黎明9 村から蒸発する女

  村から蒸発する女

 徳島県辻町に三好高等女学校といふのがあるが、この女学校の教育の仕方にすっかり感心させられた。この学校の校舎は、前は農学校だったのだが、それをそのまま使用してゐる。生徒は全部寄宿させることにし、附属の学校園で毎日二時間の労働が課せられることになってゐる。
 学校園の労働といふのは、十四、五から十七、八の娘たちが、畑で真黒になって鍬を振り上げて働くのである。何れもきりっとした労働服で元気に働いてゐる。実にすがすがしく、快い限りであった。新しい時代の婦人たるべき学課の教養と共に、この楽しい労働を課せられた学園の乙女たちは、天真爛漫にすくすくと伸びて行く。かうした数育こそ真の教育といへるのだ。
 ところが、この有難い教育に対して。抗議を申し込む父兄がかなりにあるといふことである。土いぢりさせると手が荒れる、それよりもピアノでも教へて下さいなどといふのださうだ。「笑ってゐられぬ認識不足です」と今は亡き高津半造校長が語られてゐたが……。
 一箇月の中二十日は旅に出る私が、この頃特に感じることは、日本の女性が如何に勤勉であるかといふ頼もしい事実と、その反対にこの勤労の美風を忘れさせようとする女子教育が、あまりにも多く行はれてゐるといふ悲しむべき現象である。
 何とかして骨を折らぬやうないいところへお嫁に行きたい。その為に女学校へ行く。親も亦それに賛成する。その女学校では勤労精神を忘れさせようとしてゐる学校が多い。だからこそ、堅実な村の青年との縁組は御免とばかり、都会へ都会へと女は蒸発して、村はさびれて行くのだ。
 勤労精神の通ってゐない教育こそは正に亡国的教育である。