黎明24 神と永遠への思慕

  神と永遠への思慕

  ピラミッドの窓

 ピラミッドの北に而した斜面に一つの窓がある。その窓は永久に変らぬ北斗星に向って剛いてゐる。つまり、屍になったミイラが、永久に変らぬ北極光を見てゐたいといふ意味から、ミイラの為に特にその窓を開いたのである。人間は永遠を離れては安住の地を発見出来ない。それを現代人は、ただ物質と性慾の、ごく変り易いものに変へてしまはうとしてゐる。殊に、永遠或ひは無限の神について考へることは、馬鹿らしい愚かな事であるとして、それを侮辱する人がある。けれどその人でも、最後の瞬間が来ると急に目醒める。
 昭和四年の暮、私が、神戸で宗教講演をして出て来ると、一人の紳士が追っかけて来て、
「賀川さん、君に聞いて貰ひたいことがある。外でもないが、高畠素之君のことを知ってゐるか。あの高畠は死ぬ時一週間くらゐ続けて、涙を流して『聖書』を読み、大声で讃美歌を歌った。彼は死ぬ時になって急に神が恋しくなったのだ」
 と話してくれた。われわれも、高畠氏が日本に於けるマルクス学者の第一人者であったことを知ってゐる。彼は、マルクス資本論が今日のやうに読まれない時から『資本論』や『唯物史観』を翻訳した。その人が永遠に就いて考へる前に、マルクスの『唯物史観』を読めといはずに、自ら、永年棄ててあった『聖書』を開き、忘れて歌はなかった讃美歌を、涙を流して歌ったといふ。これは一体何を意味してゐるだらうか。
 福田徳三博士は、たしか大正九年一月の雑誌『解放』に宗教は無用だといふ論文を言いたことがあった。たしか題は『神よりの解放』だったと記憶してゐる。
 その博士も、死の床で、マタイ伝第五章を読んでくれと云って、弟子が読んでゐるうちに、安らかにこの世を去られたといふことである。人も知るやうに、福田博士は、日本ばかりでなく、フランス、独逸に於ける経済学界の名誉会員で、世界的の学者だった。その人が、宗教に対して否定的の気持を持ってゐるときもあったが、永遠に就いて考へなければならぬといふ瞬間が来ると、やはりマタイ伝第五章に帰ったのである。

  永遠は果して蹂躙し得るか?

 ロシアは昭和四年五月から十二月迄にキリスト教会を五百四十も破壊した。宗教は阿片だ、そんな馬鹿なものを信ずるのは迷信だ、といふ態度をとってゐる。しかし、果してそれが、永遠を考へるものにとって、いくらか効目があったらうか。教会組織がなくても、永遠への思慕は、鹿が谿川の水を喘ぎ慕ふ如くに、われわれの本性であるから、破壊出来るものではない。いくらわれわれが麦の芽を踏み躙っても、真直ぐに下から上に出て来る。踏みつけるほど、一本の茎であるものが、五つになり、十になり、二十になって上に伸びる。永遠への思慕、それは恰も値物の茎が太陽に向って伸び上る如く、人間の本能である。われわれは物質で満足し得ることは絶対にない。
 十九世紀に於いて、永遠と神につく思想を蹂躙しようとした社会科学者が相当にあった。英田の国のロバート・オーエン、フランスのオーグスト・コント等がさうであって、彼等は世界の注目をひいた。オーグスト・コントの弟子は今日マルクスとなり、レニンとなり、クロポトキンとなって宗教に反対してゐるが、才ーグスト・コント自身は、最初こそ宗敦に反対してゐたが、晩年になって、宗教に反対出来ない事を発見した。而も後にはカトリックの形式を模倣した宗教を作って礼拝した。彼はこれを人道教といった。しかしコントの系統を継いだものが今目の無神諭的社会科学者となった。コント自らが途中で悔い改めても、その後を継いだ人たちは、悔改めぬ前のコントの思想を継承した。英国もさうである。ロバート・オーエンが一八二〇年代から社会主義の運動をした。彼は理屈一点張り、唯理論一点張りで通した。が、その運動は成功しなかった。彼が宗教反対の演説会を開くと、五千人、一万人の人が彼の演説を聞きに来た。だからオーエンは宗教反対の運動が必ず成功すると思ってゐた。そしてこの有様では、六ヶ月そこいらで、宗教も無用になり、機械文明のみが英国を蔽ってしまふと思ってゐた。しかし、それは瞬く間に敗北に帰した。オーエンは年老いてから、自分の宗教反対は間違ってゐた、自分の魂の中にはどうしても神が必要であると云って。もう一唆方向転換して神に帰った。さうして彼が貧民階級に奉仕しようとした協同組合運動は生長した。
 彼の行った社会運動は英国に残ってゐるが、英国で彼が考へた無神論、宗教無用論は、彼自らが悔改めたことによって、その後を継ぐものが多くは出なかった。
 婦人参政権の先駆者パンカースト女史は、その出発点に於いては宗教に反対した。あの賢い女が宗教の無用を説いた。が、彼女が死ぬ時は有神論者になってゐた。かういふ例は幾らもある。その最も著しい者は、パピニーであった。パピニーはイタリーの無政府主義者であった。彼はあらゆる努力を払って神と宗教に反対し。寺院に反対した。だが、社会哲学を研究し、社会運動に就いて内省をしてゐるうちに、神を中心にしない、そして愛の社会性に就いて考へない運動は人類を祝福しないことを知って、断然『山上の垂訓』にたち帰った。

