協同組合の理論と実際(3) 賀川豊彦

 三、資本主義社會の悲哀

 これを見れば。単なる教條的な宗教も、ただそれ丈で固定してしまつては、社會不安を除く力を持たず、唯物的社會主義も經済革命を完全し得る力を持つてゐないと言ふことが判る。
 まして資本主義が、永遠の社會組織に役立たないことをここに記述するまでもない。
 それは、自由競争のうへに立てられてゐるといふ特徴もあるが、その半面には(一)搾取制度を隨伴し、(二)少數者の資本の集積が可能となり。有閑階級を社會の上層に形成させ、(三)それらの勢力は、資本と努力を少數者に集中させ、遂には、(四)階級闘争を引き超す結果となり、無産者は出現し、恐慌と失業は必然的となり、唯物的共産主義者はその結果として現れることとなつた。
 然し、私は過去のこれらの悲哀をただ反復して、それを呪詛することだけで止まることを望まない。私は資本主義が失敗し、教條的キリスト教がもて餘し、唯物的共産主義及び所謂政黨がなし遂げ得ない、眞の社會改造、國家改造、世界改造への進路を如何にしても探し出さねばならない。

 四、唯物的經済學の無能

 それならば、新しき社會への改造の道はあるか?
 私は「ある」と答へる。
 然し、それは、舊式式なアダム・スミス流の經済學では間に合はぬし、さればといつて、カール・マルクスや、レニンの唯物的辨証法の基礎の上に載せられた唯物史観的經済學でも駄目である。勿論、全く經済倫理學の範疇をもたない教條的宗教でも不可能であることは、いふまでもないことである。
 然らば如何にして、また何處に、その解決を發見すべきであるか。私は、それを人間意識を基礎にしたる新しい意識經済學の上に求むべきであると断言する。私はこの協同組合運動を、合目的意識經済と呼んでゐるのである。

 五、マルクス唯物史観は舊時代の一學説

 私は今から廿六、七年前に『主観經済の原理』といふ本を著はして、その中で物の經済學から、心の經済學へまで進めねば、眞の經済學は究明されないことを述べた。
 人々に唯物史観と經済史観を混同するために、經済といふと恰も物質運動であるかのごとく考へることを私は悲しく思ふ。
 私は唯物的經済史観に對して、唯心的經済史観樹立の必要を強調したのである。
 その中の一節に「我々は、人間の歴史に於ける客観の勢力を否定するものではない。しかし客観と自我が交渉して、そこに經済史が生れる場合には、それはもう自然界の歴史ではなくして生物の發生史であるのだ。
 人々はマルクス唯物論に眩惑されて、この生物發生史としての經済史が判らなかつた。そして今日の多くの唯物的社會主義者にも、まだその理が判らない。カーライルは『衣裳の哲學』を書いて、(衣服は思想の表象なり)と言ひ、ラスキンは『ヴェニスの石』を書いて(建築史は思想史である)と言つた。食物に就いても同様のことが言へる。料理の歴史を調べてみても、人間は、単に食物だけの献立を作つてはゐない。宗教上の礼典の献立と、婚礼の献立とは違ひ、古代のそれと、近代のとも違ふ。
 同じ米でも日本人は、滋養に善き玄米を食はずに、美術的な白米を食ふ。料理も、一種の美術史である。この物質そのものとのみ見易い衣食性の根柢に横はるものは、「美術衝動・宗教衝動である。それがピラミッドを構築し、ヴェルサイユ宮殿、羅馬の聖パウロ寺院を建築した」と書いた。
 經済社會に於て、本能經済より理智經済に、習性經済より發明經済に、放任經済より統制經済に移行しつつある時に於て、もはや唯物論的經済學は、心理學的經済學に地位を譲らねばならない。
 カール・マルクスは、一八四八年、彼が書いた『共産黨宣言』の中に、「一つの時代の文化は、その時代の唯物的生産の形式に從つて、主として決せられる」と書いてゐる。
 即ち彼は、その唯物的生産の形式が、人間の意識の目覚めによつて齎(もたら)らされる心理的技能によつて変化することを、全く無視してゐる。今日では、唯物的生産形式そのものが、全く意識的目覚め水準の差によつて異る事がわかつて来た。
 マルクスは、人間社會に於ては、主として唯物的生産の形式が、文明文化を決定するといふけれどもそんな簡単に一國の文化を説明し、片付けてしまふことは出来得ない。
 その一例をまづ簡単な衣食住の中の食物に冠する生産といふことに探つて見よう。
 この食物の生産は、植物の征服、動物の征服、気象學・土壌學・肥料學・微生物學を始めとしてその他の諸學を加へて革命的に進歩した。これは全く人間意識の發達によるもので、華なる唯物的決定によるものではないことは明らかである。(続)
 マルクスの『資本論唯物史観は、社會病理學を示してくれた點では立派なものであるが、社會病理の治癒方面には何等触れる處がない。その最も重大な治癒は協同組合運動によらねばならないのである。
 茲に詳しく叙べる餘裕はないが、カール・マルクス唯物史観は、最早新しき時代の經済生活を説明し得ない。唯物史観は既に舊い一學説であつたといふことを知らなければならない。