少年平和読本(7)野獣も猫のごとし

   アメリカのライオンとオートストリッチ
    飼育所やヨセミテの熊の話など
 預言者イザヤの空想

 オオカミは小羊とともに宿り、ヒョウは小山羊とともに臥し、小羊、ライオンは肥えた家畜と一しょにいて、小さい人間のこどもにみちびかれ、めすの牛と熊とは食物をともにし、熊の子と牛の子は一緒に住む。そしてライオンは牛のように菜を食い、人間の乳呑児は毒蛇の住む洞の中で遊び、手をまむしの穴に入れておそれない。こうして、一切の生物がそこなわれることも、傷つけられることもなく、平和に生活するような日が来るであろう――。
 これはユダヤ預言者イザヤの夢みた理想の世界である。みなさんは、たぶん猛獣がかよわい家畜と一緒にすんで、がんぜない人間のこどもにみちびかれたり、乳呑児が毒蛇の住む穴で平気で遊ぶなどということはない――といわれるだろう。ところが、サー・フランシス・ガルトンという学者は、こうした夢のような預言者の空想が、実際にある、といっているし、また、それに近い事実が実際に見られているのである。
 ガルトンの説によると、現在は人間がぶっつけるモリをこわがって、遠い南氷洋あたりを逃げまわっている鯨も、人間の手で飼うことができるだろう、といっているが、アザラシやオットセイなどはサンフランシスコで飼っている。サンフランシスコへいった人は、きっと太平洋に面した金門公園の中央、オーション・ビーチの断崖にのぞんだ、クリフ・ハウスを見物する。そこかれ見ると、海岸近くの岩――シール・ロックの上に、たくさんのアザラシが、ゆうゆうと遊んでいるのが手にとるように見える。彼らは自由に河に飛び込んだり、また岩にはい上がったりしている。これは人間が飼っているのではないが、禁猟地区として保護しているので、人間をおそれず、まるで家畜のように人里近くに生活しているのである。
 オットセイとなると、玉ころがしのような曲芸をさえ仕込むことができる。
 ガルトンの説は正しい。わたしも、太平洋で鯨を飼う日を空想する。しかし、海の動物はともかく、陸の猛獣は、そうやすやすと誰にでも親しむものではない、とおっしゃるのか。では、わたしが見て来たロサンゼルスのライオン、ファーム(ライオン飼育所)の話をしよう。
 ライオン飼育所を訪う
 ライオン・ファームには二百匹からのライオンを飼っていた。ファームの外観は、ライオンの住むアフリカの土人の住居をまねてつくられてあった。入口には高いやぐらがくまれて、その上には万一の場合にそなえて、鉄砲をもった監視人が立っているらしく、はいっていくわたしたちも、一しゅん、身のひきしまるのをおぼえた。中へいくとライオンのほえるのがものすごく聞こえる。おりから、夕方に近く、ライオンは自分の宿る場所へ追いこまれているところだった。見ると、園丁のさし出す鉄棒にしたがって、大小のライオンが、すなおに通路を通って広い昼のおりから、狭い夜の檻へと移っていく。夜の檻は四畳敷ぐらいで、二三匹ずつつめこまれて宿るらしいのだが、彼らはおっとりとしていて、檻の中を動きまわっているライオンが、じっとうずくまっているライオンの頭の上をまたいで通っても、コラッ! と怒なるでもなく、毛すじ一本うごかさずにいる。猛獣という気は少しもしない。
 とつぜん、一匹がほえ出した。すると、同じ檻のライオンが一緒にほえ、隣の檻のライオンもこれに和してほえ出した。その声は、せまい檻に反響してものすごい。同行のM氏が、おっかなびっくりで檻に近づいて行った。すると獅子吼(ししく)がピタッとやまって、みんなキョトンとしている。「変てこな人間が来たぞ、懐中物に気をつけろ」といっているようである。
 次いで赤ん坊ライオンの檻の方へ行ってみた。広い運動場に、十匹ぐらいのベビーが、長い丸太の上にのって遊んでいる。まるで猫の子の幼稚園である。園丁の話では、母乳で育てたライオンと、牛乳で育てたライオンとでは毛色が違うという。
 事務所の婦人は、一匹のベビー、ライオンを猫の子のようにだいてきた。
「生後二十日目です。牛乳でそだてていますが、こんなにおとなしいのですよ」
といって背中をなでて見せた。ベビーはイヤーンというような声を出してないた。M氏はこわごわさわろうとしたが、また手をひっこめた。
「背中をなでるだけならだいじょうぶですよ」
 と婦人がいうので、わたしはそっとなでて見た。かみつくどころか、かえってわたしをこわがってなく愛らしさ。どこに百獣の王の面目などあるだろう。
 人乳で育てたライオン
