颱風は呼吸する34

  日の丸と阿片

 松代を、アメリカ人経営の婦人ホームに収容してもらった駿治は、すぐその足で、気になつてゐた、ヴァイオリニストの遠藤光三の長屋を訪問した。そして、彼の居ることは、遠くからでも、よく聞こえるヴァイオリンの音色でわかった。
 光三は、支那街の貧民窟にはひっても、まだヴァイオリンと縁を切らなかった。駿治が、もと、幸子の借りてゐた家から奥へ三軒目を覗くと、五人の子供に囲まれて光三は、我を忘れてヴァイオリンを弾いてゐた。
 そしてその傍には、阿片喫煙者や、モルヒネ患者の成れの果て、と思はれる者が、五、六人地べたの上に、死骸のやうになって寝てゐた。
 駿治は、まづ、その死骸のやうな病人に目を留めていった。
『君はこの人達を世話してるの?』
 光三は、つとヴァイオリンを弾く手をやめて、彼の方に向き直った。
『よう! 誰かと思ったら斎藤さんですか………ええ、あまり可哀さうですからね、路傍に寝てゐた人を家まで連れてきたんです。然し、斎藤さん、世の中には悪い奴もありますなア。こんな餓鬼のやうになった男から、まだ金を捲上げようとする日本人があるんですからなア。私は、もうびっくりしましたよ』
 いつもあまり昂奮したことのない光三が、ヴァイオリンを竹の椅子の上に置いて、立上りながら目を吊り上げた。駿治は、珍しい客を熱心にみつめてゐる、少年の頭の上に手を置いていうた。
『そりゃ、君、どこに居る日本人だね』
『どこに居るって。あなたの家に居る男ですよ』
 あまり話が突飛なので、駿治は苦笑しながら、それが誰であるかを尋ねた。
『河野ですよ。あいつは悪い奴ですなア。このあたりの苦力はみなあの男の家へ、阿片や。モルヒネを買ひに行くんです。僕はあんなに裏表のある男を知りません。あんな男は全く日本民族の恥辱です。この長屋で日本の評判が悪いのは、日本人が、阿片やモルヒネを売って、支那の金を持って帰るんだと思ってゐるからですよ……あんな奴は総領事にいって、日本へ送還することは出来ないですかなア』
 光三はさういって拳(こぶし)を前へつき出した。
『そりゃなんでもないぢゃないか、君。僕は領事館へ行くついでがあるから、そのことを、総領事に会ってきいてみてもいいよ』
『あなたは、領事館に用事かおりますか?』
『うム、南昌に出した荷物のことで是非頼みたいことがあるから、そのついでに話ししよう』
『ぢゃあさうして下さい。こんなことをして居れば日本民族は亡びますよ。他人に毒を売って儲けたところで、仕方がないぢゃありませんか。しかし、きゃっ等は実に巧妙な手段で、阿片を密輸入してゐるんだからなア。全く驚きますよ。しかもその背後には、日本の財閥が附いてゐるといふから、厭になってしまひますね。私は日本の国旗を阿片の煙で汚したくないのです』
 さういった、光三の限には、憂国の熱情が溢れてゐた。
 阿片患者が眼を醒ましたらしい。幽霊を見てゐるやうな眼をして、地べたの上に半身を起した。モルヒネが切れたと見えて、その隣に寝てゐた三十恰好の男が、苦悶を始めた。
 それを見た駿治は厳かにいった。
『よし、俺はこれから領事館に行ってくる!』
 さういって彼の姿はすぐ長屋から消えた。