  永遠性なき偶像の退却

 神といっても永遠性を持たない神がある。日本にも神と呼ばれるものが相当にあるから、神にはっきりした意識をつける必要がある。で、私は永遠への思慕といひたい。ところが、近代の人はその永遠を破壊しようとする。「そんな馬鹿らしいことはない。われわれは嘘のやうな話はききたくない。われわれは有限で結構だ。いや、有限なんかいはなくても、この瞬間でいい。瞬間瞬間に、本能を満足させればいい」といふ人がある。しかし、一休いつの時代に、さうした反宗教の運動が成功したか、人間は絶対に物質だけでは満足出来ない。歴史を見ても、それが成功したためしがなく、地理的に云っても、あらゆる民族が宗教を持ってゐる。何故ならば、宗教は人間が発明したものでなく、われわれの生命は人間の発明によって出来たものではない。宗教は生命とともに牛えたものである。われわれは生きてゐる間は、永久に無限への憧憬、神への憧れを持たされてゐる。
 曾て進化論の創始者チャールス・ダーウィンが、宗教を持たない民族があることを報告した。ダーウィンはオックスフォードの二年生をやめて、ビーグルといふ海軍探検隊の船に乗り、南アフリカのテル・デル・フューゴ鳥に行った。そこには動物と人間の間子(あいのこ)に近い種族がゐた。彼は尾を持ってゐた。それで彼等には恐らく宗教がないだらうと彼は探検記の中に書いてゐる。彼はそのやうに或る民族に宗教があって、或る民族にはないと思ってゐた。しかし何ぞ知らん、後に宣教師が行ってみると、最も進んだ形の、目に見えない宗教を彼等が信じてゐたことがわかった。この事を知ったチャールス・ダーウィンは、宣教師に二百円の献金をして、謝罪状を書いたといふことである。
 宗教は、人間の生命とともに、われわれの生活に生えてゐるものである。ロシアが五百四十の教会堂をぶち壊しても、そんな事でロシア全体の生命が潰せる訳がない。宗教は生えて来る。宗教が暴圧されると迷信が出て来る。神を否定しても宗教はある。一例を挙げれば、仏教の如きは、出発点に於いて、珍しく神を持たなかった。仏法だから、非人格的な法を認めるが、宇宙に神のあることを前提としなかった。それでも日本にきた或る不滅性を持つ宗教は永遠に残る。人格的な神を信じないまでも、無限へと不滅に対する憧れは否定出来ない。だから、神を否定しても、不滅に就いての宗教は残る。皮肉にも、或る人は、ロシアのソヴィエットは仏教に似てゐる、神は認めないが信仰を持ってゐる、あれは、唯物的マホメット教だといった。最近ロシアではレニンが御神体のやうに祀られてゐる。私はレニンが宗教化されることを恐れるものであるが、生命が絶滅しない間は宗教は永久に残る。永遠への憧憬――単に物質に満足せず、より自由になり、より自在性を待ちたいといふ憧憬、宗教のあらゆる変化に接し霊に接したいといふ気持は、人閣の生命がある間否定出来ない。が、それを忘れて性慾と物質に走る人がある。或る人は物質が不滅だと思ふ。しかし、今日の科学では、物質が不滅でないことが判って来た。

