少年平和読本(11)世界歴史は戦争の歴史

  有史以来三千年に、およそ三千の
   あさましい戦争が行われた 
 イソップ童話
 ライオンが寝ていた。すると、一匹の小さい二十日鼠が、ライオンとはしらずにその大きなからだの上へかけあがったり、かけおりたりしていた。やがてライオンは目をさますと、いきなりその大きな足で二十日鼠をおさえつけて、一口に食べてしまおうとした。子鼠は一生けんめいにさけんだ。
「ごめんなさい。こんどばかりは見のがして下さい。そしたら、いつかきっとあなたをお助けして、今日の御恩がえしをいたしますから」
 ライオンは「あなたをお助けする」という二十日鼠の言葉をこっけいに思いながら、とにかくにがしてやった。
 それからしばらくして、ライオンは猟師のかけたワナにかかっていけどりにされ、木にしばりつけられた。そこへ通りかかったのが、さきの日の二十日鼠であった。鼠はすぐ近よって、ライオンをしばりつけてある太い縄をそのするどい歯でかみきって、ライオンを自由にしてやった。そしてライオンにいった。
 「ライオンさん、弱いものにはあわれみをかけておくことですよ」
 そういうとどこかへいってしまった。
 みなさんはこの話を、小さい時から幾度も読んだり聞いたりしたことであろう。イソップ童話の中の「ライオンと二十日鼠」という話である。
 しかし、この話の本当の意味を知っている人は少ないのであるまいか。
 イソップ物語は、紀元前六世紀――今から約二千五百年前に書かれたもので、世界で最も古い文学として有名である。(二千五百年前といえば、日本の神武天皇より古い) 作者イソップは、ギリシャのフリジャで生まれた奴隷で、サモス島で羊飼をしていた。お話がじょうずで、毎日野原で羊の番をしながら、牧場のこどもたちに、いろいろおもしろい話をして聞かせていた。羊飼のイソップのことだから、おおかたは狐とか、熊とか、羊とか、白鳥とかの話だった。そのことが、いつかギリシャ国王クロージュス王の耳にはいって、イソップは御殿によばれてお話をするようになり、そのために奴隷から解放されて自由の身となることができた。が、ある時、デルフィの神殿へ参詣に行く途中、なにげなく話したことがたたって、とうとう殺されてしまった。
 イソップが死んでから二百年ほどたって、生前、彼がその話した話を、バレロンのデメトリウスという人がまとめて「イソップ物語」という書物にしたのが、だんだん世界中にひろがって、今日ではイソップの名をしらぬ人はないほどにまでなったのである。
 童話の動物の口を借りて
 みなさんは、イソップの物語を、ただおもしろいお伽噺として読まれていることであろう。ところが、イソップの物語の中には、大変深い真理がふくまれているのである。イソップは、お伽噺にかこつけて、強いものが弱いものをいじめることを攻撃しているのである。
 日本にも、大和民族の渡来前、アイヌやクマソなどの先住民族がいたように、ギリシャにも原住民がいたが、今から二三千年前、強いアリアン民族がギリシャへわたって来て、だんだん先住の土人をおいはらい、そこに定着しようとした。土人は『祖先の地を追われてなるものか」と、ひっし(ヽヽヽ)になって反抗し、いたるところで戦争がくりかえされたが、強いアリアン民族にはかなわない。土人はだんだんに征服されて、あるいは殺され、あるいは生けどられて奴隷としてはたらかされた。イソップも奴隷だったというから、征服された先住民族の子孫の一人だったのであろう。
 イソップは強いアリアン民族が、弱い先住民族を侵略し、征服し、虐待するのを見て、内心大いにいきどおっていたが、奴隷の身のかなしさ、それを口にすることはできない。そこでお伽噺にでてくる動物の口をかりて、強い者へ抗議したのだ。物語の中に出て来る大動物は、強い征服者を、そして小動物は弱い被征服者をそれぞれ象徴しているのである。はじめに記した「ライオンと二十日鼠」のライオンはギリシャ人、鼠は土人でもしギリシャ人が、弱い土人をいじめたら、もっと強い国から征服されるぞよ、――と警告をしているのである。つまり、イソップは弱者も、強者と同じように、生存する権利のあることを主張し、弱肉強食の闘争に、つよく抗議したのである。いいかえるとイソップは世界の人間がたがいに殺し合い、傷つけあっていては、ともだおれとなるばかりである。強いものは弱いものをかばい、弱いものもまた強いものを助けていってこそ、人類は繁栄し、文明は進歩するということを、童話を通じて語っているのである。