  抗日

 抗日ボイコットが極端になった。左翼も右翼も一緒になって、日本品を売ってゐる自国民の商店を、所嫌はず襲撃した。さうした運動が、上海は勿論のこと、北は天津から、南は香港、広東、さては南洋まで波及した。
 日本行きの船は船室に満員札を掲げ、避難民を乗せて相次いで上海を出帆した。然し、排日ボイコットに馴れた共同租界の日本人は、暢気にかまへこんで、朝から麻雀ばかりしてゐる者もあった。
 幸ひ、東京代田橋の駿治の姉、伊原漾子から、十二月の年の暮おし詰って、アンナヘの見舞金として百円送ってきたのと、千鶴子の親類から、彼女に借りてゐた金の利子として百五十円を送ってきたのとで、駿治はその年のクリスマスをのんびりした気持で迎へることが出来た。
 正月も平凡に送った。然し一月五日の朝であった。酔っ払った河野竹次郎は、眼を真赤にして、朋輩五、六人を連れて斎藤商店に怒鳴り込んだ。
『おい、斎藤! 貴様は、売国奴のやうな真似をしてもいいのか! 貴様は、俺が阿片を売ってゐるといって、領事館に訴へて行ったな。阿片を売るのが、なんで悪いんだ! 買ひたいものがあれば、売ってもいいぢゃないか。イギリス人を見てみろ! 香港やシンガポールを経営してゐる金は、みな阿片で儲けた金ぢゃないか! 妨害するな、妨害を。貴様は、日本帝国の発展を妨害するつもりか!』
 さういってゐる処へ電話がかかってきた。その電話に耳を澄ました河野は、
『おい、斎藤、今の電話は、あれは誰からかかったんぢゃ。あの声は松代と違ふか?……さては松代を隠したのは貴様ぢゃな。俺は承知せんぞ。おい! 松代の居る処を教へろ!』
 さういったけれども、駿治は返事さへしなかった。それは彼があまりにも酔払ってゐて、相手になっても仕方がないと思ったからであった。すると、
『よし俺にも覚悟がある。俺は婦女誘拐の告訴を、領事館に提起してやるから。覚えてをれ』
 さういって河野が表へ出かけると。彼についてきてゐた青年の一人が、また電話を不思議がった。
『この電話は、通じるんだなア。これから用事があったら、ここへ借りにこよう』
 さういって、みんな帰って行ってしまった。
 そんなことがあってから十三日目であった。松代に届いた、日本からの小包を持ってフランス租界に近い、婦人ホームに行った帰り道、道順もよかったので、また、苦力長屋の遠藤光三を訪問してみた。
 丁度、光三はいつも勤めてゐる活動写真館へ、ヴァイオリンを弾きに出かける処であった。(光三は。活動写真館で働いて儲けた金を、憐れな阿片患者や、モルヒネ患者にみんな与へてゐた)それで長屋の路地で出会った駿治は、ポケットから支那の一円紙幣を五枚つかみ出して光三にいった。
『君、僕は二人の病人を抱へてゐるために、君のやうな立派な仕事は出来ないが、これは僕の真心から捧げる金だから、これで君の養ってゐるモルヒネ患者に、饅頭(支那の下層階級の常食物)の一つでも買ってやってくれ給へ』
 真面目な光三は、それを受取って心をこめてお辞儀をした。さういってゐる瞬間に、長屋の奥から半裸の苦力達十数人が、
『喧嘩だ! 喧嘩だ!』
といって飛出してきた。喧嘩は別に珍しくなかったけれども、光三が活動写真館へ行かなければならなかったので、駿治はすぐ彼と並んで表に出た。

  颱風一過

 表に出た光三は、独言のやうにいった。
『こりゃ、いかん! 助けてやらんといかん!』
 さういふなり、駿治にヴアイオリンを持たしておいて、一町程先の群集目かけて駆け出した。
 駿治もヴアイオリンを持った儘走ったが、人垣を分けて遠藤光三は真一文字に飛込んで行った。
 駿治には、なぜ、光三がそんなに真剣になったかわからなかった。然し傍にあった人力車の上に立ちあがって、初めてその理由がわかった。今支那の苦力が、四人の日蓮宗の行者を襲撃してゐる処であった。四人の行者は、一人一人支那の苦力と争ってゐた。
 それを光三が、和解させようと努力してゐるのだ。然し行者の一人が苦力を殴りつけた。それから混乱は一層烈しくなった。石が飛んだ。木片が飛んだ。罵りの声は高くなった。
『やっつけちまヘー』
『殺せ! 殺せ!』
倭人をやっつけろ!』
 呪咀(じゅそ)の旋風は颱風に変り、忽ち数千の浅葱(あさぎ)の労働服を着た苦力で、街路は寿司詰めになった。
 それで駿治は、もう人力車の上に立ってゐることが危険になった。彼自身が襲撃の目標になると思ったからであった。
 支那の騎馬巡査がやってきた。然し群衆はなかなか通路を開かなかった。駿治は、よほど、ヴァイオリンをどこかに匿しておいて、その日蓮宗の行者と光三を助けにはひらうと思ったが、光三が命より大事にしてゐたヴァイオリンだと思ふと、どこにでも匿す訳にいかなかった。で、彼は大急ぎにそのヴァイオリンを、光三の長屋へ持って帰って行くことにした。
 然し、群衆が狭い街路に押し詰まったので、どうすることも出来なくなった。それで、彼はまた人力車の上に立ちあがって、行者が立ってゐた方角を見つめた。しかしそこには、もう、四人の白衣の行者の姿も見えなければ、光三も見えなかった。
(さてはやられたかな。行者は仕方ないとしても、なんとしても、あの純粋な光三を殺すのは惜しい)
 と思ったので彼は、もう、ヴァイオリンの番などどうでもいいと思った。で、人力車の腰かけの下にヴァイオリンを匿して、すぐ群衆の中にをどり込んだ。
 支那の苦力はみな背が高い。彼が初めの人垣を分けてもその次にまた人垣がある。二人くらゐ押分けて進んで行っても、群衆が押寄せてくると、すぐ三歩くらゐ後に追ひやらられる。ぐんぐん、周囲から人体が圧迫してくる。そしてこんどは駿治自らの五体が、圧し潰されさうになった。
 彼はその時に、初めて、肉弾といふことを思った。
(……こんなに人間が詰まると、人間も、牛肉や豚肉とあまり変りはない。重力が凡てを支配するのだア。重力が人間を支配して、精神力が人間から、逃げ出したら人まもそもそも末だなア)
 肉体の圧縮機械に挾まれた駿治は、そんなことを考へた。彼は十五分問くらゐも揉まれてゐたらうか? その上にもう五分問も続いたら、彼は脳貧血を起して、倒れるかも知れないと思った。
 その瞬間群衆の喚声が変った。支那の騎馬巡査がピストルを空中に向って放った。群衆は散った。そして、四人の白衣の死んだやうな五体と、光三の打ちのめされた肉体とだけそこに残ってゐた。

