黎明12 英雄と唯物史観

  英雄と唯物史観

  伝記学の出発

 米のプラグマチズム哲学の創始者、ウイリアム・ジェームスは、彼の名著『宗教経験の諸相』の中で、性格心理学の基本として、伝記学といふものを主張してゐる。
 この見方は、すぐれた卓見であって、人間個性を研究する場合、伝記にまさるものはない。今日取扱ってゐる心理学の対象は、あまりにも局部的に分解され過ぎたものであって、個性としての単位を形造ってはゐない。記憶とか、注意とか、連想とか、推理とかいふものは、細胞に譬へるなら、細胞壁とか、核とか、核仁とかに当るものであって、細胞そのものではない。細胞そのものを研究するには、生きてゐるままを研究せねばならない。伝記の研究の必要は、全くかうした点にある。
 精神分析学が、解剖学的に発生するとすれば、伝記学は綜合的に、その出発点を持たなければならない。
 生理学に於いて。細胞がその基本である如く。社会学に於いても、個性がその基本でなければならない。しかるに、悲しいかな、今日までの社会研究は、あまりにも個性を無視したものであった。殊に、最近日本に於ける唯物史観の流行は。個性といふものの基本単位を全く無視した、社会の機械観的見解を導き入れた。唯物史観は、社会機構の決定的方面のみを多く見て、その可能性をあまりにも無視する傾向があった。
 私は、社会の個性に対する決定的勢力を無視するものではない。身体に於いて、筋肉系統が、骨格系統に較べて驚くべき変化を以て細胞に臨んでゐる如く、社会が個性に臨む場合にも、同じやうな制限を置いてゐる事は、否定する必要を認めない。しかし、人間の赤血球などを見ると、それは一つの細胞でありながら、必ずしも初めから決定的な歩み方をしない。それは、神経細胞にもなれば。筋肉細胞にもなる。骨格系統にも同化すれば、消化器系統にも吸収されて行く。即ち、社会生活に於いて。決定的方面と、可能的方面のある事を認めなければならない。
 最近の物理学が、空間的決定物理学より、時間的可能物理学に移行せんとしてゐる如く、われわれもまた、社会基本をなす個性の研究によって。社会の決定性ばかりを見ないで、個性の可能性を通して社会の非決定的要素を研究する必要が大いにある。
 ウイリアム・ジェームスは。伝記学を通して個性の研究をなし、個性の裡に、自己中心の生活より絶対生活への変移を発見した。彼は、この個性に於ける非決定的要素を転心と呼び。その転心を通して
個性の生活に著しい変化が起るのみならず、その個性を通して、社会と歴史に一大変化の起ることをわれわれに注意してゐる。
 かく考へると、歴史といふものも、一つの帯のやうなものであって、個性によって織り成された織物であると考へることが出来る。従って、その歴史を織りなす個性の変移によって、歴史そのものが、驚くべき変化を示すことを、否定することは出来ない。トーマス・カーライルの如きは、歴史と個性の関係を、最も深く考へた者の一人である。そして、彼の『英雄崇拝論』は、その個性研究の、露骨な発表の一つである。この点は、ジョン・ラスキンの如きも、同じ傾向を辿った人と考へてよいだらう。ラスキンの名著『ヴェニスの石』の如きは、最も非人格的に取り易い建築史をすら、その時代の道徳的背景なくして考へることは出来ないと証明した。
 かくの如く、歴史を個性に関連して見なほすことも、あまりに唯物史観に因はれ過ぎてゐるわれわれにとって必要である。私をして云はしむれば、経済そのものが、決して物的なもののみではない。経済は物の背後に動く生命、労力、変化、成長、選択、秩序、目的の七要素が、個人的に、また社会的に活動することによって営まれるものであって、此の七要素は、個性の心理的可能性を浸透して、初めて社会的経済活動となるものである。
 かく考へると、伝記学を通してなされる個性の研究は、文明史の基本となるべきものである。

