2015-02-16から1日間の記事一覧

海豹の26 六分儀を手にして

六分儀を手にして 古綿を詰めたやうに、物凄く黒ずんでゐた水平線が、玉葱の皮をむく如く、一皮々々むけて行き、窒息するやうな重苦しい空気が、さわやかな酸素の匂のする馨はしいものに変った。雲の間に大きな亀裂が入り、待ち焦がれてゐた太陽が、ちょっと…

海豹の25 颱風の中を行く

颱風の中を行く『大将! もうこれぢゃあ、危いから流しませうや』 さういったけれども、勇は、ハンドルを捉へて、返事もしなかった。 『大将、代りませうか?』 卯之助は、もう一度勇の疲労を察して言葉をかけた。晩方から四時間以上も操舵機を握り続けてゐ…

海豹の24 朱唇玉杯

朱唇玉杯 処女航海の成功に、船主の兵太郎は、大悦びであった。それで船主は、みんなに飲ませるといって海岸の勝浦亭から三軒目の花の家といふ料理屋につれて行ってくれた。芸者を二人お酌にといって呼んでくれた。初めて芸者の出る宴会に出た勇は、何ともい…

海豹の23 処女航海

処女航海 空は日本晴れに晴れて、那智の滝が紫紺色に染められた連峯の中腹にくっきり浮き出てゐた。今日に限って、勇の処女航海を祝福するかの如く、湾内の波は静かであった。油も二百鑵積んだ。氷も積めるだけ詰めた。延繩(はえなわ)は四十鉢準備した。(…

海豹の22 赤玉の警報

赤玉の警報 その晩であった。夕飯の準備をしてゐた、かめ子が、急に癪気を起して苦しみ始めた。それから親父の卯之助が腰を揉むやら、勇が医者に走るやら、一時は大騒ぎをした。医者がやってきて、モルヒネの注射を二本もしたが、それでも効かなくて、漸く三…

海豹の21 竜宮への移住

竜宮への移住 浅井はデッキの上にシガレットの灰を叩き落して。水兵の言葉に呼応した。 『さうでせうなア、あの雑賀崎の漁師などは、箕島あたりで魚がとれなくなったので、ちっぽけな、その辺りに浮いてゐるやうな漁船を漕いで、日本沿岸ならどこへでも行く…