黎明8 田園文学に就いて

   田園文学に就いて

 十八世紀の末、都会の煙突が建ち始めてから都市文学と田園文学の差が著しくなった。特に英国では機械文明に反抗する詩人の一派が現れて、文芸のあらゆる方面に自然派なる一派が出現するに至ったが、この一派は十九世紀後半の自然主義とは違って、大自然により多く接近しようと努力してゐた。その詩人の間では、ウワズワース、バアンズの如きが最も偉大なるものであり、書壇に於いても、タナア一派の世紀印象派は悦んで自然のみを描写し。この運動に最も大きな貢献をした。評諭家は『近世画家の構図』を現したラスキンであった。彼等は機械文明に反抗してスコットランドのスルツ湖水を讃美した。その中でも田園文学者として永久に記憶せられる人物は、誰を措いても先づジョン・バーンズと言はなければならぬ。『仏蘭西革命史』の著者トマス・カーライルは、『英雄ラープイ論』の末端でジョン・バーンズを英雄の中に数へてゐる。バーンズは極く簡単なスコット訛で多くの美しい農民生活の悦びを歌った。
 時は丁度煙突機械に反抗した時代であったから。バーンズの詩はスコットランドに深い印象を与へた。しかし悲しいことには、バーンズ以後英吉利の農村は滅びてしまった。そしておそらくはキングスレーの農民小説を最後として、英吉利の田園文学は滅びたと言っても差支へないだらう。亜米利加の農村生活は良吉利のそれに比べてより豊かであり、より愉快なものであるから亜米利加には田園文学が頗る多い。詩人ホイットマンはペンシルバニヤの片田舎に隠れて村の生活の美を歌った。
 マークツインは、ミシシッピ河を背景に、ソヤナ開拓時代の農民生活を最も面白い言葉で書き現した。
 今日マークツインの言葉はそのまま西部亜米利加の言葉になってゐると言って差支へはないと思ふ。『トームファイヤ・グラフィグイット』などは、箆棒に豊富な矛盾だらけの開墾生活を最も快潤な口調で滑稽小説として書いたものである。日本などではあまり農村生活が悲しいから、『トームファイヤ・グラフィグイット』などのやうに農村生活を面白をかしく取扱ふことは出来ない。
 一方に於いて、村の生活がどれほど美しいものであっても、地方に小作争議や村の没落が頻々として起るものだから、中西伊之助氏が書いた『農夫嘉平の死』のやうに、実に、悲惨なものしか書けなくなる。英吉利の農民小説には、ゴルド・スミスの書いた『ウェカフィルドの牧師』のやうな、村の牧師を取り扱った、如何にも親切な面白い小説が残ってゐるが、日本には村の小学校の教師を書いた島崎藤村氏の『破戒』のやうな悲しい物語しか残ってゐない。仏蘭西には、●スタンの『シャンタ・ クール』のやうな、大自然そのものの大きな動きを活写し、自然そのものを語らしめたものがあるが、日本にはまだ自然の精そのものをして語らしめるやうな、土の親しみを書いたものは少い。おそらく今後多くの田園文学が小説の形や詩の形で現れるだらうが、現在のやうにあまりに悲惨な農村生活では、欧米のそれと全然変った、農村の階級闘争を基調にした多くの作品が現れるであらう。しかし、田園文学の面白さは、さうした悲しみの中にも、なほ忘れられない大自然の抱擁があることである。日本の俳句は最も田園文学に近い情諸を持ってゐる。俳人一茶の多くの俳句は、それを示してゐる。彼が信州野尻湖に近い柏原で歌った多くの俳句は、村の悲惨な出来事や悦ばしい出来事に大自然の換へ難い慰慰藉通はせて、涙ぐましい霊光となってわれわれに訴へる。
 こんな傾向をおびた日本の文学者の間から、必ず将来大きな田園文学者が現れて来るのではないかと思ふ。
 夏目氏の『草枕』などは、確かに此の系統の作品である。田園文学は階級文学で堰するにはあまりに大自然の抱擁が濃厚である。俳句の客観主義は、人間の憎悪を超越して深い大自然の懐にわれわれを導いてくれる。田園文学の特髄はさうしたところに落ちつくものではなからうかと私は思ふ。
 忌憚なく言はしてくれるならば、プロレタリア文学も、もう少し深く大自然を呼吸する必要がある。芭蕉や一茶の気分を味はった後でなければ、日本の田園文学をして永久的なものとする事は出来ぬものだと私は思ってゐる。
 醜悪な人間の闘争のみを見ることは、土の香を深く味はうとする者に取って、悲しい題材である。しかし、われわれは其の闘争より逃れることが出来ないことをも知ってゐる。さらばと言って、われわれは闘争が土に勝ち得ないことをも知ってゐる。田園文学の勝利は土の勝利である。土は人間の憎悪を超越し、永久の真理をわれわれに啓示する。地主も小作人もやがては土に帰って行くのである。この不思議な大自然をわれわれに力強く教へてくれる人が将来の日本の田園文学者であらう。
 近代人はあまりにチカチカした都市文明に疲れてゐる。そこに新鮮な田園文学が期待される。しかし、今日までの二十世紀文学は都会化した田園文学の歴史を持ってゐる。
 われわれの要求するものは、都会人を上に転向せしむるものでなければならない。
 徳富蘆花は此の点に於いて稍々成功した作者であった。彼の『みみずのたはこと』の如きは、世界でも珍しい大きなものをつかみ出してゐた。
『土』の作者長塚節氏の如き人がもう少し長く生きてゐてくれたら、日本の田園文学に永久性を与へてゐたかも知れないと私は思ってゐる。