 イソップがこうして、人間の世界の平和を説いてから二千五百年たつのに、まだ世界の人類は戦争をやめない。童話の中のライオンよりも、人類は闘争好きで、弱いものいじめの残虐者なのだろうか。
 三千年に三千の戦争
 人類の歴史あって以来、六七千年にもなろうというのに、その間、戦争が地球上のどこにもまったくなかったという時があったろうか。
 世界歴史をひもといて見ると、約四千年前、チグリス・ユーフラテスの流域に、はじめて文化が兆しかけたと思うと、はやくもバビロンとアッシリアの戦があり、ナイルの岸辺にピラミッドやスフィンクスがつくられて、エジプト文化がおこったとたんに、エジプト人と牧王との間に血けむりがあがった。つづいてギリシャペルシャと戦い、またローマはカルセージや蛮人と戦った。その後、史上に名をとどめた戦争の名をあげて見ると、シャレマン戦争、海賊戦争、ノルマン戦争、ビザンチン戦争、十字軍、マホメット戦争、百年戦争、アングロ・スコット戦争、薔薇戦争宗教戦争英蘭戦争、インド戦争、英国革命、英仏戦争、七年戦争アメリカ独立戦争スペイン王位継承戦争、仏西戦争、ロシア・ポーランド戦争、フランス革命ナポレオン戦争ギリシャ独立、イタリー戦争、ハンガリー叛乱、ドイツ統一普仏戦争クリミヤ戦争南北戦争ギリシャ・トルコ戦争、南阿戦争、……世界第一、二次戦争と、ほとんどたえまがなかったことがわかる。
 今日までの世界歴史は、戦争の歴史だったといえよう。
 学者の調べによると、紀元前一四九六年(エジプト新王朝時代)から紀元後一八六一年(アメリ南北戦争)まで、三千三百五十七年のあいだに、西洋だけで三千百三十年間、戦争がつづいたという。カラスのなかぬ日はあっても、銃声や剣げきの音を聞かぬ日はなかったとでもいうのであろう。この戦争は、近代になってもいっこうへらない。最近わずか三百年間に、ヨーロッパだけで二百八十六の戦争があったというから、毎年一つずつ戦争が始まったという計算である。
 もちろん、これは歴史あって以来の戦争で、有史以前の人食い人種時代には、食慾のためたがいに殺しあっていたろうし、食慾が満たされる時代となると、こんどはトロイの戦争のように色慾の戦が起こり、またこれとならんで、イソップが抗議したような弱肉強食の人種闘争も起こったのであった。
 では、もう一度話を昔にもどして、そのトロイの戦争のことから話すこととしよう。
 ホーマーの詩とトロイ戦争
 トロイの戦争というのは、紀元前八百年(イソップよりも前、今から二千八百年前)ギリシャの大詩人ホーマーの詩の中に出て来る戦争で、はたして事実あった戦争かどうか、疑問とされていたが、二十世紀になって、ドイツの学者が現地を発掘した結果、実際にあったことが確かめられた。
 ホーマーは、イオスを航海中、失明したともいわれ、一人前の健康でなかったので、当時、誰もがなりたかった武人にもなれず、やむなく詩を作って口すぎをしていた。そのホーマーの作った叙事詩に「イリヤッド」という前後二十四篇、一挙九千五百行にわたる世界最長篇の詩があって、その中にトロイ戦争の物語がうたわれているのである。
 地中海の東海岸小アジアのトロイの町の王子ハリスは、隣国のギリシャの王妃ヘレンが、世にも美しい婦人なので、兵隊をくり出してギリシャの都に攻め入り、王妃をうばってきた。ギリシャの方でも、もちろん黙ってはいない。すぐさまアガメムノンという将軍を大将として、トロイの城をせめ王妃をうばいかえそうとしたが、城のまもりがかたくて、なかなか陥落しない。敵陣にとらわれた王妃は悲しみにしずんでいる。
 こうして戦争は九年もつづいた。そこでギリシャ軍は一策を考え、大きな木の馬をつくって、その中へ大勢の勇士をかくし、そしらぬ顔をしてトロイ城門のそとにすてておいた。トロイではそんなこととは夢にもしらないので「めずらしい分捕品だ、さあ城内へもちこもう」と大喜びで城内に運び込んだ。すると木馬の中の勇士は、敵のゆだんを見すまして一斉におどりいで、トロイ城に火をかけて、ついに王妃をとりかえした。…
