世界国家6 世界平和と無傷害愛運動(1947年9月号)

 マルチン・ルーテルが。宗教改革を始めた頃、ライン川の上流スヰスのツーリツヒに山上の垂訓を実行せんとするヤコブフツテルの一団が、無傷害愛運動を始めた。又ライン川下流に於て、シモンメノールが同じ頃、無傷害運動を始めた。この時代、マルチン・ルーテルはまだ剣を吊つて旅行していた。然るにフツテルやメノールは刀を捨てた。このライン川の流域に起つた無抵抗愛の運動は戦争好きなヨーロッパの諸公にいれられずヤコブフツテルやメノールの弟子即ちメノナイトと呼ばれる人々は遂にロシアの王ウラジミルの招きによつてウクライナの地方に開墾に出かけることになつた。そして彼等は今日のウクライナを開いた。
 文豪トルストイが無抵抗主義を説いたのも全く彼等に刺戟せられたからであつた。メノナイトはシベリアの開墾にも出かけたが、ここでは土匪の連中に襲撃せられ、妻女を強姦せられ持物を掠奪せられたので、遂に無抵抗主義を放棄する一団も現われた。
 その悲しい歴史を読んで私は無傷害愛の運動は十字架の運動であると考えざるを得ない。一九四五年四月十二日からサンフランシスコに於て開かれた国際連合はこのメノナイトの苦しんだ掠奪と強姦に備える為、国際警察制度を承認している。私はこの国際警察制度の必要を痛感するものである。理想的に云えば国際警察制度も無用であると主張するものもあらう。不幸にして人間には発狂もあれば、神経衰弱もある。その為に武装解除した人々を傷つける場合もある。この場合、国際警察制度は必要であると私は考える。理想から云えば警察制度のないような世界を創造すべきである。然し酒と梅毒と阿片のある世界に於て今すぐに警察制度を廃止することは困雛である。
 私は組織された暴力が必要だと云うのではない。とにかく発狂者を社会より隔離する必要があると思う。この条件を守ることによつて始めてメナイトのシベリア移民は可能になる。昔テレマカスは一身を犠牲にしてロマ帝国の悪習、闘牛を止めさせた。又台湾の呉鳳は一身を犠牲にして阿里山蕃の蕃風首狩を止めさせた。発狂していないものは、理性さえ確かであれば犠牲によつて充分覚醒させることが出来る。然し脳梅毒とアルコール麻剛を持つている近代人は恐らく犠牲によつて覚醒することは出来ないのであろう。然し人間に於て不可能なことでも神に於ては可能である。そこに宗救的無傷害運動の力強さがある。
 三百年前、ショージ・フオツクスが英国に於て始めたクエーカーの無抵抗主義は、メノナイトの運動と相並べてキリスト教平和運動の一段の光明を与えた。英国の如き法治順に於て、無抵院主義運動は必ず成功する。一九四五年の国際安全保障会議は世界全体を法治国たらしめ戦争を誘発する国家に対して法治国的制裁を加えんとするものである。この国際平和制度は国際裁判所の組織とともに、世界平和に対する非常な進歩であると考えねばならぬ。
 日本がこの国際連合の法治国的性格に基いて永久に戦争を放棄した。これは誠に慶賀すべき世界の曙であると考えてよい。然し乍らいくら世界に法治国的制度が出来ても、個人々々が無抵抗主義に目醒めなければ法治国それ自身の存在すら困難であろう。然し個人個人が無傷害愛に目醒めることはキリストの如き贖罪愛意識に入らなければ。決して永続的な基準を据えることは出来ない。(一九四七年九月号)