  闖入

 駿治は泣きながら。光三の肉体にすがりついた。彼は大声で叫んだ。
『遠藤君! 遠藤君! 遠藤光三君!』
 すると、光三は、少し、わかったと見えて、大きな眼を開いた。
『うれしい、生きてゐる!』
 さう叫んだ駿治は、半丁ばかり離れて立ってゐた人力車夫を招いて、すぐ、光三を日本人病院に送らせることにした。
 機会(をり)も機会、どうして聞いたか、日本租界の自警団の一分隊が鉄砲を持って駆けつけてきた。そして、すぐ駿治と協力して。日蓮宗行者の救護にとりかかった。幸ひその中の三人は命に別条はなかたっ。然し、一人の行者は致命的な傷を受けてゐた。そして、たうとう、その男は一月二十四日に死んでしまった。
 光三と他の三人は辛うじて命を拾ったが、颱風は一層拡大した。一月二十九日つひに上海は鉄と血の戦場と化した。
 アンナの寝てゐる屋根も敵弾にぶちぬかれた。そして、危く彼女も、命を落すところであった。然し、不思議にそんな時でも。まだ斎藤商店の電話は止まらなかった。それで近所の者は誰でもみなそれを利用するので、朝から晩までベルが鳴り続けた。
 土嚢が、街路の上に積上げられた。然し、共同租界であるのをいいことにして、多数の便衣隊がはひりこんだ。そして思はざる処から日本の陸戦隊を狙撃した。自警団は奮闘した。日本人の居留地帯にはひってくるものは誰でも、一々身体検査をされるやうになった。
 支那側も塹壕を掘り、鉄条網を張って。日本軍に挑戦した。それのみならず、戦争を好機会として、革命を起す惧れのある共産党狩りが開始された。困ったのは陳栄芳一味の左翼の分子であった。彼等もまた亡命しなければ、命が無いといふやうな羽目になった。
 幸ひ、陳栄芳は日本語がよく出来たので、崔女史ともう一人の青年を連れて、日本租界内の斎藤商店の二階に隠れようと、大胆にも戒厳令を犯して租界内へ闖入(ちんにゅう)した。
 それは朝の九時頃であった。斎藤の店も雨戸を閉め、入口の戸を閉して企く叢務を休んでゐた。引ききりなしに、大砲の弾丸は、怖ろしい響をたてて、租界に落ちて作裂した。その響の少し遏(や)まった時、駿治は、激しく表を叩く物音が間こえたので、戸を開いてみると、それが陳栄芳とその仲間であったのでなほ驚いた。
『頼ぬ! 斎藤さん頼む! 僕は、あなたの家よりほかに頼る処はないんだから、あなたには気の毒か知れんが助けて下さい』
 駿治も男である。
『よろしい!』
 一言さういって、三人を、アンナの隣の部屋に隠した。
『隣の部屋には砲弾が落ちたんだからね、君が僕の処に逃げてきて、君の頭に弾丸があたって死んでも僕は責任を持たんよ。わはははは。然し、三度三度の食物は二階へ運んであげるから、君等は階下に下りてこないやうにし給へ。もしも、自警団の人にでも見附かったら、大変だよ、君も僕も、命はないよ』
 陳栄芳は両手を組合せて、長上の者にするやうな、支那式の最敬礼をした。
 その日の午後、日本人病院から退院した遠藤光三は、どこから集めてきたか四人の支那人を連れてきた。
『斎藤さんお願ひです。この人達は、官憲に狙はれてゐる共産党の連中なんです。病院まで訪ねてきて、隠してくれとせがまれたんですが、私には家がないので、あなたにお願ひにきたんです』
 駿治はまた軽く頷いた。