  感情病理学としての近代小説

 小説は、社会感情の研究または個人感情の研究に欠くべからざる材料を提供する。しかし近代小説は、あまりにも解剖的過ぎて、全人的総合を欠く傾向を持ってゐる。自然主義文学は。性慾心理の解剖となり、ローマンティック文学は、変化性の心情をより多く取り扱ひ、表徴派は、幻想の心理的解剖となり、官能派の芸術は、あまりにも局部的な誇張に終る傾向が多い。また、左翼の社会小説は、階級分裂の社会病理に、局限される傾向がある。それで、人間個性の研究のためには、拡大鏡をもって感情を分析した小説の研究も、大いに必要とするけれども個性の全的綜合は、真実なる伝統の研究に俟つほか道はない。そこにどうしても伝記学といふものが創始されなければならない。
 面白いことには、日本の大衆文芸の如きは、その大部分が、伝記的要素を持ってゐる。日本の大衆は、局部的な感情分析より。より人間的な侠客物を選ぶ傾向を持ってゐる。そして、この伝記的個性小説は、病理学的分析性を持ってゐる近代小説より、はるかに大きな感化力を持ってゐる。

  個性の可能性の認識

 個性を綜合的に組み立てると、近代小説がわれわれに与へてくれない知識と、感情と、意思の驚くべき融和点が、発見される。例へば、エヂソン伝に於いて発見するローマンティックな物語がそれである。それは近代小説の約束にとらはれた物から見れば あまりにローマンティック過ぎる。しかし、それは事実である。エヂソン一人の出現によって、社会生活は驚くべき変化を見た。勿論、或る人は唯物史観的社会が、エヂソンを生んだといふかも知れない。しかし、いくら社会が圧迫を加へても。エヂソンの頭脳を変化して、電灯の発明を強ひるわけにはいかない。電灯の発明は確かにエヂソン自身の個性の発現によったのに違ひはない。そしてその発明によって、社会性が呼び醍まされたことは疑ふべくもない事実である。
 勿論社会は、エヂソン自らが造ったものではない。しかし、社会のうちに存在するエヂソンといふ人を通して、社会全体の可能性が拡大したことは、事実である。
 人体に骨骼系統と循環系統と、神経系統との差がある如く、社会性にもさうした大きな差がある。そしてその差は、個性の持つ意識的可能性の綜合によって決定せられる。即ち、決定は決定であるけれども、可能性の綜合による決定である。或る社会が、骨骼細胞のやうな眠ってゐるものによって作られてゐるなら、その社会は確かに唯物史観的決定をもって動いてゐるものであると考へてよい。しかし早や循環系統になれば、血球それ自身の変化性によって、唯物史観的決定を適用することは出来ない。更に、神経系統の如きになれば、それを組織する細胞の一つ一つが、驚くべき組織を持ってゐるために、精力の不減退説までが考へ出されたのである。おそらく、神経細胞の一つ一つが、小さい電池作用を持ってゐるために、力学の法則を無視して、距離の自乗に反比例して勢力が衰へて行くといふ原則は、神経系統には応用することが出来ない。神経系統に於いて、十の刺戟を伝へたものが、或る距離に達しても、同じやうに十の刺戟で伝播するといふことは、全く驚くべき事実である。
 かくの如く、社会性といふものは、それを組織する個人の可能性によって、骨ともなり、また神経ともなるのである。これが解ってくれば、われわれは更に、個性研究の基準としての伝記学の完成に努めなければならない。

  個性としての英雄

 一般民衆の個性は、筋肉系統や骨骼系統を組織する細胞のやうに、眠り込んでしまふ傾向を持ってゐる。そこが即ちマルクスなどのいふ唯物史観の強みである。マルクスは、この事能化した個性のみを対象として歴史を考へてゐる。それで、個性の研究には、かうした眠った細胞を取り扱ふことは出来ない。やはり、十分目醒めてゐる赤血球のやうなもの、或は更に神経細胞のやうなものを、対象として取扱はなければならない。
 十分目醒めた個性として与へられた、可能性の局限を持つものは、普通世間にいふ英雄といはれるものである。英雄の個性をよく研究すれば、社会を組織する一般大衆の個性が、よくわかって来る。発生学者が、鶏の卵を基本として研究する如く、英雄の個性を研究すれば、人間の個性的可能性の極大性を見ることが出来る。宗教が何時も教祖の人格を神仏の示現として鑽仰するのは、全くかうしたところに理由が伏在してゐるのである。
  神話の真実性と英雄の真実性

