協同組合の理論と実践(12) 賀川豊彦

 十九、生産組合

 第一に生産組合について述べよう。生産組合は、土地生産組合と、工場生産組合の二つに分類する。
 日本には、前述したごとく昔から一種の土地生産組合と称すべき「地割制度」があつた。これは周期的に襲うてくる洪水で田畑を荒される地方に存在する制度で、この地方に於てはどうしてもこの地割制度といふ土地生産組合の方法をとらねば耕作が不可能である。
 洪水があると、一年目には土地の三分の一を整理し、村全體の戸數に應じて平等に割付け、収穫の少い者には、収穫の多い者が持つて行つてやるといふ方法をとつた。第二年目には荒廃地の三分一を回復し、第三年目には、残りの三分の一を耕して全部失地を回復するといふ方法である。すると六年目か十二年目かに、また大洪水が来て田畑は再び土砂をかぶつてしまふ。さうすると前と同じやうに協同の勤勞をもつて耕拓し直すのである。
 旱魃の場合にも、この方法を應用してゐる地方がある。これは全村に水が不足した場合三分の一だけを灌漑し、その灌漑した三分の一の土地に出来た生産物を全村民が平等に分配するのである。
 この方法は農村ばかりでなく、漁村に於ても應用されてゐる。
 ジョン・ラスキンが作つたセント・ジョージ土地ギルドは失敗した。これはラスキンが常時の經済状態を無視した方法をとつたこと、消費組合と聯絡を欠いたためである。彼の經験は實に尊いもので、彼の失敗を失敗と考へないで、どうしても組合精紳をあくまで生かさねばならない。生産組合を生かすには、どうしても消費組合と直結して密接不離の連携を採らねばならない。
 組合運動で、機械生産方面で成功したのは、絹絲の生産組合であつた。農村の大抵の工場が潰れたにも拘らず、組合製絲といはれたものは強力に維持された。これは全く驚くべきことで團體の團結力は、至難とされる恐慌をも完全に切り抜け得るといふことが証明された。
 静岡縣焼津の漁民生業組合は、一萬人に近い漁民を中心に組織され、最もよい成績をあげた。この組合では、汽船をもち、工場をもち、戦争前に、年々六百萬圓位の生産高をあげてゐた。

 廿 消費組合

 第二は、消費組合である。消費組合の場合は、最も根本的で、しかも組織するのに最も困難なものである。
 經済運動の根柢を解剖すれば、消費經済に対する統制的組織と、非搾取的機構が完成しなければ、いくら勞働組合を中心に革命があつても決して成功するものではないといふことを知るのである。たとへ政治的に成功しても經済的に破れる。その實例はソヴィエット・ロシヤを見ればよく判る。
 それならば、これだけ必要な消費組合を何故作らないか。
 それは要するに消費經済に対する一般人の意識が、まだ目覚めてゐないからである。
 勞働問題に対しては、一般民衆はその必要を感じ、且つ目覚めてゐるのに反して消費經済には、殆んど無自覚的な盲目的行動を反覆してゐるにすぎないからである。それについては、特に夫人に目醒めて貰はねばならない。
 ここで婦人と消費組合のことに一言したい。英國の消費組合婦人のマークは、「買物籠」の圖を以て示されてゐるのも意味深いと思ふ。婦人は、消費組合にとつて唯一の買手であり、最も関係深いといはねばならない。そこで協同組合運動は、ただ買ひ手としての婦人の力ばかりでなく、協同組合を理解し、協力し、支援し、伸長させる有力な力として婦人の參加を希望してやまない。各國の協同組合發展のかげには、婦人の力が深大な寄與をしてゐることを忘れてはならない。
 資本主義が、極度に市場を合理化し、協同組合が虚弱な勢力では割込むことが出来ないほど大きな力を持つやうになつた。それがデパートメント・ストア(百貨店)組織の勢力である。
 しかし、協同組合運動は、營利を離れた組織組合だけに永遠性があるが、デパートメント・ストアといへども、今日の如き自由競争主義を基礎としてやつてをれば、いつかの機會に必ず転覆するに違いない。
 協同組合といふこの永遠への組織運動は、意識運動の基礎の上にのみ戴せることが出来る。しかるに民衆が目覚めてゐないところにこの善ひ組織を阻止し成功せしめない困難が横つてゐることはまことに悲しむべきことであると思ふ。
 他の組合に比較して、消費組合の經營が一番困難であるといふ理由は、日常必需品の總てに関係してゐることが一つ。物價の高低が著しく影響することも一つ。金融の力を感ずることが最も大きなことが一つ。更に勞働者やサラリーマンの間に月賦買ひの習慣がついてゐるために、消費組合のやうな現金制度を基調にする傾向の制度を餘り利用しないことも大きい理由である。
 しかし、一旦消費組合運動が始まれば、著しい早足で進歩する。ここに忘れてならぬことは、消費經済の八、九割まで婦人の領域であることと、消費組合が、あくまで生産者階級の福利増進のために經營せられねばならないといふことである。
 そこで消費組合を作る場合には、断乎これをやり遂げるといふ勇気と、如何なるものが来ても挫けぬ強い意志が必要である。
 日本では町を歩くと殆んど店屋であるが、デンマークの町はそんなことはない。日本のやうに無駄な商売人を置かないからである。ハスラウは人口二千人に店舗はたつた一軒しかない。その一軒の店舗が消費組合である。それで事足りるのである。東京のやうに店屋が多いと従つて物價も高くなる。戦前で原價の三倍位とつてゐた。第二次世界戦争前、英國では組合員が四百五十萬人で、宣傅費四百萬圓使つて拾六億五千萬圓売上高があつた。
 消費組合は、無秩序な産業世界を組織化してゆかうといふのである。故に經營者も組合員の幸福のためといふ親切な気持を常に持つと共に、組合員も組合を支へ護るためには犠牲を惜しまないといふ覚悟をもたなければならない。
 繰り返すやうであるが、利潤があつた場合、これを組合の利益にのみ使はずに、是非、社會公共のために捧げるやうにありたいものである。要するに精神的兄弟愛の價値意識が、利益分配の標準を決定するのである。かのロッチデールの僅か二十八人の先駆者達が、今日の世界の協同組合運動を捲き起したことを思へば、我等は大いなる確信をもつてこの建設に、目的に突き進まねばならない。