黎明23 海を故郷として

  海を故郷として

 海はすべての動物の故郷である。ハーバード大学の教授カノン博士は、人類をも水棲動物の巾に数へてゐる。人体は要するに八十パーセントまで水である。人間は水を盛った水ぶくろに過ぎず、血管を流れるものは、塩水に近いものである。かう希へると、海は生物の故郷であるといってもよい。
 地球の表面に、陸地の二倍の面積をもつものは海である。海の広いことを嘆いてはならない。かうしなければ地球の表面に生命が保てないのである。生命を保つためには、陸地を広くしても、その上に水をふり注がせる必要がある。そんなら、海を広くして、陸地をやや乾いた狭いところに造ったがよいではないか。結局、人類は海の世話にならなければ、一日も生命を保つことは出来ないのだ。
 さうだ、生物の故郷は海であり、人間の生活も海に依存してゐるのだ。
 私は、スイツランドやトランスバールの人々が、ひどく咽喉を腫らしてゐるのを見たことがある。理由を尋ねると、海草を食べないために、咽喉が腫れるのだといふ。人類は海草に近いところにその出生地を持ってゐたに違ひない。結局、海は吾々の故郷なのだ。
 地中海を征服したものは、古代世界の覇権を握った。大西洋の覇権を握ったものは、十九世紀を支配した。そして、太平洋を支配するものは、二十一世紀を支配するであらう。
 何故に、日本の領土の狭いことをかこつのだ。陸地に境界線はあっても、海に境界線はないではないか。満洲国の発展を万里の長城が喰ひ止めても、太平洋上には万里の長城は見当らない。海に金鉱のないことをかこち、海に畠の出来ないことを心配する必要はない。鯨の牧場を夢見、鮪、かじきの養殖を思ふものは、狭い陸地の養豚事業や、養蚕業の衰退を少しも悲しまない。海には象の数十倍大きい鯨が跳ねてゐるではないか。
 海に行かう! 海に行かう! 鯨のどてッ腹にくひついて、太平洋を北から南に馳けめぐらうではないか。
 暴風がこはい? 赤道の南北、各十度の閥は無風帯ではないか。そして北太平洋の暴風の進路は陸地に沿うて進行し、アリューシャン列島に、そしてまたアラスカに北進することを知ってゐる私は、太平洋の真中に、却ってわれわれの安息所のあることを知る。
 何、波がこはい? 波は表面にあるものであって、水面下四十尺のところには波はない筈だ。魚さへ住んでゐるものを、人間が住めないといふ筈はないではないか。かじきや鮪のやうな動物でさへ、波に対する適応性を知ってゐるのに、人間が波に適応し得ないなどとは不思議である。
 新しい海洋飛行場は、円錐形の棒の上に平面を設けようとしてゐる。円錐形の棒は、波動に対して安定性を持ってゐると考へられてゐるからである。
 波が恐ろしければ、円錐形の棒を船にして海に浮ぶがよい。たとへそんな方法をとらなくとも、海にもぐる工夫を知ればよい。その時、暴風はわれわれの頭上を過ぎ去って行くではないか。狭い窮屈な陸地を離れて、鮫や鱶(ふか)の如く海上に勇躍するがよい。
 ころ鮫の勇ましい姿を見よ! 鰭をはり、おびれを振って、静かに暖流に添うて遊戈(ゆうよく)する勇姿を見よ! 幾万の鰹はその後に従ひ、幾百の鴎は彼の偉容に辟易してゐるではないか。ころ鮫が海に安息所を発見するなら、何故日本男子に太平洋が安息所であり得ないのだ。
 伊予向灘の漁夫は、うたせ船で日本からメキシコまでも平気で往復する。五噸の帆掛船で、一水夫は太平洋を無造作に横切って行くではないか。海は故郷だ。われわれの祖先はそこから来たのだ。
 本平洋上に黒潮がある。黒潮日本民族の揺籃だ。黒潮を忘れることは日本民族を忘れることに等しい。黒潮こそ日本民族の生命線であり、民族始源の溌祥地である。
 黒潮を忘れるな、海洋の子等よ! 薫り高き南風に、黒潮が何を日本に運ぶかを知らねばならぬ。黒潮のわくところ、幾億万の鰯が頭を並べて日本の烏々に群がって来る。大国主命は鰐の頭を踏んで瑞穂国に渉って来たといふが、目本近海に鰐のゐない日はあっても、鰯の群のゐない日はない。鰯の集まるところに鯨が集まり、鯨の集まるところに限りなき魚群を見る。
 日本人よ! 米が食へないことを悲しむな。何時の日か鯨の乳を搾って飲む時の来るを楽しむがよい。
 ああ、私はもう蝸牛角上の争ひに飽いた。私は静かに逃れて鯨の乳を吸ひたい。海ならばこそ巨大な鯨ものびのびと生活が出来るのだ。巨大な民族は、陸上にのみ生活は出来ない。
 さうだ、海だ! 海だ! 海にのみわれわれは安息所を発見し、海にのみわれわれの故郷を求めることが出来る。海はわれわれを待ってゐる。日本の青年よ。海に帰らうではないか。
 もう一度、このはなさくや姫の故郷に帰らう。彼女の故郷は南の海にあった。ああ、海だ、海だ!