2015-02-15から1日間の記事一覧

海豹の20 海を忘れた日本人

海を忘れた日本人 鞆を出てから船は、真直に南に下った。妙なコースをとると思ってボーイに訊いてみると、山陽道を伝ふと客ぶ少いから高松に寄るのだといふ、のん気な船もあったものだと諦めたが、高松へ船が着いた時は、もう波止場のアーク・ライトに灯が入…

海豹の19 海豹か? 野良犬か?

海豹か? 野良犬か? その翌日であった。――勇が、田辺旅館の若主人から二十円の金と、鳥打帽子を借り受け、紀州に出発せうと、朝の上りの第十一伊予丸の時間に、浜に立ったのは。 その時、半泣き姿でとんできた芙しい女性があった。髪を七分三に分け、どこの…

海豹の18 漁る人漁られる人

漁る人漁られる人 そこへ表からおたきが帰ってきた。それで、勇は顔を伏せた。 『誰ぞと思ったら、若旦那ですか。今時こんな処で何をしてゐやはりますの。今日は沖へお出でにならなかったのですか?』 『をばさん、追ひ出されちゃった。追ひ出されちゃった。…

海豹の17 哀愁の波

哀愁の波 大五郎の家を去った勇は、すぐその足で卯之助の住んでゐる裏長屋を尋ねた。そこは五軒続きの汚い長屋であった。たゞ八月の太陽だけは、表に輝いて、路次で遊んでゐる小さい裸体ン坊の子供等の上を容赦なく照らしつけてゐた。 『お父っあん、居るか…

海豹の16 破れた網

破れた網 有名な出しゃばりで。浜ではみんなに厭がられてゐる大五郎の妻みつ子は、窪(くぼ)んだ眼窩(がんくわ)に眼鏡をかけ、その眼鏡の上から覗くやうに、卯之助を見ていうた。 『みなさんの処もえらいでせうが、網を持ってゐる此方もずゐぶん借金で困…

海豹の15 大渦小渦

大渦小渦 父の大きな声に驚いて大柄の浴衣に紅の腰紐を無雑作に結んだかつ子が、便所の帰りに飛出してきた。そして。懐から女手で書いた厚ぼったい手紙を一通取出して、いかにも癩にさはってゐるやうな口調で、彼女は父にいうた。 『お父さん、勇さんに近頃…