地球ブランドの賀川豊彦

 6月22日、香川大学で学生に賀川豊彦を講義することになった。セカンドハンドの新田恭子さんの手引きで実現したが、学生がどれだけ関心を示してくれるか期待と不安でいっぱいというのが正直なところである。
 さて何から話をしようか。
 四国の偉人で知っている人を挙げよ、という設問から始めたい。
 讃岐の空海は平安初期に真言密教を確立した。幕末の日本を明治時代に導いたのは土佐の坂本龍馬。科学者でいえば平賀源内、マスコミ人としては万朝報をつくった黒岩涙香宮武外骨も知られていよう。
 さて徳島出身の賀川豊彦はどれだけの学生が知っているだろうか。空海坂本龍馬はもちろん全国ブランドだが、日本以外ではほとんど知られていない。だが賀川の場合は四国で知られていなくとも世界的な著名人として知られる。1930年代アメリカで「Tree Trumpets Sounds」という本が書かれた。20世紀の聖人として賀川、シュバイツアー、ガンジーを上げている。賀川はまさに地球ブランドといっていい。
 賀川は21歳のとき、肺病を病み医者から余命いくばくもないことを宣告され、貧しい人たちと生きることを決心し、神戸の貧民窟に住み込むことになる。今から100年前の1909年12月24日のことだった。
 貧しい人たちを救うことから始め、やがて貧困をなくすにはどうしたらいいかを考え一つひとつ実行に移していった。一膳飯屋、歯ブラシ工場を立ち上げ、いずれもうまくいなかなった。アメリカ留学で知った労働組合運動を神戸の地でも起こし、生活協同組合をつくる。農村では農民組合を組織し、各地に農民福音学校を経営した。
 評論家の大宅壮一氏によれば「今ある運動と名のつくもののほとんどが賀川豊彦から始まっている」ことになる。
 一方で、働く女性のために保育園を経営し、働く場のない人たちのための職業紹介所をつくり、失業保険も賀川の仲間たちが編み出した。
 世界大恐慌の後、アメリカから招待され、6カ月にわたり全米で協同組合について講演した。資本主義は貧富の格差を生み出し、社会主義は暴力革命に走っていた。そんな中で第三の道として助け合いの協同組合的経営こそが恐慌から脱出するための処方箋であると考え、「友愛経済」(Brotherhood Economics)と名付けた。
 賀川がニューヨーク州ロチェスター大学で「Brotherhood Economics」と題して行った講演はただちに英語で出版され、またたく間に17カ国語に翻訳されて、一大センセーションを巻き起こした。
 実際、賀川は関東大震災の直後に本所で救済活動を始め、多くの事業を協同組合で起こした。生協はもちろん給食センター、保育園、銀行、そして病院まで建設した。今ならば行政が行うような事業を協同組合で行ったのだ。株式会社の利益は株主のものだが、世界で最初に協同組合を立ち上げたロッチデール精神では、利益の分配はまず利用者に、そして教育にと地元に還元すべきことをうたっている。
 協同組合はイギリスで、そしてドイツで発展したが、賀川の事業ほど幅広く展開された協同組合は世界ではみられない。あるとすればノーベル平和賞を受賞したバングラデシュムハマド・ユヌス氏が行っているマイクロファイナンスやソーシャルビジネスが賀川の考えに近いのかもしれない。
 いま、世界経済はニューヨーク発の金融危機に見舞われ、大きな曲がり角に差し掛かっている。そんな折、賀川豊彦が考え実践した協同組合的経営に今一度光をあてる必要があるのではないかと思っている。(伴 武澄)