傾ける大地-43

   四十三

 小学生は全部復校した。税金不納同盟は解散してしまった。そして屈辱的な調停に手打式を挙げた町内の有志者は、町制が変ることを予期して、町長及び町会に向って翻した反旗を一先ず巻くことにした。然し、長雨の関係でもあらう。五月一杯、とうとう水道工事は少しも進まないで、高砂町の目抜きの場所は、まるで泥田のやうになってゐた。三日にあけず、杉本の悪口を書いてゐる地方新聞は、近頃、おけいと鬼政が接近して行ったことを報告した。

 六月一日の朝のことであった。いつもの如く、杉本が角丸商会に顔を出すと、店では、滝村喜一の妻君が昨夜納屋の中で、首を吊った話をしてゐた。それに関連して東洋亭のおけいが悪いとみんなで噂してゐる。その日の午後、榎本も、倉地も堤も英世の父理一郎も皆揃うて、滝村家の葬式に会葬した。そして滝村が存外平気なのに驚いて帰って来た。滝村の納屋から火の玉が出るといふ噂を、父の理一郎は真面目になって物語った。

 六月廿日であった。大審院の判決が、愈々杉本英世に、不利であることを伝へて来た。その為に英世は、罰金二百円を払はなければならないことになった。然しそれと相前後して、志田が第一審で有罪になり、正親町が執行猶予になったことの新聞記事が出た。

 県会議員に失格した杉本英世は、一層憤激を感じて、村々を廻って猛烈に消費組合運動を始めた。それが父理一郎の営業にまで、影響する処が多くなった。その為に、父の理一郎は二百円の罰金が出せぬと云ひ出した。然しそれを払はなければ、二百円間の懲役に行って来なければならないものだから、彼はとうとう決心して、浜の小屋を抵当に入れ、倉地から二百円の金を借入れることにした。

 英世としては、曾て父に云ひ逆ったこともなく、いつも柔順に父の云ふことを聞いて来たが、社会の推移を知らない彼の父は、どうしても、息子の行動に共鳴することが出来なかった。父理一郎の頭の中には、資本主義制度が余りに根強く、こびり着いてゐた。