  物質の崩壊

 凡ての物質は電気で出来てゐるから、忽ち崩壊する。われわれはこの空間を占める物の幅は絶対だと思ふが、物のもつ幅は絶対ではない。それは速力をつけると収縮する。だから物は決して絶対ではない。それを間違へて、唯物論だけで人を導かうとするのは、大きな錯覚を与へるものである。地震がない範囲内に於いては安心してゐるが、われわれは天文学によって地球の運行が一秒間に十九哩走ってゐることを知ってゐる。そんな事は嘘だらうと聞き直すほど、われわれは錯覚を持ってゐる。宇宙は大きく、宇宙の目的は大きいから、われわれのやうなものには理解出来ない。永遠といっても、その永遠は見当がつかない。
 仮に、人間をこの大宇宙に比べるなら、人間を蟻と比べることが出来る。人間の身体を蟻が這ひ上る場合に、蟻は頭まで来て、口を噴火口と見、眼を結氷した池と見、髪の毛の中に迷ひ込んで密林に来たと、云ふであらう。この蟻は唯物論者である。蟻は詩や小説を知らない。蟻は物のみを見るだらう。われわれが宇宙を見るのもこれに似てゐて、あまり大きいから見当がつかない。その奥に不滅の法があり、不滅の力があり、不滅の目的があることに気附かない。蟻が人間を理解しないと同様に、われわれは近眼的である。しかし、われわれは物だけでは満足出来ない。

  ギリシヤ宗教推移の跡

 今日の唯物論は、紀元前四世紀のデモクリトスの哲学を見るとわかるが、その当時の唯物論とあまり変ってゐない。古代ギリシヤには無限の神をキリストがはっきり地上に示すまで、日本の神道とよく似た宗教があった。そして永遠への生命を発見するまで、ギリシヤは宗教から宗教へ四度も変った。ジュースの神、アポロの神、オルヒィアス、デオニソスといふ風に変ったが、最後にはキリストへの信仰に帰った。永遠の愛、永遠の救ひ、永遠の人格を保証する永遠の宗教が、キリストによって示されたのに、古代ギリシヤの宗教的動揺は止った。その後ギリシヤはい九世紀間変ってゐない。キリストを発見するまで、ソクラテスの運動、デモクリトスの思想を持ってゐたのである。これは今日考へると、驚くべきである、けれどデモクリトスでは人間の良心が満足しない。良心が人間の失敗を憶えてゐる。幾ら忘れようとしても。記憶が承知しない。そこで、外部を見てゐた物力が内側に向いてきた。即ち、聖人ソクラテスの良心運動が起った。しかし良心運動だけでも満足出来ない。既に作った罪や失敗や姦通は、それを償ふ方法がない。そこでジュースやア
ポロの信仰を持ったが、それも駄目だった。今度はオルフィアスの信仰に来て山の上で夜通し祈ったけれど、間に合はなかった。それからデオユソスの信仰に入って、赤ん坊のやうに生れ変りたい気持になったが、生れ変りたいばかりでは駄目だった。再生宗教を教へられるまで、彼等は満足しなかった。
 そこヘキリストの尊い無限愛の運動が起った。人間の中に無限が覗き込んだ為に、ギリシヤ人は。ソクラテスデモクリトスを忘れて、キリストに全部を捧げた。近代になって或る人は、ギリシヤ主義の勝利、ヘブライ主義の敗北を説くが、人間の実験室は歴史である。人類の試験管は歴史である。歴史に於いては、デモクリトスソクラテスの哲学も成功しなかった。神と永遠がわれわれの心に覗き込んで来るまでは、人間の煩悶は止らなかった。もし人間が神を蹴飛ばすなら、二十年や三十年は辛抱もしようが、長い間は辛抱出来ない。必ず煩悶が起って来る。

