傾ける大地-45

   四十五

『おい、杉本が妙なことをやりよるぜ』

 カフェ東洋亭の、ドアを押して這入って来た細見徹は、おきんを対手に、ウヰスキーをちびってゐた服部政蔵にさう云った。

『また碌な事せんのだらう、彼奴のこっちゃから』

 服却はけげんな顔をして、細見にさう云った。彼は服部の傍に坐るが早いか、服部の手から、ウヰスキーのコップを奪ひ取った。

『今警察に行って来たがなア、革新同盟の連中は、一日に四十ケ所から演説会を開くといふ届が出てゐるさうな、無茶しよるなア』

 ウヰスキーを一杯あふった細見は、舌鼓を打ちながら、さう云った。

『それが君、みな自分の家だといふから振ってるぢゃないか、まあ町を通ってみろ、何処もかも演説会のビラばっかりだよ、杉本もなかなか喰へん奴やなア』

『彼奴は糞っ腹立てよって、警官を困らせるつもりでやりよったんやな』
 細見が吃驚したやうに、杉本が町制革新の為にとった方策は実に一種奇抜な所があった。
 九月廿五日の選挙当日が迫って来た。恰度一週間前、彼は、兼ねて計劃してゐた通り、彼のいふ一斉射撃を始めた。彼は、百戸に対して一軒の割合で、民家を演説会場に当てることを発表した。

 そして、青年団在郷軍人会の有志、衛生組合の幹部、黒衣会の会員、その上に青年政治学校に集った約四十名の健児が。一晩に四十ヶ所で演説会を開催した。その猛烈な戦闘的態度に町民は全くたまげてしまった。警察署は、監視の巡査が足らないと云ひ出した。

 流石の斎藤もこの戦術には全く驚いてしまった。鬼政も、ごろつきの数が足らないことをこぼした。そして不思議なことには、どの演説会場もみな相当の成績を収め得たことであった。一週間之をぶっ続けた、高砂町政革新同盟は。公民派の胆を寒からしめた。

 公民派は、県会議員の鳥居伝吉、八束源治などを引張って来て、頻って掻廻さうとしたが、大きな公会堂に僅に三四十人しか聴衆が無かった。それで公民派の大敗は、開票前よりもう明らかであった。

 高砂町政革新同盟で公認した候補者数は、合計十五名、古顔は少数派の三名のみで、他は皆新しい顔許りであった。即ち、今日迄町政刷新の為に戦ひ来った、三上実彦、大伴良知、河上市太郎、この三人は候拙者の筆頭に挙げられた。

 新聞記者生方正之進、青物屋榎本定助、写真屋堤幸蔵、農民組合員初田伊之介、同吉田喜兵衛、衛生組合員青木利八、同金子市太、在郷軍人会員高木五郎、同花木長蔵、高砂労働組合員山科信一(これは杉本の従兄弟に当る青年であった)同労働組合員河井辰三、高砂青年会幹部伊藤忠一、以上十五人がその選に挙げられた。

 杉本が立候補しなかったのは、選挙法違反に懸ってゐた為であり、倉地一三が立候補しなかった理由は、まだ年齢が足らなかった為であった。それでこの二人は選挙の対策一切を引受けた。

 そして、見事十五名の立候補者中、衛生組合の金子市太を除く外、十四名が全部当選した。公民派の候補者で当選した者は、桜内正彦、花井徳蔵、上田万蔵、金山次郎の四人であった。

 その結果、御大将の斎藤新吉は勿論のこと、下島も樋口も伊藤も皆落選してしまった。革新派の大成功は、高島町長の辞職の日を早からしめた。気の早い彼は、総選挙があって六日目に、さっさと助役の田島まで辞職届を出して、何処かに消え失せてしまった。