海豹の17 哀愁の波

  哀愁の波

 大五郎の家を去った勇は、すぐその足で卯之助の住んでゐる裏長屋を尋ねた。そこは五軒続きの汚い長屋であった。たゞ八月の太陽だけは、表に輝いて、路次で遊んでゐる小さい裸体ン坊の子供等の上を容赦なく照らしつけてゐた。
『お父っあん、居るか?』
 小さい盥(たらい)に水を入れて。水鉄砲遊びをしてゐた卯之助の一番末っ子の万吉に、勇はさう尋ねた。彼は、むき出しの皮膚で、青ばなを拭き乍ら頭を左右に振った。
『お母あん居るか?』
 勇は続けてさう尋ねたか。子供はまた頭を左右に振った。
『姉ちゃんも兄ちゃんも学校やなア』
 さうまた続けて尋ねたが、子供は、
『あっち、あそび、いった!』
 と可愛い答をした。それで勇は、八月の休暇で、子供等が遊びに行ってゐることを思出した。卯之助の女房は、おたきといって五十に近い女であったが、毎日鰯の行商に行って夫の家計を助けてゐた。それで彼女の居らぬことは、勇も初めから知ってゐた。卯之助の居らないことも、先刻別れたばかりであったから、百も承知の上であった。その空家へどうして勇は尋ねてきたか?
 勇の実母とよは、勇が縁付くとともに、彼の姉が嫁いでゐる福山の下駄屋佐藤邦次郎といふ者を頼って、御手洗を引上げて行った。それで彼は、自分の里に帰るといっても、帰る家はなかった。強ひて帰れば、その福山の佐藤の家に帰らなければならなかった。しかし、薄っぺらな踏減らした下駄一足と、紺の筒っぽ一枚で飛出して来た彼には、福山へ行くだけの旅費さへなかった。その上大五郎に離縁されても、御手洗には相当の執着を持ってゐた。彼は長く指導してきた青年団を容易に見限ることは出来なかった。いや、それにも増して離れ難かったのは、卯之助と卯之助の一族であった。卯之助は、彼が生れる前から父の家に奉公してゐて、父以上に彼を愛しまた彼に仕へてくれた。生れてその日、産湯を使はしてくれたのは、彼の女房のおたきであったと、卯之助がいつも自慢話に、彼に繰返すことを嬉しく思ってゐた。彼に物心がついてからも、卯之助が曾て彼に向ってにがい顔をしたことがなかった。どんなに彼に小遣銭が無くとも、盆と正月には必ず五十銭銀貨を恵んでくれたことも、彼は覚えてゐる。
『わしはなア、勇さんとだったら、地獄まででも一緒に行くんぢゃ』
 さう酒の上でよく繰返してゐることを勇は覚えてゐる。然ればこそ、他処から沢山の申込みがあったに拘らず、見す見す損をすることを知って、卯之助は勇について大五郎の家の船頭に雇はれて行ったのであった。それで、母のおとよが福山に行く時も、わざわざ卯之助の家に挨拶に行き、
『――まだ若いですから間違ひないやうによろしうお願ひします。大五郎さんはあんなにいうてくれても、おみつつぁんは、ずゐぶんむづかしい人ですから、いつ何時、またといふことも起らんとも限りませんから、どうぞまあ、あなたが見てやって下さいませ』
 さういって呉々も頼んで行った位であった。その家へ今、勇は帰ってきた。彼は、閉ってゐた三尺の戸を開いて、蝿の多い如何にも穢らしい畳の上に、どっかと仰向きになって倒れた。そして静かに、変転多き世相の変りゆく姿と、その中を泳いで行く自分の運命を考へながら、紺の単衣で両眼の涙を拭いた。彼は今度の事件を、彼に対するこの上なき侮辱だと受取った。彼は必ずこれを復讐してみせると決意した。
『――現代は正しい者が蹂躙せられて、曲がれるもの、卑しき者が、跋扈跳梁してゐるのだ、俺は必ず、蹂躙せられたる弱者貧民のために、驕れる者、高ぶれる者に対して反逆してみせてやる! 俺は日本全国三百万の漁民の困窮を必ず救ってやる。俺は、備後灘で溺死した父の遺言を守って、雄々しく海上に勇躍する。俺は福山なんかに帰らない。すぐ捕鯨船か、鮪釣りの船に雇はれて、遠洋漁業に出掛けよう。俺は太平洋の王様になってやるんだ。俺はもう泣かない、太平洋の水は、みな俺の涙だ。俺は俺の涙のうちに、凡ての海
の生物を愛し労(いたは)り、すべての魚に俺の命を吹込んでやる――』
 若い魂は、止めどもない哀愁の波に揺られて、自分の運命のはかなさに、尽きざる涙は袂を絞るほど湧きあふれた。泣かないと思ったけれども、昂奮した魂には、悲劇の泉を止める力はなかった。八月の太陽は外に輝いてゐたが、魂の中は暗闇であった。