  神と永遠の潜伏

 ローマでは、約二十人の王が、神の愛を地上に現さうといふ運動に反対して、キリスト教信者を獅子に食はせたり、松明のやうに燃やしたり、十字架にかけたり、酷い暴虐をして、三百年間迫害を継続した。だが、武力や暴力では絶対の神は蹂躙出来なかった。彼等は地下に、カタコムと云って、四百哩のトンネルを掘り、神に憧れて死んだ約四百万の屍を埋めた。彼等は教会も持たず、礼拝すべき場所もなかったので、その地下の墓場に行って、もぐらもちのやうに屍の傍で祈ったのであった。ピラミッドの窓は北斗星に向って開いてゐたが、彼等はカタコムの中で祈り続けた。そして、三一三年に、キリスト教の厳禁が雪の如くに解かれ、クリスチャンの解放が叫ばれた。もしもロシアが三百年も迫害を続ければ、クリスチャンは二百年間残るわけである。徳川幕府は二百五十年間クリスチャンを迫害したが、明治二年に禁制が解かれたとき、二万五千人のクリスチャンが忽ち長崎に現れた。われわれは二百五十年間の潜勢力を持ってゐた。だから、神と永見への思慕は生命とともに生えてゐると私はいふ。単なる唯物史観ではない。物で生命は出来てゐない。われわれは、神への憧れを持たされて生れたのである。
 赤ん坊は眼を持って生れた。そして赤ん坊の眼は光の方へ向く。われわれの霊魂は神を見なければならぬやうに作られてゐる。それを圧迫するから迷信が起り、種々雑多な形式が現れて来る。しかしわれわれの霊魂は承知しない。歴史を見ても、純粋な良心宗教の続いたときはない。『旧約聖言』から『新約聖書』への二千年の歴史を見ても、ユダヤ人で真の宗教を信じてゐた者は、僅かであった。
 殊にイスラエル民族が三百年間、一つの独立国を建ててゐた間、真剣に宗教を信じてゐたのは四人か五人で、その他は、バールやアシタビアの神を祀って、無限の宗教はいつも負けてゐた。バールやアシタビアは一つの宗教的迷信であった。バールはパンを意味し、アシタビアは色慾を意味してゐる。だから礼拝のときは、いつも無限の神の反対側に立ってゐた。今でもこの三つが真の宗教に反対してゐる。ロシアの唯物主義はバールの宗教を意味し、アメリカのエロチシズムはアシタビア礼拝と等しい。そしてこのパンと色慾の礼拝は、いつも霊魂の無限への憧れを蹂躙する。だが、われわれは神を発見するまでそれに満足出来ない。

