海豹の19 海豹か? 野良犬か?

  海豹か? 野良犬か?

 その翌日であった。――勇が、田辺旅館の若主人から二十円の金と、鳥打帽子を借り受け、紀州に出発せうと、朝の上りの第十一伊予丸の時間に、浜に立ったのは。
 その時、半泣き姿でとんできた芙しい女性があった。髪を七分三に分け、どこの芸者かと思はれるほど厚化粧して白粉を塗ってゐたが、白い前掛けで顔だけ半分蔭うてゐた。浜には、尾道に行く二、三の乗客と、勇を見送りに出た卯之助と、ストライキを続行してゐる十人の漁師がそこに立ってゐた。最初、その女は、浜への曲り角の旅館の蔭に隠れてゐたが、岡村島の蔭から、汽船が出てくるなり、自分も旅館の蔭から踊り出して、飛びつくやうに、勇の立ってゐる処に近寄った。そして泣きながらいった。
『勇さん、少しお話したいことがあるんです。ちょっとあっちへ私と一緒に行って下さいませんか?』
 勇はまさか。かつ子にそんな勇気かあるとは、今の今まで思はなかった。それで彼も少からず心が動き、みんなの者には黙って、かつ子に連れられて天満神社の方へ歩き出した。かつ子はたゞ泣くばかりで、一町も歩いてゐるうちに一言半句も物をいはなかった。ぶうーっと、汽笛の嗚るのを聞くと、汽船が入港したらしかった。その時かつ子は、白い前掛で顔を拭いて、前方の砂利を見つめながら、小声でいうた。
『あなたは、もうお立ちなんですか?』
『うム、僕は紀州へ行くつもりだ。瀬戸内海のやうな狭い処には、僕に用事がねえから、僕は海豹の性分に生れてゐるんでな、こんな穏やかな海は性分にむかないんだよ』
『わたしはどういたしませう?』
 それから半町ばかり歩いた時、かつ子は彼にさう尋ねた。
『そら、君、君は勝手にしたらいゝぢゃないか。君は、何も僕に罪がないに拘らず、疑って疑って、疑ひぬいてきたのだから、そんな信用出来ない男と一緒にならなくともいゝぢゃないか』
『それはあなたの誤解ですわ』
 さうかつ子のいったのは、二人が天満神社の烏居の前に立った時であった。そこへどうして飛んできたか、娘の後を追うて。背の低いかつ子の母が、息をせかせて急ぎ足でやってきた。
『かつ子ったら、お前こんな処で何をしとるの? 早く家へ帰らんかい、そんな野良犬のやうな男に何か未練があるのかい? 馬鹿娘が……』
 さういって、みつ子は娘の袖を無理にも引張って、鳥居にしがみ付いて離れないでゐた娘を、もぎ放すやうにして路次の方へ連れて入った。淋しい処とはいへ、二、三の人にその光景を見られて恥かしいと思ったので、勇は、すぐ神社の裏へ廻ってひとりで泣いた。

  瀬戸内海の旅

 よほど備前福山の母の処に寄りたいと思ったけれども、母に会ふと、また気がくじける恐れがあったので、勇は、尾道に着くとすぐ、小さい船ではあったが、第四摂陽丸で兵庫に出ることにした。着のみ着のまゝで、養家を飛出したものだから、風呂敷包み一つも持たず、友人である田辺旅館の若主人の鳥打帽を失敬してかむってきた外は、身の廻りに別に変ったこともなかった。胸のうちは不安な気持で一杯になってゐたけれども、海の好きな勇にとっては、船に乗ってゐる間が天国であった。それに、汽車では一々弁当を買はなくてはならぬが、不味くはあっても、汽船では三度々々飯を食はしてくれることが、旅費のない勇にとっては大助かりであった。
 汽船が、尾道を離れて、川のやうに挟い猫瀬戸水道にかゝる頃、勇は、暗い三等室からデッキの上に上った。瀬戸内海に住んでゐながら、汽船で描瀬戸水道を通るのは初めてであった。西日がかんかん赤土色の島々の山や、本州の山脈に照らしつけるけれども船が走るので、デッキの上は寒いほどであった。三等船客にのみゆるされた艫(とも)のデッキのベンチの上に腰を下してゐると、もろ蓋の中に寒天で作った菓子や、餅や駄菓子を入れて、三等のボーイが売りにきた。食ひたくはなかったが、ボーイに話がきゝたかったので、勇は、餅を一つ取上げた。
『ボーイさん、もうどれ位したらば鞆(とも)に着くんですか?』
『さあ、一時間でせうかな……阿武兎(あぶと)の観音さんは、この瀬戸をすぎると、もうすぐどす』
 勇は餅を食ひながら、瀬戸内海の景色に見入ってゐた。
『ボーイさん、この辺りに何か面白い伝説はないかね?』
 ボーイは、幾日も洗濯しないと見える垢のついたシャツに、処々油の滲んでゐる白いズボンをはいて、駄菓子の売上高が幾らあったか、計算してゐたが、続けざまに勇がたづねるので。うるさいといふ顔付をしながら、口ごもるやうに答へた。
『伝説もあるんでっしゃろけどな。わたいら、無学のものはよう集めまへんわ』
 勇は、本州の山の景色より変化に富んだ内海の島々の景色の方に注意が奪はれた。然し、あまり風景の小さいのに些か失望した。百島を送り、横島の前をつつ切って、田島を右に汽船は進んだが、海にゐるやうな感じが少しも与へられなかった。島と島との間の距離が非常に狭いので、瀬戸内海は、瀬戸ばかりで出来てゐるのではないかしらと思った程であった。阿武兎岬で船は九十度の角度をもって左に船首を向け直した。こゝらあたりは、やゝ広々として、気持はいゝけれども、島の景色が悪い。阿武兎の観音様の立ってゐる断崖は、琵琶湖の竹生島の弁天様を思はせるが、それに比べても一層貧弱で、もう少し雄大な景色が欲しかった。船は間もなく備後の鞆に入ったが、築港も小さく、日本に知れ渡ってゐる仙酔島も一目して平凡な島に見えた。その時勇は思った。やはり瀬戸内海の美と雄大さは、山陽道に沿うた処にはなく、寧ろ、大三島を中心とした三島列島に集ってゐるといふことを。厳島も、山に登ると少しはよいが、島々が小さくて面白さが少い。山口県の大鳥は、島は大きいけれども、島としては孤立してゐるために美しさか欠けてゐる。讃岐の屋島から見ると、豊島、大島、女木、男木など美しい島も並んでゐるが、こゝもまた形の平凡な島が多くて、内海の美を飾るに足るものは少い。さうなると、やはり美は三島列島に集ってゐると思はれてならなかった。何しろ、三島列島には、
  『七里七島
   五里五島』
 といはれてゐるだけあって、周囲七里の島が七つあり、周囲五里の島が五つある。規模の雄大な島々が多く、山の形も讃岐や、山口県あたりの島々とちがって。形の変ったものがずゐぶん多い。それに伝説に富んでゐることに於ては、三島列島に及ぶものは他にない。その美しい三島列島を、彼は見捨てて外海に浮び出でようといふのであるから、彼には一種の執着心が、内海の島々に残ってならなかった。