 わたしは、ふと、元の上野動物園長黒川さんの奥さんが、生後まもなく母をうしなったベビー・ライオンを、自分の乳でそだてなさったことを思い出した。黒川夫人はキリスト教信者で、母をうしなったライオンをかわいそうに思って、ためしに、自分の乳でそだててみようと思い立たれた。人乳でライオンをそだてるなどということは、世界にも例がなかった。黒川夫人のお乳で丈夫にそだったライオンは離乳期がきて、ほかのライオンと同じに檻へ移された。ところが、ほかのライオンとちがって、彼だけはその後も黒川夫人がそばへいかれると、さもなつかしそうに、夫人の手をなめまわしたり、じゃれたりして、猫のようにおとなしいのだ。
 このことがアメリカの新聞に出た。それを見たのが、このロサンゼルスのライオン・ファームの飼育者だった。彼は黒川夫人をまねて、羊のようにやさしいライオンにしたてて見ようとした。そして見事に成功したのが有名なライオン・プルトーだった。プルトーは幼い日から、人間の乳房によってはぐくまれ、人間のあたたかい愛情の手によって成長したため、人間をおそれることも知らず、人間と親しむ動物となり、人間と一緒に映画にも出演しその上、人間と相撲をとったりして喝采を博したのだった。
 虎の子を飼った話
 ライオンばかりではない。虎もかわいがってやれば猫のように人間に親しむことは、バイコフのワシカの物語でもわかるが、もう一つバイコフの書物から――ソルタンという中尉が、乳呑児時代から飼った二匹の虎の子は、二歳になって、成年の虎とかわらない大きさになってからも、人間にしたしんで、中尉が散歩に出かけるとノコノコついてきた。ある日中尉が彼をつれて街を散歩していると、おり悪しくかんの強い馬をつないだ総督の馬車がとまっていた。猛獣の姿を見た馬はにわかに狂いはじめた。そのため馬車はこわれ、馭車と馬は大けがをした。総督は烈火のようにいきどおって、中尉に虎の処分を命じた。かんじんの虎は何事がおこったのやらわけがわからず、ケロリカンとしていたが、彼は騒動をひきおこした犯人? というわけで、かわいそうに処分されてしまった。
 こうして、百獣の王ライオンも、千里を走るといわれる虎も人を食うオオカミも、みんな幼い日から愛をもって飼えば、羊のように柔和となり、家畜同様に馴らすことができるものだということがおわかりになったことと思う。
 このほか、愛の使徒アシシのフランシスの前に、したしき友として愛情をしめしたというオオカミの話や、足柄山の金太郎の熊の話などは、あまりに有名でかくまでもないであろう。
 オーストリッチ・ファームへ
 さて、話をもう一度ロサンゼルスにかえそう。ライオン・ファームからほど遠からぬところに、オーストリッチ・ファーム(駝鳥飼育所)があって、そこには百七十匹ほどのダ鳥が飼育されていた。
 ダ鳥は一夫一婦で、四歳ぐらいでおとなになり、一人の相手をえらび、一生つれそってはなれないという。そして卵をうむと昼は夫、夜は妻がそのつばさの中であたためる。そのために、雄の羽は、砂漠と同じ灰色で一種のカモフラージとなり、雌は黒色で夜、外敵から発見されないようになっているのも造化のふしぎを思わせる。
 ファームのダ鳥にはルーズベルトだの、フーバーだの、リンデーだのと、有名人の名がついていたが、中でもミセス・リンデーは世界一の大ダ鳥だろうといわれ、一季節に百十九の卵をうむということだ。
 ダ鳥の卵は人間の赤ん坊の頭ほどあって、しかも石のようにかたい。わたしたちは園丁から蜜柑をもらってダ鳥にたべさせたが、丸のみで、長いのどを通って胃へおりていくのがそのまま外からわかった。
 だが、ものすごいのは胃袋だけではない。その足の早いこと、まさに砂漠の超特急である。また力がすばらしく強くて、ファームではダ鳥に車をひかせて歩かせた。わたしとM氏とは、かわるがわるこの「駝車」にのせてもらったが、馬車と少しもかわりがなかった。
 砂漠の王者ダ鳥も家畜になったのだ。
 奈良の鹿、ヨセミテの熊
 右に記したライオンやダ鳥は、人間に飼育されたとはいっても、飼育所の檻の中で、監視されながらそだてられたのだ。動物をまったく野放しにしてあるところを、あなた方はごぞんじかしら。そうだ、奈良の鹿はその適例である。昭和十七八年頃の調べでは、約八百頭の鹿がいたそうだ。そして昼は公園や市中に野放しになっていて、夕方になるとラッパを吹いてよせあつめて柵の中に入れる。
 奈良の鹿は昔から保護され、市民がもし鹿を殺せば死罪に処せられたもので、これは、鹿を春日神社の神鹿として大切に保護したのだった。