  不変の道徳と不変の良心

 或る人は、良心は変る、不滅ではないといふ。そして道徳可変論を説く。時によると、道徳も不便だ、人を殺すのは当りまへだと主張する。フランスの、バフーフは、資本家が労働者から、盗みとるなら労働者も泥棒する権利があるといった。神戸でストライキがあった時、Iといふ青年が私の処に来た。そしていふには「われわれは負けた。実に惨めだ。きゃつ等は搾取を続けてゐる。きゃつ等が掠奪する権利があるならわれわれも盗む権利がある」といった。
 それから労働組合の神戸聯合会では帽子がなくなる、書物がなくなる、
オーヴァがなくなるといふ訳で、盗む権利が流行した。そしてあまりみんなが盗むので、しまひに誰も寄りつかなくたった。われわれが可変道徳を考へると、結局そこまで堕ちるのである。われわれは変化の中に変らぬものがあることを見なければならぬ。本を落すことは上から下に変ることであるが、引力の法則は変らない。
 人間の道徳も変るものと変らないものとある。変らないものは生命である。生命を尊重しない道徳はない。戦争に行くと討死が尊重されるではないかと人はいふかも知れない。しかし、個人は死んでも民族の生命を尊重する。民族のために個人の生命を軽んずるだけのことである。また嘘をいふ場合もある。妻が身投げしようとする時には。嘘をいっても止める。その場合にも生命の尊重がある。
 また人を愛して行かうといふ場合にも、変って行くものの中に変らぬものがある。泥坊でも自分の子供は可愛い。愛は時と場所によって違ふ。しかし愛は無くなることはない。妻が可愛くなければ、娼妓が可愛い。何処かに愛は現れてゐる。
 生蕃は、姦通するな、嘘をつくな、盗むな、貪るな、殺すな、といふ約束を守ってゐる。だが、日本人は毎年何万人かが姦通で訴へられてゐる。日本人が生蕃の間に行ってから姦通があるやうになったといふことである。台湾の生蕃には泥坊が殆んどなかった。日本人が行ってから泥坊が始まったといふことである。彼等の間では畑の傍に小舎を作って穀物を入れて置くが、盗む人はゐなかったといはれてゐる。
 生蕃は。十以上の数を知らない。二十歳くらゐの人に、年は幾つかと尋ねると、十といふ。四十くらゐの人も十と答へる。彼らには十が一番上である。彼等には十以上の数はないのである。
 タイヤール人を初め、八種類くらゐの野蛮人の大部分が、殺すな、姦通するな、博突うつな、盗むな、嘘をつくなといふことを完全に守ってゐる。殺すなといふことは生命の尊重を意味し、姦通するなは、生命の生長に混乱を起さぬこと、賭博するなは、人の財産を乱さぬこと、盗むなは、生命に必要な衣食住を荒さぬこと、嘘をつくなは、真理を乱さぬことを意味する。(1)生命、(2)真理、(3)愛に関しては、人間は大体に於いて変って行かない。変るのは生長する時である。野蛮人と文明人との違ひはそこにある。可変は生長する為の可変である。生命と真理と愛の生長の軸に於いては変らない。だから、われわれは良心は変るといふことにだまされてはならない。「なあに、一夫一婦なんて変へたらいい。好きな女があれば愛してもいい。友愛結婚も自由結婚もいいぢゃないか。キリスト教のやうにいって居れば窮屈で仕方がない」といふ人があるが、これは間違ってゐる。
 私が、キリスト・イエスの宗教を信ずる理由は、全く神と永遠に属ける思想が不変であるためである。この思想がヨーロッパに入って以来、ヨーロッパの宗教思想は変ってゐない。男女の愛に於いては変ってゐない。ここで、何故私か愛の宗教、キリストの信仰に入ったかを告白しなければならない。