 これがホーマーの詩のあらましである。
 大昔の戦争はこういうように、たった一人の婦人のうばいあいからおこったり、またイソップが童話にかこつけて抗議したような人種闘争だったりしたが、いつも、弱い民族は、強い種族に征服されてしまうのだった。
 宗教、思想、人種戦争
 それから時代は進んだ。しかし戦争は一向へらないのみか、だんだん規模が大きくなり、内容も複雑となっていった。
 中世にはいって宗教がさかんになると、もうトロイ戦争のような色慾戦争はなくなって、そのかわり宗教戦争がはじまった。皆さんは十字軍の戦争を知っていられるだろう。エルサレムの聖地を回教徒の手から奪いかえそうとして起こった戦争で、一○九六年から一二七○年まで実に百七十年間に、七次にわたって行われたのだ。またそれより五百年ほど前、紀元五世紀には、右に剣、左にコーランマホメットがアラビヤ全土とシリアを征服したことも知っていられるに違いない。
 しかし、こうした宗教戦争も近代になると、そのあとをたったが、そのかわりに、最近は思想上の戦争、イデオロギーの戦争がはじまって、世界は容共と反共の二つに割れ、冷たい戦争がつづいていることは、みんなの知っての通りだ。
 またちがった人種の間の戦争は二千年の昔から近代まで尾を引いている。中でも、白人種対有色人種の人種戦争ほど深刻なものはない。もう国家と国家との戦いの時代はすぎて、民族対民族の戦争の時代が来たといわれるほどだ。
 もっとも、近代になると、世界の情勢が複雑となって、純粋に人種問題のみの戦争というものはなくなって、いろいろの経済問題がからんだ戦争となった。物資のゆたかな未開地を手にいれようとして、文化の進んだ強大国が、未開の弱小国を侵略する植民地戦争が、アフリカやアジアの各地で行われるようになった。もし最近百年の中国の歴史を読まれるなら、あなたがたは、いやというほど、その実例を見ることであろう。
 侵略戦争はつづく
 また中世から近世へかけて、いわゆる英雄豪傑が征服慾や支配慾などから、周囲の弱い国を攻めた侵略戦争が多くあった。シーザーやアレキサンダーハンニバルガリバルジー、ナポレオンなど、みなその侵略戦争の張本人で、彼らの功名心のため、どれだけ多くの人命が犠牲となったかしれない。ナポレオンはその代表的な人間で、全欧州を馬蹄の下にふみにじった。彼はこれがため、「人間の姿をした虎」とか、「人間の血を吸う生きた人オオカミ」とさえいわれた。
 こうした個人の征服慾からひき起こされた戦争も、近代となるとなくなった。もちろん戦争犯罪者ともいうべき人物がいて、権力慾に動かされ、国民を戦争へ引きずり込むという例は、今なおあとを絶たない。皆さんはそうした人間の名を何人かごぞんじのはずだ。
 しかし、近代の戦争のほとんど全部は、複雑な経済問題が基礎となっていることもしらねばならない。さきにあげた権力慾、支配慾などの政治的原因や、人種的偏見などの社会的原因や、このごろの思想的原因などから戦争の口火はきられるが、それいじょうに原因となるのは、食糧不足、資財難、人口過剰などの経済的原因である。戦争をなくするためには、これらの経済諸問題の上に重点をおき、これに宗教的、道徳的信条をとり入れて、物心双方から解決をはからねばならぬ。
 歴史が始まって以来数千年、その世界歴史が戦争の歴史以外の何ものでもないというのは、何とあさましいことであろう、人間はそんなに戦争好きな生物なのだろうか。
 帝政時代のドイツの皇后の侍医で、有名な心臓の学者ニコライは、戦争に反対して獄につながれたが、獄中で書いた「戦争の生物学」という書物の中で「動物が衰滅に近ずく時、その動物はきっと破壊的となって戦争を好むものだ」といっている。この人の説にあやまりがなければ、人類もそろそろ終わりに近づいたことになる。もし人類が滅びたくなかったら、全世界が戦争を放棄して、アリのように、食べ物をわかちあい、小鳥のように、平和で仲良くしなければならぬ。そしてこれからの世界歴史を、平和の歴史としなければならない。
 もう戦争の歴史に、ピリォドをうっていい時ではあるまいか。