海豹の23 処女航海

  処女航海

 空は日本晴れに晴れて、那智の滝が紫紺色に染められた連峯の中腹にくっきり浮き出てゐた。今日に限って、勇の処女航海を祝福するかの如く、湾内の波は静かであった。油も二百鑵積んだ。氷も積めるだけ詰めた。延繩(はえなわ)は四十鉢準備した。(鉢といふのは直径二尺位の竹籠のことである)手の揃ふ間、約十目間、毎日々々掌に豆が出るほど鮪の延繩を準備した勇は、内海の漁業と、外海の漁業の方式が甚だしく違ふのに自分ながら驚いた。内海でも、烏賊や(いか)、鯔(ぼら)や、鯛の延繩はやったことはあるけれども、五寸もあるやうな大きな針をつけて、『釣元』に太い針金をくっつけ、電信のワイヤーにも似た
『せきやま』といふ野州産の麻糸に綿糸を巻いた、牡牛でも充分繋ぐことが出来る強い紐をその先に付け、更にさういったものを長さ三百六十尋の『みき繩』に十二個くっつけた。表の『ハッチ』は、みき繩を入れた四十の鉢と餌を詰めた箱で一杯になった。餌には烏賊を塩漬けにしたものを準備した。
 乗組員は合計十人であった。新宮から雇はれてきた年寄りの松原といふ機関士が中心になって、種々人手を揃へるのに努力した。それで卯之助を除いた五人の漁師はみんな、機関士の松原が連れてきた者ばかりであった。松原は、油さしとして、鈴木といふ一風風変りの男をも連れてきた。松原はまた飯炊きに朝鮮同胞を引張ってきた。然し、どうにかこれで十人の手だけは揃うた。
 船は小さいけれども勇の責任はなかなか重かった。瀬戸内海とちがひ、世界で最も広い大洋に飛出して、少くも十日間以上は帰って来ないで、毎日漁をしようといふのだから、低気圧のことも心配になるし、食料のことも気にかゝった。
 いや、それ以上に気になったのは水の問題であった。朝出て晩戻るやうな瀬戸内の船であれば、水のことなどはあまり心配にもならないけれども、十人の者が十日間も飲食に使ふ水の量がどれだけ要るものか彼には見当がつかなかった。幸い松原は二、三年前まで鮪釣りの発動機船に乗ってゐた事があったので、大きな水槽を二つ持って行けば大丈夫だらうと教へてくれた。それで彼のいふ通りに、水槽を二つ準備した。用意はこれでまづ大体出来た。浜には船主の兵太郎さんの一族郎党がみな集った。その中には松原の女房が三つばかりの男の子を連れて交って居た。また漁師の妻君らしいものも顔を出してゐた。卯之助の娘のかめ子も、片が家に忘れた褞袍(どてら)を船まで持ってきて勇に叮嚀なお辞儀をした。彼女はにこにこして、勇の方ばかり見詰めた。
『ねえ、若、御手洗の船と大分様子が違ひますから、ずゐぶんおえらいでせうけど、まあ達者にしていらっしゃいまし』
 解りきった口上ではあるけれども。勇の機嫌をとることに努力してゐたかめ子は、磯際に立って、小さい声でさういうた。彼女の病気は存外軽くて、一週間足らずで、新宮の病院を出てきたものだから、かめ子としても勇にいひ尽されない感謝を持ってゐた。
 乗組員は油さしの鈴木を除くほかは全部揃うた。
 機関室から松原が甲板に上ってきて。勇に小さい声でいうた。
『鈴木はまだ来ませんか?』
『まだのやうですね、どうしたんでせうか?』
「ぢゃあ、呼んで来さしませうか?」
 さういうて、松原は、漁師の川端治介を呼んだ。
『おい、川端くん、鈴木君を呼んできてくれよ。あの向ふの勝浦亭に今のさきまでゐたが、彼奴まだ女の脇が離れられないと見えて、出てうせやがらんのぢゃ!』
 川端は返事もせずに、あぶみを渡って岸に上り、早足で勝浦亭まで急いだ。それと入違ひに、鈴木は芸者の梅若を連れて、勝浦亭を出て来た。
 油さしが船に乗込むと、勇はすぐ表甲板から船主に敬礼をして操舵室に入り、出帆の合図に勢よく汽笛を一つならした。発動機は動き出した。船主は大声に岸から怒鳴った。
『大漁があったらなア、また酒を買ふからなア! しっかりやってくれ!』
 船は船首を回転して、いつ見ても壮厳に見える勝浦港の入口を目指して進んだ。黙々として岸に立ってゐる群集に混ってかめ子が、ハンカチをしきりに振ってゐるのが鮮かに勇の目にとまった。