  私の懺悔

 私は何故日本の宗教があるのに西洋から来た宗教を信じたか? 私の父は阿波の人であった。私の家は阿波の板野郡の十九ケ村の大庄屋だった。父の正妻には子がなかった。私は妾の子で、私の母は芸者だった。私は妾から貰はれて来て、父の正妻の子になった。戸籍の表面はきれいで、私は公民権を持っているが、私は小さい時から日蔭者として育った。私は母の事を聞かされると胸の中が疼いた。私は義理の母から、お前の母は芸者だよといはれた。
 人間は不思議なもので、自分の子供に自分の長所も短所も現れる。不思議に、人間は子、孫、曾孫の系統に対して、魂のトンネルを堀ってゐる。自分の魂と子の魂に聯絡がある。私は母の系図を知らない。私はさういふ家庭に育ったから、純潔に就いては特別に感じた。私には、父の放蕩と母の芸者だったことが遺伝してゐるだらう。だから自分もその道に行くだらうと思ってゐた。十一歳の時、禅宗の寺に毎日通はされて、『論語』と『孟子』の教へを聞かされた。そして聖人になれ、君子になれと教へられた。が、私の血の中には君子の血筋はない。これ等の書物は実に厭な感じを私に与へた。家は淋しいし、蔵の中には文化文政時代の淫本が沢山ある。さういふ家庭にあって、神聖な教育を受けなかった、私には『論語』と『孟子』の教へは役に立たなかった。これは駄目だと思った。私の兄は十六の時から妾狂ひを始めた。兄は七人の妾を持って多淫な生活をしてゐた。私は中学へ行くのに芸者の家から通った。兄は放蕩だし、私も芸者の家から学校へ行ってゐたくらゐだから、私もまた沈没するだらうと思ってゐた。芸者の家には仏壇もあり、神棚もあって、朝々塩をまき、盆には美しく飾るが、さういふことは別に魂に関係がなかった。私の魂はいつも泣いてゐた。孔子は何千年か前に出たが、私には関係がないと思ってゐた。その時に『聖書』が私の手に入った。『凡て労する者、重荷を負ふ者われわれに来れ、われ、汝らを休ません』とか、『健かなる者は医者を要せず。ただ病める者これを要す』とか記されてゐた。私は医者の救を要求してゐた。キリストは罪人の医者だった。神の力をもって魂の中に傷いた者を癒してくれた。『女を見て心の中に色情を起すものは姦通したのと同じだ』と『聖書』に書かれてゐた。自分も罪人だ、どうしたらけがれざる者になれるかと考へた。日本の学校生活をどうしたらきよめ得るか、今も私はそれを考へてゐる。     ヽ
 私に英語を勉強することを勧めた兄は、耶蘇教だけにはなるなよと注意した。そして兄はたうとう芸者を家に入れた。イプセンの『幽霊』といふ峨曲を読むと、父が妻を棄て、女中と一緒になった。息子もさういう道を辿って、罪悪が幽霊のやうになって呪ってゐることが書いてあるが、私も、罪悪の幽霊が自分を悩ましてゐる。いつになったら私は救はれるかと思ってゐた。
 ところが、キリストの宗教は、何と高く、また広いことだらう。
私は『聖書』を読んで。さうだ、野の百合のやうに天真爛漫にかへらなければならないと思った。私を生かしてくれてゐる生命の神を私は信じ、草木の花を生かし給ふ神を私は信じようと決心した。それから毎晩私は床の中に這入ってお祈りした。「私にきよい生活を送らして下さい。父や兄貴の道を踏ませないやうにして下さい。どうか日本を娼妓のない国にして下さい」と祈った。
 今でもその時蒲団の中でこっそり祈った祈を私は忘れてはゐない。そしてこの祈が私の一生を支配してゐる。日本の多くの青年にこれと同じ煩悶があるのを私は知ってゐる。『聖書』に出てゐるこの純潔さを忘れて何の人間であらう! 私はこの宗教を一時だって忘れることは出来ない。私がキリスト教になったといへば家を追ひ出されるから、私は黙って蒲団の中でお祈を続けた。明治三十七年一月三十一日に、私は西洋人の先生の処にキリスト教の本を借りに行った。
 その先生は
「賀川さん、あなた神があると思い立すか?」ときいた。
「はい、あると思います」
「祈ってゐますか?」
「祈ってゐます」
「何処で祈ってゐますか?」
「蒲団の中で祈ってゐます]
「ではあなたはキリストを信じてゐるんですね」
「はい、信じてゐます」
「では洗礼を受けませんか?」
「洗礼を受けると家を追ひ出されます」
「卑怯ですね」
「卑怯? それなら私は洗礼を受けます」
 それから私は洗礼を受けた。父も祖父も歴代放蕩であった私の家は、四代の間妾の子が家を継いだが、私の代になって初めて消えたのである。これはキリスト・イエスの力である。無限の神を地上に引き下して、神のやうに地上を歩いた、けがれのないイエス・キリストの血によって守られたのである。
  物質革命と精神革命

 いくら物質だけで富んでも物質の富ほどつまらないものはない。百万円持つてゐる金持でも首くくって死ぬ。アメリカあたりの百万長者の場合でも、富は一朝にして亡びる。そして性に対する満足はない。また性が満足しても良心が満足しない。われわれは生命につき、愛につき、真理について思想の安定が出来るまで魂は安定しない。精神の奥から解放されなければ、日本の改造運動は出来ない。
 ローマは革命を四度しか、グラッカスの革命、スピリアン、スラ・マリアスの革命があった。だが、暴力革命をやらず、精神革命をやったキリストは、良心の運動として千九百年問不滅の真理を示してゐる。良心に関係しない外なるものは変る。良心の中に不滅なる神が彫り附けたものだけが勝利を得る。独逸のコーエンがいった。いろんな社会主義があり、社会運動もあらうが、神を中心としないものは駄目だと。あらゆる性質の運動も、絶対無限をあらはす神がなければ駄目である。何々といふ人間のみを基礎にする修養団も駄目である。不滅なるものは絶対無限の神を基礎にしたものでなければならぬ。

