協同組合の理論と実際(6) 賀川豊彦

 八、協同組合の本質

 協同組合の精神を一口にいへば助け合ひ組織である。生産者も、消費者も愛のつながりによつて公正な、自由な幸福を頒ち合ふ經済生活をいふ。更に宗教的に、キリスト教でいふ兄弟愛意識の發展としての協同組合をみることが出来る。
 經済生活体に於ける最高度にして最善の合理性を持ち、科學性に富み、且つ芸術的、宗教的經済組織であるといへるのである。
 協同組合の歴史は、普通十九世紀中葉に英國ロッチデールといふ町に發祥したといはれる。しかし協同組合の七部門である生産組合・販賣組合・信用組合・保險組合・利用組合・共済組合の中のどれか一つに属する組織は、無意識、半意識的に各民族の中に昔から存在したといふことが言へるのである。
 英國に於ける相互保險の主要な代表的組合は、友愛組合(Friendly Society)である。その起源ついては、三、四の學者から「古代にその足跡を没してゐる」と考へられてゐる。即ち近世に發達した組織もその始源は古くから傅へられて来たものである。
 キリスト教の歴史に於て特筆大書すべきことは、兄弟愛の發展であつた。

 九、初代基督教徒の兄弟愛的經済生活

 初代基督教信者達の美しい兄弟愛的經済生活の記録は、聖書の中に崇高偉大な音樂の如く永遠に鳴りひびいてゐる。
 使徒行伝第二章、同第四章、叉パウロの書簡に現れた兄弟愛については、私がここに述べるまでもない。ヨハネ第一・第二・第三の書に現れたあの美しい兄弟愛の發露は、國際的に人種を超え、文化言語を超えて互に愛し合ふ美しき宗教的兄弟愛實行の一例である。
 ユウセビアスの教會歴史を讀んでも、紀元一世紀に於ける兄弟愛のことを美しく記述してゐる。
 アレキサンドリアの兄弟達が、想像も及ぼない力を以て貧しき者をいたはつた物語、或はアガペー(愛餐式)が失業救済・協同給食を意味してゐたことも述べられてゐる。
 叉セラピュテが、一種の共産生活をしてゐたこと、彼等の群が平和主義を尊重し、戦争を拒杏したことなど、いかに初代の基督者が愛の生活を實行したかをよくつたへてゐる。
 このころの兄弟愛は、主として救貧事業を中心として行はれたものと見える。
 ヨーロッパに於ける最初の病院も、貧民救済所も、キリスト信徒が始めて手をつけたものであると歴史は告げてゐる。
 かうした運動は、迫害を經て一層内部的に結束した。迫害の終つた第四世紀には、兄弟愛は、更に社會愛として教會外にまで拡充さるるに到つた。
 フランスの聖者セント・マルチン、アイルランドの聖者パトリックの如き皆兄弟愛の實行者であると共に、社會愛の實現者としてフランス及びアイルランドの建國者となつた。
 紀元五世紀の末葉に、ベネディクトが、イタリーに現れて。これに始めて祈祷と愛と勞働の三つが打つて一丸となり、僧院生活に於て調和し、職業が神聖化され、職業補導がなされた。
 ここに注意すべきことは、このベネディクトの修道者は、専門の僧侶ではなく平信徒であつたことである。
 カトリック教會の四大教團、ベネディクト・ベルナード・フランシスカン・ゼスウイトの中で、専門僧侶侶の中心となつたものは、ゼスウイト派のみである。
 べネディクトは、實生活を修道生活へ織り込んだもので、今日でいふならば一種の農村セッツルメント(隣保事業)のやうな形をとつたと考へられる。
 この驚くべき教團は、欧洲の農業文化を六百年間(五世紀から十一世紀の六世紀間)指導したと考へてよいと思ふ。
 彼等は、平信徒の時の職業をそのまま僧院に於て生かし報酬を望まず他人にこれを教へた。今日世界で一番美しい聖図として残つてゐるフローレンス市のサン・マルコ寺院の壁画は、ベネディクト派の修道僧であつたフラ・アンジェリコが描いたものである。その画面全体に溢れる清高雅美、澄徹して一點の濁りもない純麗な画風をみると、ベネディクト修道院がいかなる精神で勤勞に献身してゐたかがはつきりわかるやうな気がする。(続)