  潮吹く鯨

 延繩の浮標(うき)の上に付けた白旗黒旗が、九十尋づつに樽にくっつけられて、海の上にひらめいてゐた。発動機船は、三里にも近い延繩の巡視を一日に三回するのであった。
 沖に鯨が潮を吹いてゐるのが見える。
  『いうたちいかんちや
   俺んくの池にや
   潮吹く鯨が泳ぎよる』
 高知県生れの小林猪之助は、操舵室(ぶりっじ)の前に来て、油さしの鈴木と二人で面白さうに、ヨサコイ節を怒鳴った。
『延繩で鯨が釣れるといゝがなア』
 鈴木は面白さうに大声でそんなことをいった。負けん気の高知県人は、
『そんなことをせいでも、鯨の養殖をしたらいゝぢゃないか』
『大きなことをいふな、餌がないぢゃないか!』
『餌は何ぼでもあるよ。日本海へ鯨を追込んでさ、日本海の鰯を肥料にする代りに、鯨に食はしたら、二万や三万の鯨は充分飼へるぜ』
 土佐の男は真面目になってさういうた。日はかんかん二百十日に近い海面を照らし付け、海は瀬戸内海でもあるかのやうに、小さい波をたてて。初航海の勇をねぎらふやうに見えた。
『ねえ、船長、鯨は飼へませんなア』
 背の高い鈴木に、操舵室の硝子窓から顔をつっ込んで、勇に尋ぬた。
『なあに、飼はうと思へば飼へるさ。鯨一頭殺せば、豚干匹位の肉があるからなア、無茶に漁らないで、少し養殖するつもりで、子を大事にしてやりさへすれば、うんと太平洋でも殖えるがなア。太平洋であれば、百万頭位充分養へると思ふかなア』
『こいつは大きい!』
 頓狂な鈴木は、右の掌を額にあてて、舌を口から出しながら、口を丸くした。
『百万頭か! 小林さん、船長はあんたより大きいことをいひますぜ。しかしどうして飼ふんでっしゃろな』
『そらあ、おまへ、放し飼ひだよ』
 勇はにこにこ笑ひながらさう答へた。
『放し飼ひ! よくいうた!』
 鈴木はまた、右の掌で額をぱちんと一つ叩いた。
『然し、択捉島ぢゃあ、毎年八百頭以上の鯨を漁ってゐるといふから、あれをとる代りにさ、マークをつけておいて、太平洋に放しといてさ、一万なり五万なり殖えてから、その中八百とか干とか漁るやうにすれば、その方が利益だな、実際船長がいふやうにさ。それ位しなけりや、日本の水産は衰へる一方ぢゃな』
 高知の男は、太平洋を池のやうに考へてゐるだけあって、なかなか元気なことをいふ。
『実際、方法さへつけば、鯨は充分飼へると思ふがな。あいつはおとなしい動物だし、それに賢いからなア、牛や馬以上に人間にはなつくだらうと思ふなア。禁漁区を作って世話をしてやりさへすれば、十万頭や二十万頭を養殖することは何でもないと思ふなア』
 勇がそんなことをいってゐる時に、艫(とも)の方から卯之助が大声に叫
んだ。
『やあ、かゝってゐる、かゝってゐる! あれ、二番目の旗が返った。そら! そら!』
 それで船はコースを逆転して、その方に急いだ。六人の漁師は、みんなみき繩を手繰上げることに心を合せた。
『おやッ! こりゃあ。鱶(ふか)だぜ』
 小林が大声でさういった。
 生れて初めて、鱶や鮪を釣る勇は、操舵機を漁師の鳥井に渡して、デッキに出て行った。鱶はなかなか元気がよくて、ちょっと上って来ない。それをあるひは繩をゆるめたり、また次の瞬間には引張ったり、いろいろして、鱶の疲れるのを待って、やっと二十分闇位努力して、六人の漁師が総掛りで。五十貰にも近い大きな鱶をデッキに上げた。
 そんなにしてゐる中に、その次の針にも、魚がかゝったと見えて、桐の浮標(うき)が、沈んだり浮上ったり激しく移動してゐた。
『うまいぞ、今日は!』
 鈴木と交替に機関室から上ってきた松原は、浮標の引き工合を見て大きな声で怒鳴った。
『あゝ! びんながぢゃ、びんながぢゃ!』
 松原は、海面に浮上ってきた魚の形体を見てさういった。生れて初めて、生きた鮪を見る勇は、『びんなが』といふことが解らなかった。それで、勇は、松原に、『びんなが』といふ理由を尋ねた。すると松原は、叮嚀に、鮪の分類を教へてくれた。それによると、背鰭の前の骨が、著しく一本だけ発達してゐるのを『とんぼ』あるひは『びんなが』といひ、これは主として、本島の沿岸で漁れ、仙台から北に漁れる鮪は『ましび』あるひは『くろ』といはれる。北海道では主として、この『くろ』が多い。九州から南で漁れるものは『きはだ』といって、青い脊と腹の処々に黄色な模様が入ってゐるといふことを教へてくれた。
 針に掛ったのに、とても大きな奴で、上げるのに三十分以上かゝったが、甲板にひき上げてみると、百貫以上もあった。漁師の連中はみな喜んで、『これ一匹で百五十円には充分売れる。鱶はいくら大きくとも、一貫について四、五十銭にしかつかないけれども、鮪は一貫につき一円五十銭にはなるからなア』
 と紀州から連れてきた、漁師の中でも一番年寄りの広瀬和造は大喜びであった。
 それから三十分程経って、また魚がひっかゝった。こんどは『かぢき』であった。これは、『かぢき』の突ン棒漁業に経験のある小林猪之助が、いつの間に持ってきてゐたか、小さい『銛(もり)』のやうなものを持ち出してきて、魚が舷側に近くなった時、デッキの上から二間あまり離れてゐる『かぢき』を射止めたのであった。
『なかなかうまいなア』
 機関士の松原は、小林の手際のいゝのを激賞した。かうして、恰度四日間、潮岬から四百哩ばかり沖に出て、漁を続けてゐるうちに、約五十匹程の大きな魚を掴へた。そして価格にすれば、八、九百円の漁獲物を得たので、また三昼夜走り続けて、二百十目の暴風雨の来る前に、潮岬目指して復航した。