協同組合の理論と実際(16) 賀川豊彦

 廿五、利用組合

 國家社會主義の弊害は、産業組織の經營を餘りに、官僚的に取り扱ふところにある。そのために、國民の中には國家の産業機関を粗末にする傾向が生ずる。それに反して、協同組合の管理に基づく利益は、地方的自然資源を完全に利用し得るところにある。
 勿論、國家社會主義的經營に基づくものであつても、地方に於て協同組合と聯絡することは出来る。
例へば、日本の國有鐡道は運送事業をある特殊な資本家にやらせてゐる。もし國有鐡道に地方の市民及び農民を利益する志があれば、市運輸利用組合が直ちに組織し得るのである。
 然し國家社會主義といふものは、資本主義との繋ぎ目がまことに悪い。それ故、ある特殊な産業に於ては、國家社會主義を利用しても、その他の社會に於ては資本主義的な發達を自由に許す。そこに矢張り國民は搾取に甘んじなければならない。
 もし水道事業・瓦斯事業を協同組合で管理し、經營すれば、貧乏な市の財政から高い利息を拂つて水道を施設したり、瓦斯事業を起す理由はないのである。
 今日の都市社會主義は、全く協同組合的な經營を無視してゐるために、どれ位市民に迷惑をかけてゐるか、想像以上であると思ふ。
 これは、交通機関の問題に就ても同じことが言へる。東京都の如きは數億圓の借款に對して高利の利息を拂つてゐる。その利息のために税金が高くなり、想像もつかないほど都民は迷惑してゐる。もし都民に對して地方鐡道の經營等を都債を起してやらないで、組合出資金によつて經營すれば、資本家に利息を吸ひ取られなくて済むのである。
 例へば、東京都で一億圓の資本金で地下鐡道を作るとすれば、一口二十圓の株を五百萬都民に持たせれば直ちに一億圓出てくる。
 その拂ひ込みは毎月二圓宛とし、十ヶ月間拂ひ込めばよい。金のある者は、一人で五十口でも百口でも持てばよい。料金は普通にとつて、利益金は東京の公共事業に使つてもよいし、その上利益があれば僅かばかり持株に従つて配当すればよい。かうすれば、富の集中を避けることが出来る。
 今日のやうな都市社會主義は、經營上からいへば、社會主義的であるが、金融の上からいへば全く資本主義的である。それは市債の利子を資本家に儲けさせた上に、貧しい市民からその市債を拂ふ元金を取上げるのであるから、結局、税金を資本家に持つてゆくやうなものである。
 それならば始めから組合的にその市街地鐡道を管理し、市民全體のものとして經營して少しも差し支へないではないか。
 私は、今の世界に於ける多くの都市が、都市社會主義の經營で非常に多くの困難を来してゐるといふのは、この大事な点を見逃してゐるからだと思ふ。
 これは、電燈・電力・水力・汽船等の事業についても同じことが言へる。現に、日本でも佐賀市の如きは瓦斯事業を組合でやつてをり、盛岡市のやうに水道業を組合で經營してゐる都市があるのである。
 電力の如きは、少數の資本家に國家の重要な資源を與へないで、その電力の配給を受ける地域の人々全部が組合的に經營すれば、資本主義の害悪から免れることが出来る。
 これは、鐡道・市場・港湾・船舶等についても同じことがいへる。市營あるいは國營鐡道並に港湾は、政黨によつて支配せられるので、全市民の組合組織を基礎としなければ、政黨が変る度毎に新しい鐡道を敷き、新しく港湾を構設するやうな無駄があると思う。
 それで、政黨を超越した全市民の利益を代表する産業的利用組合を大いに發達させる必要がある。
 主要産業を社會化することは、近代的社會經済の一大特質である。特に電気事業の如き獨占事業はさうした傾向を持つ。然し、今日その獨占事業を始めようとするには、資本主義の援助を借りなければ財源が得られないことになつてゐる。私はこの資本主義的財源を協同組合化することによつて、始めて産業の民主主義が計り得られると思ふ。租税による収入はあるる限定がある。組合的に經營してゆけば、租税の外にある種の自主的精神が現れてくるために租税の數倍の金額を喜んで出すことが出来る。
 オーストリアのヴインナ市の如きは、都市經營を部分的に資本主義的並びに協同組合的に、半ば都市社會主義的にやつてゐることを知つた。私は、資本主義的に經營するならば、何故組合的にやらないかと思ふ。
 つまるところ、租税による財源は、近代の都市産業のやうな大規模のものを、企業的にやれない。そこでどうしても超つてくる問題は、協同組合と聯絡してやるのが一番確實安全である。
 即ち、信用組合の餘裕金、また生命保瞼組合の餘裕金等を市が運用するのも一つの道であるが、利用組合として、都市それ自身が、市役所の内部に組合事業課を設けて、都市を益々ギルド化してゆけばよい。
 スヱーデンのストツクホルム市の如きは、組合の金を上手に用ひて住宅難を解決してゐる。さうなれば、都市に於ける今日のやうな資本主義的な腐敗は絶滅すると思ふ。
 この都市のギルド化は、國民經済の全部に及ぼすことが出来る。即ち各種産業の協同組合聯合會を作つて連絡して行けばよいのである。さうすれば今日の様に國家の自然資源を少數の資本家に占領せられて、無鐡砲な生産の結果、失業と恐慌が次から次へ起て来るやうな不合理不都合なことはなくなるのである。(続)