協同組合の理論と実際(11) 賀川豊彦

 十七、生産の芸術化と消費の文化的意義

 人間は、喰ふために生きてゐるのか、生きてゐるために喰ふのか。人間の存在が、ただ飢餓と要求といふことに於てのみ、生産と消費とが需要と供給の理によつてのみ解釈せられるならば人間の經済生活は色澤も味もない落莫たるものである。
 生産を、生産のために生産すると言ふ盲目的の生涯から一轉して、需用に對して生産者の活動が開始される時に、人間生命の幸福と完成の爲に、必然的に功利的一面と共に、芸術的精神を以てこれを生涯するならばそこに生産の芸術化があり、生産品に美と味ひを加へることになるのである。
 従うて消費といふことも、また芸術的意義を有し、且つ文化的意義を生ずるのである。
 生産といひ、消費といふか、今日物質的とのみ考へられてゐる多くの商品も、實は何等かの文化的の意義を持つてをるのである。
 餅を焼いて食ふといふことでも、菓子を食ふといふことにしても、それは文化的の意義を持たぬことはないのである。ただ餅を食ふといへば純然たる生理科學的に聞えるが、正月の祝ひに餅をつく。餅は必ずしも必要品ではない。それを焼いて食ふことは一つの趣味である。
 菓子にしても、東京名物だつた風月堂の西洋菓子、神戸亀井堂の瓦煎餅も、それは生理科學的範囲を乗り越してゐるのである。
 初めは手織りのものを着たが、今では機械で手織り以上の文化的の織物が織れる。電気燈が點り、燭光が増し、能率が上る。人間は着るにも食ふにも充分な筈であるのに、途中で何ものかが略取するために、世界はまだ充分ではない。
しかし、充分でない中にも、世界は段々芸術的になり、心理的に消費的要求を高めてゐる。
 勞働を愛し、勞働者を尊敬する社會には勞働者の品性教養は向上し、生産は芸術化し、消費の文化意義は、益々増大するのである。
 賃金のために働くのでなくして、勞働することが歓喜であるといふことを、經済生活の中へ取り入れるには協同組合の形體をもつて勞働する人々を解放する外に道はないのである。従つて生産のそのものに対する喜悦が生ずるのである。
勞働を愛し、生産に喜びを感じつつ従事し、そのことが芸術的創造力の活動となり、且つ文化的意義を齎(もたら)し、眞理の目的性を結果するといふ經済生活こそ生き甲斐のある最善の生活といふべきである。

 十八、協同組合に於ける七種組合

 一口に協同組合と總称するが、協同組合には七種類、七種組合が要るのである。
 即ち協同組合を完成せしめようとすれば次に述べるやうな七つの機関が必要である。
 これは經済機構の必然からである。生産者は、總人口の四分の一とされてゐる。それに對して消費者は百%全部の人が口をもつてゐる。生産者も消費者であるからである。その間に金融組織がある。これは空間の関係である。その上に時間的に發展するものがある。物品取引所が生れる。三品市場のごときもの、株式取引所が生れる。株式會社の株式取引所が發達する。かくして銀行取引所が生れる。ここへ約束手形が廻つてくる。全然一つの倫理的な意識的な手形が發行される。その上に信用組織が乗る。その信用組織の上に爲替相場が変動する。これは、時間の上に関係がある。今日の經済は、空間經済から時間經済に移行しつつある。即ち益々心理的に、単なる物的な經済ではなく主観的な、そして意識的な繊細巧緻な經済になつて来てゐる。
 これから三ヶ月先、半年先どうなるかといふ先物取引が生れる。
 この先物取引が生れる時代になると、生産者には、(一)生産組合、消費者には(二)消費組合、金融には(三)信用組合、消費者と生産者を繋ぐ(四)販売組合、組合の助け合ひ、利用厚生方面の(五)共済組合、将来に対する保証を約束する(六)保險組合、その上に種々なものを利用する(七)利用組合のこの七種組合が必然的に生れる。表にすると

  1. 生産組合(生産者を主體として)
  2. 消費組合(消費者を主體として)
  3. 信用組合(金融のために)
  4. 販売組合(生産者と消費者の連携として)
  5. 共済組合(利用厚生の爲の共助互惠機関)
  6. 保險組合(組合員の将来に對する保証)
  7. 利用組合(各種の利用のために)

 この協同組合の七種組合を、人體に比して、考へて見るとよく判る。筋肉は生産組合である。消化器は消費組合、血行は金融等を司る信用組合である。呼吸は交換等を掌握する販売組合であり、泌尿器は共済組合である。また骨格は、全身を支へてゐる保險組合、神經系統は福利を運用する利用組合に当る。かう考へてくると人體の機能の一つを欠いてもならぬやうにこの七種組合が身體のそれの如くよく結合統治されるとそこに健正な大活動が生れるのである。(続)