協同組合の理論と実際(2) 賀川豊彦

 二、協同組合なき社會の恐るべき混亂

 飜つて、我等は現實の世相を直視せねばならない。そこには何が展開されつつあるか。
 窮乏・飢餓・不安・闘争・失業・闇の横行・混亂・恐慌、等々の深淵が、暗黒なロを開いて人々を呑みつつあり、且つ呑まんとしてゐるのである。
 一方叉インフレーションの龍巻が吹きまくつて、アレヨアレヨといふ間に人々を中天高く引きさらつては、再び地上へ墜落せしめてゐる。
節制なく本能的行動のみに駆られたる亂雑を極めた利己的社會の様相は、まことに恐るべきものがある。
 富の偏在蓄積、物資の少數者集中、社會の大衆は、失業し、飢餓線に彷徨し、生活不安と、從属性と不信用の世界に蹴落され、永遠に浮び上り得ない叫喚の声を放つてゐる。
 自由放任の市場は、忽ち修羅の巷と代り、失業者の流れは大水の如く社會に溢れ、食糧獲得に狂奔する大衆で、交通は地獄化し、社會は暗黒の中へ突き落されてゐる。
 世界に、キリストの名を呼ぶものが六億に近い。そしてキリスト教國と呼ばれるものは、凡て文明國に属してゐる。それにも拘らず、その文明國に戦争が相続き、窮乏・失業・恐慌が絶えず、社會を脅かしてゐるのは、何故であるか?
 それは言ふまでもなく、現代のキリスト教が教條にとらはれてゐて、まだ全生活の全福音となつてゐないからである。
 そこで唯物的共産主義者は、「宗教は阿片なり」と叫ぶ。そして彼等は暴力と支配者階級の専制を訴へて、瞬間的の暴力革命によつて、恒久の社會組織を捷ち得んとしてゐる。
 ソヴィエットは、それを經験してみた。「しかしそのために數百萬の人命を犠牲にして、漸く捷ち得たものは、組合國家への道程であり、共産社會へはまだまだ遠い。
 英國の勞働黨は、必ずしも、マルクス主義的革命を理想にしてゐなかつた。然し一九二五年にラムゼー・マクドナルドが失脚するまで勞働黨内閣は、大英帝國の政權を握りながら、失業者數を減退せしめることも出来ず、勞働法制上、何等見るべきものがなかつた。
 これは、かつて獨逸社會民主黨の失敗について見るも亦同じことが言へる。エヴェルトを大統領とした獨逸社會黨は、一九一八年の革命により全獨逸の民衆を支配し得る地位に置かれたにかかはらず、殆んど何等見るべき産業革命をなしとげ得ずして、終つてしまつた。
 しかも、勞働者のみを中心とする政權を數年間も握り得たのであるから、失業者の數位は減少させ得るかと思つたが、それさへ爲し得なかつた。
 これを見ると生産者のみを中心とする唯物的社會主義も、經済的に社會を改造する力はないと考へなければならない。