこと、宇宙のことまで考えて発信した。従来の賀川研究での問題はここらの認識不足ではないかと思っている。