世界国家10 二十世紀にも奇蹟は起る((1948年1、2月号)

       ――平和の可能性――
 獅子は牛の如く藁を喰い、幼児は毒蛇の洞に戯るとも害われることなき世界を昔の予言者は夢みた。
 生存競争による進化論を提唱したチヤルス・ダアウヰンの甥サー・フラソシス・ガルトンは「人間機能の研究」においてかくの如き空想が現実として可能であることを示唆している。
 前上野動物園園長黒川氏夫人は獅子の赤ン坊を彼の乳房で養い、獅子を最も柔和な羊の如きものとしてしまった。
 このニユースが、アメリカに伝わるや、カリフォルニア州ロサンゼルスの動物飼育者は獅子を黒川夫人に習ひ、羊の如き柔和なものに仕立てる運動に出発した。そして見事成功したのが彼の有名な獅子プルトーの出現であった。
 プルトーは幼い日から人間の乳房によって哺育せられ、人間の温き愛情の手によって成長した。そして、ついに人間を害することを全く忘れてしまった。
 幼き時よりの愛の哺育と愛の環境は、猛獣をすら羊の如く化せしめる。人間は果して獅子に劣るものであろうか?
 狼も愛の使徒アシシのフランシスの前には親しき友としての親愛の情を現わし愛と教育は最後の勝利者であることを示した。暗黒アフリカの喰人種もデビツト・リヴヰングストンの前には最も平和な文明人と変化した。十九世紀の奇蹟はキリスト愛の奉仕者によって南太平洋の首狩人種と喰人種がその野蛮な風習を捨てたことである。ジヨン・ジ・ペートンはニユー・ヘブライデスの喰人種を平和の民と化し、リーフ島のパウはロヤリチー列島の喰人種を相愛互助の文明国として仕立てた。
 ニユー・ヘブライデスとリーフ島に起った出来事が電気文明を発明した武装国民に希待することが出来ないものであろうか?
 私は断言する――首狩人種と喰人種の間に起った平和への開明は、戦争を悦ぶ世界の列国の間においても可能であるということを。
 原子力を発明し得たものが、世界列国間の平和機構を発明し得ないということは信じ得べからざる事だ!
 獅子も、虎も、豹も、狼も、愛の哺育と哺導の前に愛の社会を礎く。歯牙もなく、角も、鱗もなき無力な人間がなぜ戦争を持続すべき理由を持つか?
 原子の破壊力を発明した文明力は同時に、互助と友愛による戦争抛棄の社会的方策を考案すべき可能性を持つ!
 日本は既に永遠に戦争を抛棄した。我らは再び南洋の喰人種の真似をすることを拒む。今や、我らは立上って、全人類に向って、首狩人種や、喰人種の蛮風を抛つ可きことを忠告する。リヴヰングストンは勝った。そして、日本も平和の運動に於て必ず勝利者であり得ることを私は確信する。(一九四八年一・二月号)