 このように宗教的な意味的な意味から、一定地区をかぎって一定の動物に対し、殺生禁断を実行してきた保護地区――サンクチュアリーという――は、ほかにもかなりある。たとえば、伊勢の外宮の森林内に何十万羽のカモが、禁猟区のおかげで群棲しているのもそれだし、房州勝浦が日蓮上人の出生地であるところから、地方の人々が殺生をつつしんでいるため、手をたたくと魚がまるで池の鯉のように寄って来るというのもそれである。
 また、北米の国立公園ヨセミテでも、そこの山に住む熊を保護しているので、われわれが自動車を走らせていると、森の中からノコノコと道ばたへ出て来る。ためしに自動車の窓からキャンデーをなげてやると、うまそうにたべて「もっとちょうだいよ」といって自動車のステップへ足をのっけてきたりした。みんなやってしまって「もうないよ」と手をふると、「そうですか。ごちそうさま」と、またノコノコ森の中へもどって行くのだった。
 人間がいじめさえしなければ、熊もおとなしくして、すこしも危害をくわえない。彼らは朝と晩、ホテルののこりものをもらいに、山から集まってくるが、その数は百五十乃至四百といわれていた。なお、その熊の集合所を、池をへだてて(夜は電燈の光をてらして)見せる設備になっていたが、奈良の鹿よせとほとんどちがいのない眺めである。山の熊も、奈良の鹿同様、家畜の一種になっているのである。
 わたしは、日本でもこうした鳥獣の保護地区を、もっと各地につくって、動物がけんかをせず、たがいになかよくしているありさまを見せたらと思う。
 愛あるところに争闘なし
 こうして動物は、ガルトンのいったように、どんな猛獣でも飼えるのである。ライオンも、虎も、ヒョウも、オオカミも、人間が愛をもってはぐくみ、そだてたら、羊や人間の子とともに臥し、ともに遊ぶようになるのである。
 ライオンその他の飼育法には三つの必要条件があった。その一つは赤ん坊の時からそだて、かわいがるということである。その二は生活の安定をあたえてやるということである。そしてその三つは恐怖心をもたせないよう、平和なふんいきにおくことである。
 すべての動物は赤ん坊の時から、かわいがって育てれば、みな一つになれるものであることは、すでに実例をあげて説明した通りである。もし、世界の人類が、赤ん坊の時から愛しあい。助けあうように教育され、実践してきたら、世界は戦争を絶滅することができると思う。赤ん坊には人種的偏見などは、まったくないのだ。この点からいって、母および将来母となるべき少女の皆さんの責任は重いといわねばならない。女性は人類の母であると共に、世界平和の母であることをわすれてはならない。
 また自然界における生活不安が、やさしかるべき動物を猛悪なものにしたことは争えない。それはバイコフの研究で、わたしたちは十分に学んだ。人間も、たがいに助けあい、ゆずりあって、人類全体の生活不安を除く工夫をすれば、戦争もなくなると思う。社会問題の解決、貧乏退治が、世界平和の前提条件である。
 しかし、まちがえてはならない。唯物主義のいうように食糧をたくさん積みあげさえしたら、それで平和が来るというのではない。トルストイが書いているように、食糧がありあまって酒をつくり、酒のために発狂して放蕩をはじめるなら、戦争はなくなるどころか、かえって多くなろう。だから、生活の安定というものは、物資の豊富いうことだけではない。生きている人間の生命の安定をはかるために必要な物資を、適当に与えることは、もちろん必要だが、いらない時に多く与えたり、いる時に取りあげたり、一ヵ所に多く与えて、動物を相互にせりあいさせるような、与え方をせぬよう工夫せねばならぬ。
 最後に、恐怖心をとりのぞくということは動物をならす上で一ばん大切であるが、われわれ人間も、外国人に対して恐怖したり、うとんじたり、また馬鹿にしたり、にくんだりする考えをすてて、どんな未開な人種とでもしたしむようにせねばならない。
 わたしは動物の話ばかりしてきたが、これは動物にかぎったことではない。植物でも同様で、バラはトゲがあるが、手をいれて育てればトゲがなくなる。アカシヤもそうだ。桜もトゲがわずかに幹に丸い小斑点として名残をとどめているだけであるが、昔はトゲがあった。それが人工を加えていくうちなくなったのである。動物も植物もその本性は決して闘争的ではない。周囲が迫害するので、やむなく正当防衛の手段として武装し、抗争するのである。だのに、人間だけが、いつまでも戦争好きでいるなんて、まったく動物に対してもはずかしいではないか。