  科学としての宗教

 宗教は却って退歩する傾向かあるといふ人があるが、それは間違っててゐる。
 人間に関する学問でも進むものと遅れるものとある。電気学が一番早く進歩して居り、土に関する学問はまだ七十年くらゐしか経ってゐない。宗教の学問は最近二三十年のことで、まだよく発達しない。しかし宗教の力は絶大である。それがわれわれに関係があることを学問の上に発揮するには、大分かかるが、それは電気の学問ほど大事だといふ人がある。電気の発明、テレヴィジョンの発明も不思議だが、人間の脳髄の仕掛の方がまだ不思議である。人が物をいへば耳にきこえる。これほど不思議な事はない。この力を更に進める必要がある。
 この精神力を人間は十分応用してゐない。われわれは或る処で止まってゐる。昔は、雷が嗚れば桑原桑原といってゐたのであるが、今は雷を応用してわれわれの部屋に持って来てゐる。それだのに、人間の精神力を馬鹿にする人がゐる。「生命? 生命なんてものは、水索と窒素と、硫黄と何々で出来てゐるものだ」といってしまふ。しかし、進めば進むほど、人間の精神力を九十二の元素に還元するのみでなく、宇宙に於ける精神力を活躍させ、テレヴィジョン以上の精神力をもつ時が来るであらう。
 その時こそ良心宗教が確立するであらう。ロシアも支那も貧乏人を愛するために、良心を破壊する必要がなくなるであらう。それで、われわれはもう少し宇宙全体に溢れてゐる宇宙精神の力を握りたいと思ふあこがれ、それに就いて瞑想し、その力を認めるやうに力めなければならぬ。

  世界苦に打ち勝つ力

 宗教といふものが解らぬ人があっても、宗教の事実は否定出来ない。その力は認め得る。宗教は他の凡てでなくとも、少くとも一つの力である。それは物を作り出す力、救はんとする力、悪に打ち勝つ力である。独逸のルドルフ・オイケンは、「哲学的に見て何故世界に悪があるか、私はその現出を知らない。然し悪に勝つ力、それが宗教であることを知ってゐる」と云った。
 福岡にある九州大学の病院に内山君といふ人がゐる。内山君は天然痘にかかってから、消毒薬の風呂の中に、かれこれ十四年間浸って、亀のやうな生活を送ってゐる。彼はその生活があまり苦しいので、舌を噛みきって死なうと思ったことが?々あった。
 数年前にキリスト教の伝道師から『聖書』を貰って、ロマ書五章三節を読んでから、神の愛に臨んでどんな患難も恐ろしくなくなった。それからその人は全く生れ変り、消毒薬の中で亀のやうな生活をしてゐるが、嬉しくてたまらないといってゐる。その頃二十銭の『聖書』を買って天井から糸で吊り上げ、手を拭いては『聖書』を読んだ。が、すぐぼろぼろになる。われわれから見れば呪はしい生活であるが、その劇薬に浸ってゐる人は却って喜んでゐて、見舞ひに行く人を逆に慰めた。
 神の愛を呪ふ人があり、神の愛を嘘だといふ人があると、手を叩いて喜ぶ人がある。しかし内山君は、神は愛だ、自分は呼吸してゐる、眼が見える、まだ耳が聞える、生きてゐる、神は愛だといって喜んでゐる。それを宗教といふ。無限の神の愛が内側に覗き込むと、苦しい生活が喜びに変る。個人のみならず、社会がやはりさうである。
 四十年前、岡山に医学校の生徒がゐた。石井十次といって、二人の乞食に感じて、大きな孤児院を建てた人である。後に彼は神の愛が自分に宿ってゐる事を信じ、千百余人の孤児を世話するやうになった。一人の人間が神と永遠を孕むと、孤児を救ふ力が出て来る。
 私はここで岩谷小梅の話をしなければならない。岩谷小梅は、木戸孝允の友人中川柳太郎の妾をしてゐる芸者であった。が、開国主義の中川がキリスト教を輸入した時、彼女は真先にキリスト教を信じた。小梅は中川の怒りに触れて仕送りを断たれたが、彼女はそれから神戸女学院に学んで、そこを卒業した。日本の浄瑠璃界の第一人者豊竹呂昇をキリストに導いたのはこの小梅だった。
 この小梅の信仰伝言は花柳界の女を次から次に救って行った。この小梅に感化された者の一人に安部磯雄氏がある。安部氏自身がこのことを告白してゐられる。安部氏が二十歳の時岡山に伝道に行き、後に社民党の党首となっても、愛と正義の運動を棄てないのは、一部分は小梅の感化のためであると告白してゐられる。神と永遠が覗き込むと、日本の無産者は救はれる。石井十次は、孤児ために食べさせるものがなくなると、毎朝赤毛布を被って山に祈をしに行った。その姿を見るとすぐ岩谷小梅は街へ行って金を集めて来たといふことである。かうして石井十次の事業は小梅から偉大なる後援をうけてゐた。
 私がいふ神と永遠の運動は理屈ではない。それは力である。地上に於ける最も虐げられた醜い罪人をも、憐れな無産者をも救ふ力である。大工イエスは神の子として地上を歩いた。そして神が世界を創ったのだから、どんな醜いものも神のもの、それを救はなければならぬといふ意識を起した。神の救に入らなければ真の生活はない。宇宙意識、更に神の意識、神の子の意識、絶対意識を持たなければ、決して真の社会改造はあり得ない。この意識が常識になると国はよくなる。