 個人の可能を綜合して出来上った社会性は、古き時代に於いて、神話といふものを作った。この神話は、或る意味に於いて、歴史そのものよりも真実である。文字を用ひない時代の民族は、可能性を信じた経験の伝説を神話として後代に相続して来た。ギリシヤ民族は、ギリシヤ神話的可能性を後代への遺産とし、ヘブライ民族は『旧約聖書』の神話にあるやうな可能性を後代に伝へた。これは『古事記』が日本民族の可能性を記載し、ニーベルンゲンリードが、ドイツ民族の可能性を神話として約束してゐるのに等しい。こんな風に神話の精神分析を行ふと、神話の真実性がよく了解出来よう。多くの神話に於いて、主人公を個人として取扱ってゐても、それは民族を個人化しただけの事であって。民族の可能性なくして、一つの神話も現れるものではない。そして。個人以上に大きな可能性を、民族的に見た場合に、その可能性に神々の名を与へた理由もよくわかる。それで、神話は、民族経験の表徴的記録として。文明の曙に先駆するものである。
 しかし、民族が段々個性を分化し、祭司と王族とが分離し武士と農民とが、分業的地位を保つやうになると、時代は段々神話から遠ざかる。そしてそこに、英雄の時代が出現する。先にも述べた通り、英雄は神話に近い存在である。それは、民族の可能性をはなれて、決して存在するものではない。しかし、それは民族だけの可能性を意味しないで、醒めた個性として、民族を引っぱる可能性を暗示してゐる。
 私は、英雄が社会から離れて存立しない事を主張する。宗教的英雄にしても、軍国的英雄にしても、彼の属する社会が生んだ事に於いては、間違ひはない。例へば、イエス・キリストにしても。ユダヤ民族の歴史的背景なくしては、決して生れ出る人物ではない。釈迦にしても。マホメットにしても、同じ事が云へる。況んやギリシヤの教養なくして。アレキサンダー大王が生れ出たとは考へられない。アレキサンダー大王の謹厳、克己、訓練、努力は、ギリシヤ民族の哲学的教養の賜であるといふことが出来よう。ジュリアス・シーザーの場合に於いても、同じ事が云へる。ローマ共和国の教養なくして、果してジュリアス・シーザーがああした英雄になれたかは、問題である。民族及び社会が動いてゐる時代に、動く個性が生れ出るのである。鎖国時代の日本に英雄なく、エスキモーに、英雄の出現しないのは、全くこの理由によるのである。生理的にオリンピックのやうな大きな動きがあり、心理的アテネの芸術があり、道徳的にストイックの克己主義があり、哲学的にソクラテスプラトーンアリストテレスの教養かあったればこそ、アレキサンダー大王は生れ出たのだ。ジュリアス・シーザーの動きも、民族的動きの継承であると云ひ得る。イェス・キリストは預言者の動きを継承し、釈迦は、印度の六大哲学の中に生れ、孔子は、周の文化を背景として生れ出た。
 しかし、英雄が社会の動きのみを反映するなら、決して英雄ではない。彼は、更にその上に、幅広き歩みを社会に与へる。英雄は、身体に譬喩をとれば、目のやうなものである。他の部分は眠ってゐても、英雄だけは醒めてゐる。われわれが英雄から学ぶのは、その醒めてゐる部分である。
 プラトン等が、賢人政治を考へて、大衆政治に信用を措かなかったのは、彼自身が大衆の眠ってゐる状態に愛想をつかしたからであらう。しかし、私は英雄を考へる場合、必ずしもプラトン式にのみ考へる必要はないと思ふ。民衆につかへる気持で、目が身体の光である如く、英雄が民族の光であり得て少しも差支へない。若し、プラトン的な見方をギリシヤ的だとすれば、私のやうな考へは、キリスト的だと云ふことが出来よう。プルタークの『英雄伝』の如きは、プラトン的立場から書かれてゐる伝記学としては、実に優れたものである。そして。フォックスの書いた『殉敬者伝』は、キリスト教的に見た英雄伝である。それはとにかくとして。純人間的な立場から個性の可能性を完全に解剖した伝記としては、プルタークの『英雄伝』に勝るものはない。プルタークの文章は実に簡潔であ
り、一刀彫りの感じがする。彼は、個性を解剖する場合に。少しも遠慮をしてゐない。アレキサンダーの伝記を書く場合にしても、シーザーの伝記を書く時でも、感嘆詞を全く省略してゐる。そして、まるで二十世紀の新聞記者がするやうに、遺伝と、環境と、個性の天資と、その弱点を列べて書く事を決して忘れてはゐない。ジュリアス・シーザーを書く場合でも、彼の経済的方面、また政治的方面をシーザーの性生活と並べて書く事を忘れてはゐない。しかし彼は病理学者のやうに、シーザーの癩癇を詳らかに記載はしてゐない。ただ数行書いてゐるだけである。然し、その簡潔な文章のうちに、全人的立体写真が浮び出してゐる。しかもその立体写真は。唯物史観的な方面だけに止まらず、精神的な煩悶を記述してゐるところにプルタークの用意が窺はれる。プルタークの『英雄伝』は、決して個性を英雄として取扱はないで、個性の極大性を持つものとして、精神分析を行ってゐる。それに『英雄伝』とつけたのは、日本人であって、プルタークではない。ただ『伝記』とだけなってゐる。さればこそ。プルタークは、シーザーを書くと共に、その時のポンペイを書き、またシーザーを暗殺したブルタスまで記述することを忘れてゐない。そこにプルタークから学ぶべき、多くの教訓がある。即ち、多くの個性を正面だけから見ないで、その背後より、また側面より研究する為には、英雄の敵手をも詳らかに研究する必要がある。プルタークが、個性の可能性を研究するに当って。凡人の伝記をも綿密に書いてゐる事なども、吾々の参考になる。伝記学としては、プルタークの記述方法が、最も科学的だと云へる。カーライルは、『英雄崇拝論』を言くときに感嘆詞を連発したけれども、
プルタークはむしろ科学的に、英雄の敵を屯墓の中から引きずり出して、彼の云はうとするところを云はしめた。そこに、プルタークの正直さがある。
 多くの歴史は嘘をつく。そして、支那の歴史の如きは、大抵の場合、主権者の力によって編輯せられたために、主権者の敵に対しては、正当なる批判を誤ってゐる。これは支那に限らない。多くの歴史が、その時代の支配階級の思想によって、歪められてゐる。徳川時代に於いては、楠正成や正行の記録が、総て歪められてゐた如く、共産主義の統治下に於いても、反対者の記述については歪められる。然るに、プルタークが、正直にもジュリアス・シーザーを書いて、すぐその筆で彼の敵のポンペイを書き、ブルタスを書いてゐるところに、歴史家としての偉大さがある。吾々は、此の態度から大いに教へられる。

