黎明6 最近の愛読書

  最近の愛読書

   一
 一生はあまり短いので私は詰らない書物を読まないやうにしてゐます。専門の科学に関する外は、有名な書物だけしか読みません。愛読の書物は、宗教的のもの、自然に関するもの、哲学に関するもの、芸術に関するものなどが最も多いのですが、毎朝『新約聖書』を読んでゐます。座右にはいつも『華厳経』を置いてゐます。私の社会運動の教科書は、トーマス・カーライルの『仏蘭西革命史』です。自己の良心的批判がにぶって来ると、力ーフイルを読み直します。ラスキンは芸術と自然芙を見る目を私に与へてくれました。伝記ものの中では、ウェスレーの日記と。フォックスの日記と、ジョン・フレッチャの日記が最も私を感化してくれました。哲学ではヘーゲルの『歴史哲学』と、ロバート・バウンの『形而上学の第一原理』が、私の青年時代を最も刺戟してくれました。プラトンも繰返して読んでゐます。
 自然を見る目はファーブルの『昆虫記』によって深く教へられ、あの書物だけは何遍でも読みたいと思ってゐます。カール・ペアソンの『科学範典』も良い本だと思ひました。ソディの『物質とエネルギー』、スコットの『植物の進化』、オスボルンの『哺乳動物の進化』と『石器時代の人々』、かうした書物は私に自然科学を小説以上に面白く読ます癖をつけてくれました。是非多くの青年にも読ん
で貰いたいと思ってゐます。
 文学の読み方は、メービーの『文学入門』、テーンの『英文学史』、クーノ・フランケの『ドイツ文学の社会的見解』によって教へられました。
 詩集を読むのは私の道楽で、短歌はあまり読みませんが、新体詩であればどんなものでも目を通します。どれが一等好きだと云はれると、ちょっと云ひかねますが、『万葉集』などはいつも引っ繰り返して楽しみにして読みます。詩だけは、博物館に這入ったっもりで、偏した読み方をしません。小説に就いても同じことが云へませう。大体理想主義の小説が好きですが、道楽半分に読むと云ふことがないものですから、小説を読む時でも、いつも真剣なものだけを選んでゐます。つまり心理学の教科書を読むやうなつもりで読むものですから、あまり若い人には、自然主義以後の小説を奨めてゐません。

   二
 近頃読んだものの中で、最も面白かったのは、カイザリングの『成作中の世界』と、デイン・インゲの書いた『英国宗教に於けるプラトン主義の伝統』でしか。前者は来るべき世界の新理想主義を暗示し、後者は、一旦理想主義が一国民に這入ると、なかなか抜けないものだと云ふことを私に教へてくれました。
 最近数ケ月、私は助手と一緒にジョン・ラッセル・スミスの『世界食糧資源論』の翻訳に没頭しましたが、クロポトキンの『パンの略取』と『田園、工場及び仕事場』以上に私をインスパイヤアしてくれました。クロポトキンに所論の範囲が狭くて世界的に材料を集めてゐませんが、ラッセル・スミスは世界的に材料を集めて面白い結論に到達してゐました。大勢の助手と、米国軍需省の力を借りたと見えて、なかなか集められないやうな材料を沢山持ってゐるのに、私は感心しました。大の楽天家であるところがクロポトキンによく似てゐます。ただ残念に思ったのは、東洋の方面が少し欠けてゐることです。しかし、ラッセル・スミスのとったメソードによって、ぼつぼつ材料を蒐集すれば、良い結論が得られると私は思ってゐます。
 日本の社会科学は理論ばかり喧しくて、事実にはとんと疎いのには吃驚されるほどです。もう少し食糧問題などに就いても、根本的の研究を。社会科学の連中が自然科学者と協力して研究すべきでないでせうか。

   三
 専門の書物となれば、あまり多過ぎるので、一々云ふことは出来ません。しかし教養の為には専門外の書物も一通りは読んで貰ひたいやうに思います。詰らぬ講談物を読む暇があれば、世界聖典全集や、古典的歴史物をよんで貰った方が嬉しいやうな気がします。日本には英語で書かれてゐるやうな世界的に有名な文化史のないことを悲しく思ひます。ブレッドステッドの『エジプト宗教史』、ギルバアト・モーレーの『ギリシヤ宗教の四大時期』、ヂャストローの『セミチック宗教』、ムータアの『近世絵画史』、ランゲの『唯物論の歴史』、フアケアの『印度教の研究』のやうなものを、世界各国から集めて、日本語にすればよいと思います。日本の読者界は非常に偏してゐて、視野の狭いことを私は悲しみます。あまり売れなくとも、大日本文明協会がしたやうに会員組織でも作って、かうした良書をどしどし日本語にしてくれるとよいかなアといつも考へてゐます。