  社会改造の原動力

 六十年前デンマークは世界の貧乏国であった。それが今日最も富める国になったのは、その根本に、神の永遠といふ意識がグルンドウェッヒといふ一青年の精神から流れ出たからであった。そして、土を愛し、国を愛する運動がデンマークを富める国にした。
 日本の現状は農村も都会もなげき、失業者が巷に溢れてゐる。その反面に十五億円の酒を飲み、十億円の放蕩をし、到る処に不道徳が行はれ、一部の特権階級が貪り、蹂躙された者は自暴になり、神を忘れた人間はさ迷ひ歩き、地獄に行く人の如く煩悶して行くべき道を知らない。この時に、まづわれわれは、神と永遠をはっきり体験し、キリストのやうに永遠への道を行かなければならない。さうしなければ。真の日本の行くべき道は発見出来ない。教育運動も経済運動も速かに神と永遠への思路を基礎としなければならない。

  フランス流とイギリス流

 フランスで革命が起る都度、英国は宗教運動によって救はれて来た。ウェスレーや、キングスレーや、フレデリック・モーリス。或ひはブース大将の神と永遠への運動が英国を救ったのである。フランスはその間に革命を三度した。ロシアの革命は一八七一年のフ
ランス革命の模倣であった。日本は何れの道を選ぶべきか? 革命か、神と永遠の運動か? 物質革命か、精神革命か? われわれは内側から永遠への道を歩まなければならぬ。その責任は若き青年の上に懸ってゐる。青年は気が早いからぶち壊したがるが、永遠への道を決定する方法がある。ウェスレーが十六人の同志と一緒に、迫害、圧迫に耐へた如く、われわれの中にも十六人の者はゐないか?
 私は日本の将来を思ふから、消費組合運動、無産者解放運動、共済組合運動、あらゆる互助組合の運動をして、それを基礎として日本の精神運動を確立しなければならないと考へてゐる。いまだに無産政党は合同出来ないでゐる。神のやうな太腹な精神がないからである。西洋ではキリストの精神的基礎があるから、これが出来る。
 日本にはさういふ精神的基礎がないから、小学校へ行けば先生と生徒との間に距離があり、役所へ行けば。上役と下役の間に冷たい感じがある。これでは日本に不景気が来るのはあたりまへである。われわれはまづ自分の内を省み、神の前に恥しくない生活を送ってゐるか否かを考へる必要がある。そして神の前に恥しくないやうにわれわれの行くべき道を決定しなければならない。
 私は日本の時代相に鑑みて、青年の奮起を促したい。独逸がフランスのナポレオンに蹂躙されたときに、フリドリッヒ・フォン・フィヒテがが『独逸の青年に訴へる』といふパンフレットを出した。日本に神を孕む精神がある間、日本は不景気を突破し得る。英国の強みは無産運動の基調として精神運巡があることである。英国は百七十万の失業者を持ってゐても、その国策は揺がない。神を基礎にする民族は永遠への道を歩む。日本に於ける社会改造も、神と永遠の道を基礎として進んで行かねばならない。勿論われわれは自己の貪慾を弁護する為に、精神主義に隠れたり、自己の地位を守る為に、修養を用ひてはならぬ。大胆に神の前に懺悔し、赤裸々になって自らを社会の前に投げ出し、日本を神と永遠の道に送り出さなければならない。