  プルタークの『英雄伝』

 プルタークの『英雄伝』を読んで私は、英雄たらんとする者が、日本流に考へる粗野な豪傑ではなく、精神的にも非常な修養を積まなければならないと考へた。プルタークの書いたアレキサンダー伝を読むまで、私は、アレキサンダーが克己的な、つつましやかな人物であることを知らなかった。そして私は、なるほど、英雄にならうと思へば、こんな点にまで注意しなければならないのかと、感心してしまった。アレキサンダー大王が死んだのは、全く神経衰弱からであった。世界を征服した大王は、ちょっとした酒の上の興奮で――平素飲まない酒を飲ませられて――彼の命を嘗て助けたことのある従兄のクリシスに、罵られた。それが癪にさはったアレキサンダーは、クリシスを追っかけて、洒の剣幕でクリシスを殺してしまった。その晩から酔ひが醒めると共に煩悶して、遂に死んでしまった。
 私は、かういふ所を読むと、それはアレキサンダー大王の事ではなく、自分の出来事であるやうな気がしてならない。
 シーザーに就いても、同じやうな事が云へる。プルタークは、それとなくシーザーが殺されたのはポンペイの亡霊が蔭に動いてゐるかの如くに書いてゐる。若し、シーザーが、彼の先妻の貞操をけがさうとした恋敵に対する親切さをポンペイに向けることが出来たな
ら、あれほどの混乱はローマ帝国に起らなかったかも知れない。シー
ザーは、部下に対しても、他人に対しても、すこぶる寛容であった。然し、自分の政敵に対して寛容であり得なかったところに、最後を全うし得なかった憾みがある。アレキサンダー伝を読んでゐてはさう思はないが、シーザー伝を読んでゐると、キリスト前の個性につき纏うてゐる、醜い臭みの抜け切らない事を思はせられる。英雄は英雄だけれども、これでは、永久の国家が創れないのは当り前たといふ感じがする。
 キリストの思想が、ローマ帝国に泌み込んだのちは、個性の生活が、ギリヂヤ・ローマ的生活方式と全く変ってしまった。それまであまり内観的でなかった個性が。一しほ内観的となり、違った意味に於いての英雄が、欧洲に現れるやうになった。アッシジのフランシスの如きは、そのうちの最も特徴ある、内面生活の英雄であるといふことが出来よう。ルーテルやカルヴァンの事は、勿論云ふまでもない事である。しかし、キリスト教的内面主義が加はらない。ギリシヤ・ローマの個性を研究する場合、ブルタークほど明確な印象をわれわれに与へてくれるものが、外にあるだらうか。その点に於いて、プルタークは伝記学に於ける一つの頂上をなしてゐると云ふことが出来る。

  人生案内記

 われわれが内面的に転心しない前の個性の可能性は、おそらく、プルタークのものした英雄範躊を全く出ないものであらう。即ち、我執と、自己防衛と、名誉心と、多少の譲歩と、他律的節制と、肉体的訓練は、ギリシヤ・ローマの英雄を作った。そこには、何処となしに小乗的個性の喘ぎがうかがはれる。しかし、この個性の喘ぎこそ、おそらく最も人間的なものであらう。
 こんなに考へてくると、プルタークの『英雄伝』を読む事は、一種の自己批判のために読むやうなものである。個性としての可能性に、大小の差こそあれ、プルタークの描いてゐる英雄の、生理的、心理的、また道徳的の活動は、総て自分の裡に眠ってゐるやうに思はれる。英雄の成功は、我々の成功であり、英雄の失敗は我々の失敗であるやうに考へられる。即ち、英雄伝は、自己の伝記の拡大したものと考へることが出来る。この意味に於いて、英雄伝は、完全な人生案内記として絶好の物である。私が、百の倫理学の書物より、一冊の『新約聖書』が価値あると思ふのは、それがキリストの伝記を記載してゐるからだと思ふ。同様に、プルタークの『英雄伝』の如きは、宗教を無視する者にとっても、完全な人生教程であることを否むことが出来ぬ。日本の文部省の編纂してゐるやうな断片的な修身書では、決して優れた個性を造り出すことは出来ない。纏った人間を造らうとすれば、どうしても纏った伝記を青少年に読ます必要がある。唯物史観の夢から醒めかけて来た日本の読者層は、もう一度伝記学から出直す必要がある。

我執と、自己防衛と、名誉心と、多少の譲歩と、他律的節制と、肉体的訓練は、ギリシヤ・ローマの英雄を作った。そこには、何処となしに小乗的個性の喘ぎがうかがはれる。しかし、この個性の喘ぎこそ、おそらく最も人間的なものであらう。
 こんなに考へてくると、プルタークの『英雄伝』を読む事は、一種の自己批判のために読むやうなものである。個性としての可能性に、大小の差こそあれ、プルタークの描いてゐる英雄の、生理的、心理的、また道徳的の活動は、総て自分の裡に眠ってゐるやうに思はれる。英雄の成功は、我々の成功であり、英雄の失敗は我々の失敗であるやうに考へられる。即ち、英雄伝は、自己の伝記の拡大したものと考へることが出来る。この意味に於いて、英雄伝は、完全な人生案内記として絶好の物である。私が、百の倫理学の書物より、一冊の『新約聖書』が価値あると思ふのは、それがキリストの伝記を記載してゐるからだと思ふ。同様に、プルタークの『英雄伝』の如きは、宗教を無視する者にとっても、完全な人生教程であることを否むことが出来ぬ。日本の文部省の編纂してゐるやうな断片的な修身書では、決して優れた個性を造り出すことは出来ない。纏った人間を造らうとすれば、どうしても纏った伝記を青少年に読ます必要がある。唯物史観の夢から醒めかけて来た日本の読者層は、もう一度伝記学から出直す必要がある。